京都・醍醐寺 ―真言密教の宇宙―
京都・醍醐寺 ―真言密教の宇宙―
会 期:
1月29日(火)〜 3月24日(日)
休館日:
月曜日
ただし2月11日(月・祝)は開館。2月12日(火)は休館
開館時間:
日曜日・火曜〜木曜日
9時30分〜17時00分(入館は16時30分まで)
金曜日・土曜日【夜間開館
9時30分〜20時00分(入館は19時30分まで)
観覧料:
一 般 1,600円(1,400円)
高大生 1,000円(800円)
小中生 600円(400円)
【夜間割引料金】
一 般 1,400円
高大生 800円
小中生 400円
*夜間開館当日17時以降に当館券売所で販売。夜間割引料金で購入されたチケットで17時以前に入場することはできません。
*( )内は前売りおよび団体料金(有料の方が20名以上の場合)。
*上記料金で九州国立博物館4階「文化交流展(平常展)」もご観覧いただけます。
*障害者手帳等をご持参の方とその介護者1名は無料です。展示室入口にて障害者手帳等(*)をご提示ください。
(*)身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳、特定疾患医療受給者証、特定医療費(指定難病)受給者証
*満65歳以上の方は前売り一般料金でご購入いただけます。券売所にて生年月日がわかるもの(健康保険証・運転免許証等)をご提示ください。
*小中生、高大生は学生証等をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご購入いただけます。券売所にて学生証、教職員証等をご提示ください。
*チケット販売窓口では下記の電子マネー及びクレジットカードがご利用いただけます。
電子マネー(WAON、nanaco、iD、Edy、Kitaca、Suica、PASMO、TOICA、manaca、ICOCA、nimoca、はやかけん、SUGOCA、QUICPay)
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*「iD」ロゴは株式会社NTTドコモの登録商標です。
*「楽天Edy(ラクテンエディ)」は、楽天グループのプリペイド型電子マネーサービスです。
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クレジットカードVISA、MasterCard、JCB、ダイナースクラブ、AMEX、ディスカバー、銀聯カード、新韓カード*一括払いのみ。
クレジットカードアイコン
前売券発売所:
チケットは、ローソンチケット(Lコード83254)、チケットぴあ(Pコード769-335)、セブン-イレブンほか主要プレイガイドで発売中。
*会期中の電子チケットは当日料金での販売となります。
*電子チケットは購入の際に各プレイガイドによって各種手数料がかかる場合があります。
お問い合わせ:
NTTハローダイヤル 050-5542-8600(8時00分〜22時00分/年中無休)
主催:
総本山醍醐寺、九州国立博物館・福岡県、TVQ九州放送、西日本新聞社、日本経済新聞社、BSテレビ東京
共催:
(公財)九州国立博物館振興財団
協賛:
京都銀行、住友林業、損保ジャパン日本興亜、ダイキン工業、竹中工務店、NISSHA
助成:
(公財)福岡文化財団
特別協力:
太宰府天満宮
後援:
佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、九州・沖縄各県教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会、北九州市、北九州市教育委員会、太宰府市、太宰府市教育委員会、福岡商工会議所、太宰府市商工会、太宰府観光協会、西日本リビング新聞社、FM FUKUOKA、CROSS FM、LOVE FM、西日本鉄道、九州旅客鉃道、日本自動車連盟福岡支部、NEXCO西日本九州支社、福岡県タクシー協会、福岡市タクシー協会、日本旅行業協会、西日本文化サークル連合、西日本新聞TNC文化サークル

ごあいさつ

 京都市の南東に位置する醍醐寺は、千百年以上の歴史を持つ真言密教の名刹です。その歴史は、平安時代・貞観十六年(874)、理源大師聖宝りげんだいししょうぼう(832〜909)が醍醐味の水が湧き出るという笠取山かさとりやまに草庵を結んだことに始まります。開創以来、人々の願いをかなえる加持祈祷や修法すほうを行う実践を重視する寺として発展し、ときの権力者たちの篤い信仰を集めてきました。こうした歴史を物語るように、醍醐寺には数多くの仏像や仏画、経典類が伝わっています。
 平成28年(2016)、醍醐寺の長い歴史において初めて、中国で展覧会が開かれました。平安時代から江戸時代にいたる同寺の歴史と美術をたどる展覧会は好評を博し、上海と西安の二都市で80万人以上が来場しました。本展は中国での展覧会開催を記念して行うものです。
 本展では、密教美術の宝庫ともいえる醍醐寺の寺宝から、薬師堂本尊である薬師如来および両脇侍像(国宝)をはじめ国宝・重要文化財を多数含む珠玉の仏教美術をご紹介いたします。加えて、豊臣秀吉による「醍醐の花見」ゆかりの品々や俵屋宗達たわらやそうたつらの華やかな近世美術も見どころです。約15万点の寺宝の中から選りすぐった名宝計104件(国宝32件、重文49件を含む)を一挙公開いたします。密教美術の頂点ともいえる名品の数々をご堪能ください。


本展の見どころ

国宝32件、重文49件を含む、計104件を一挙公開!

約15万点もの寺宝の中から選りすぐりの名宝をご紹介いたします。

神秘に満ちた大迫力の密教美術を体感!

醍醐寺での安置状況を展示室において再現するなど、密教寺院の神秘的な雰囲気をそのままに至宝の数々を味わっていただきます。

千年以上にわたる醍醐寺激動の歴史を概観!

創建時の醍醐天皇以来、歴代の権力者たちの帰依を受けた醍醐寺。
その繁栄と為政者との関わりをご紹介します。


第一章 聖宝しょうぼう醍醐寺だいごじを開く


平安時代・貞観十六年(874)、天智天皇の流れを汲む聖宝しょうぼう(832〜909)は、東大寺において諸宗を学んだのち、醍醐味の水が湧き出るという笠取山を見出し、草庵を結んで准胝じゅんてい如意輪にょいりんの両観音菩薩像を安置しました。醍醐寺の始まりです。その後、醍醐寺は醍醐だいご天皇をはじめ歴代天皇の帰依を受け、開創から数十年のうちに薬師堂や五大堂などの堂宇がつぎつぎと建立され、寺観は順調に整えられていきました。本章では、聖宝の肖像や伝記、醍醐寺の縁起などから同寺の草創期を概観します。

真言宗を実践・大成


聖宝坐像
聖宝坐像しょうぼうざぞう
吉野右京種久よしのうきょうたねひさ
江戸時代 延宝二年(1674)

醍醐寺の開山である聖宝(832〜909)の肖像彫刻。四角く張りのある顔やがっしりとした体格は、豪放な性格であったといわれる聖宝の人となりを表すかのようである。下醍醐に建つ祖師堂に真言宗の開祖空海と並んで安置されている。

平安仏の最高峰


薬師如来および両脇侍像
国宝 薬師如来やくしにょらいおよび両脇侍像りょうきょうじぞう
平安時代 10世紀

聖宝に帰依した醍醐天皇(885〜930)の御願により造像された薬師三尊像。千年以上にわたり醍醐寺の栄枯盛衰を見守ってきた像である。左手に薬壺を載せた中尊薬師如来像は堂々たる体躯で重量感に富み、光背に付けられた六体の小さな化仏けぶつと合わせて七仏薬師しちぶつやくしを表している。

空海が書写した密教のテキスト


大日経開題 空海筆
国宝 大日経開題だいにちきょうかいだい 空海くうかい
平安時代 9世紀
〈展示期間〉1月29日〜2月24日

金剛頂経こんごうちょうきょう』とともに、密教の根本的な経典として重視される『大日経だいにちきょう』。空海は『大日経』に出会い、その真理を知ろうと入唐を決意したと言われる。本作は、若き日の空海が『大日経』の注釈書である『大日経疏だいにちきょうそ』から要文を抜き書きしたもので、その筆致には中国・唐の強い影響が見てとれる。

第二章 真言密教を学び、修する


加持祈祷や修法すほう(儀式)などの実践を重視した醍醐寺は、その効験によって多くの天皇や貴族たちの心をとらえました。真言密教の二大流派のうち小野おの流の拠点となり、多くの僧が集まる根本道場と位置付けられた醍醐寺には、修法の本尊として欠かすことのできない彫刻や絵画、修法に用いる仏具、修法の記録や聖教しょうぎょうなどが蓄積されていきました。いまに伝わる寺宝の数々は、千年以上もの間、醍醐寺が人々の願いに応えて修法を続けてきたことを示しています。

無敵の五人組


五大尊像
大威徳明王だいいとくみょうおう
五大尊像
軍荼利明王ぐんだりみょうおう
五大尊像
不動明王ふどうみょうおう
五大尊像
降三世明王こうざんぜみょうおう
五大尊像
金剛夜叉明王こんごうやしゃみょうおう
国宝 五大尊像ごだいそんぞう
鎌倉時代 12〜13世紀
〈展示期間〉1月29日〜2月24日

不動明王を中心とする五大尊(五大明王に同じ)を一幅ずつ描いた五幅対。不動明王をのぞく四明王は、多面多臂ためんたひの密教尊像らしい姿である。めらめらと燃え上がる火炎光背を背に、怒りの形相で威嚇いかくするようにこちらを向く。力強く安定した筆使いで、五大尊の堂々たる体躯を描き出している。

五大明王像
大威徳明王だいいとくみょうおう
五大明王像
軍荼利明王ぐんだりみょうおう
五大明王像
不動明王ふどうみょうおう
五大明王像
降三世明王こうざんぜみょうおう
五大明王像
金剛夜叉明王こんごうやしゃみょうおう
重要文化財 五大明王像ごだいみょうおうぞう
平安時代 10世紀

不動明王を中心に、東西南北を守る四明王を加えた五大明王。あらゆる願いをかなえるとして平安時代以来、絶大な人気を誇った修法、五壇法ごだんほうの本尊となる。眉間の深い皺、飛び出した目、咆哮ほうこうするような口元など、すさまじい怒りの形相で、同時代の中でも異彩を放っている。京都・東寺講堂像に次ぐ古い作例。

快慶作の美しき不動明王


不動明王坐像 快慶作
重要文化財 不動明王坐像ふどうみょうおうざぞう 快慶かいけい
鎌倉時代 建仁三年(1203)

運慶と並び称される鎌倉時代の仏師、快慶による不動明王像。その姿は、空海が唐から請来しょうらいした図像に忠実に基づいている。快慶らしく、忿怒ふんぬ相ながら端正で気品にあふれている。像内に、建仁三年(1203)の年記や快慶の法号のほか、結縁けちえん者数十名の名前が墨書されている。

密教修法の必須アイテム


金銅五鈷鈴
重要文化財 金銅五鈷鈴こんどうごこれい
鎌倉時代 13世紀

インドの武器を起源とする密教法具にはさまざまな形があり、修法や加持祈祷を重視する醍醐寺には数多く伝来する。鈴身の側面に諸尊を象徴する種子しゅじ(梵字)を表すほか、全面に装飾を施した華麗な作品である。

異形に託した人々の願い


太元帥明王像(三十六臂)
重要文化財 太元帥明王像たいげんみょうおうぞう三十六臂さんじゅうろっぴ太元帥法本尊像たいげんほうほんぞんぞうのうち)
鎌倉時代 14世紀
〈展示期間〉2月26日〜3月24日

鎮護国家や外敵調伏ちょうぶくを祈る秘法、太元帥法の本尊となる大幅揃いの六幅対のうちの一つ。太元帥法たいげんほうは、空海の弟子である常暁じょうぎょうが唐から持ち帰った修法で、のちに醍醐寺理性院りしょういんに引き継がれた。36本の腕と18面の顔を持つ怪異な姿の太元帥明王をはじめ、規模も図像も破格の作品である。

第三章 法脈を伝える ─権力との結びつき─


修法すほうが盛んに行われるようになると、密教僧の間で異なる修法次第が生まれ、醍醐寺内でもいくつかの法流が作られました。その中心となったのは、十四代座主ざす勝覚しょうかく(1057〜1129)が創建した醍醐寺三宝院さんぼういんを拠点とする三宝院流です。同院の院主は醍醐寺座主を兼ねることも多く、室町時代、足利尊氏の護持僧を務めた賢俊けんしゅん(1299〜1357)、足利義満をはじめとする三代の室町将軍に仕えた満済まんさい(1378〜1435)など、彼らが座主として時の権力者から帰依を受けることで、寺は繁栄を遂げてきました。法脈の相承と繁栄の歴史を、文書や書跡からひもといていきます。

受け継がれる法流、祖師たちの思い


三国祖師影
「観賢」
三国祖師影
「聖宝」
国宝 三国祖師影さんごくそしえい (部分)
鎌倉時代 14世紀
〈展示期間〉1月29日〜2月24日

三国(インド、中国、日本)の高僧46人の肖像を集めた画巻。真言宗の僧が半分ほどを占めており、醍醐寺開山聖宝や初代座主の観賢かんげんも含まれる。平安時代以来、数多くの写本が作られた。血脈けちみゃく・法流を重視する僧侶たちは、法流を視覚化したともいえる「三国祖師影」を大切に描き継いでいったのだろう。

三宝院流、正統の証


天長印信 後醍醐天皇筆
国宝 天長印信てんちょういんじん 後醍醐天皇ごだいごてんのう
南北朝時代 延元四年(1339)
〈展示期間〉1月29日〜2月17日

印信とは、密教において師が弟子に秘法伝授の証として授与する文書のこと。後醍醐天皇が、護持僧でもあった醍醐寺報恩院ほうおんいん弘真こうしん文観もんかん、1278〜1357)のために特別に書写して下賜したもので、原本は天長三年(826)、空海が付法の証として弟子の真雅しんがに授けたとされるもの。南北朝の動乱の只中、後醍醐天皇が吉野で崩御する二か月前の揮毫きごうである。

将軍尊氏、自筆に込めた賢俊への恩義


理趣経 足利尊氏筆
重要文化財 理趣経りしゅきょう 足利尊氏あしかがたかうじ
南北朝時代 延文二年(1357)
〈展示期間〉2月26日〜3月24日

第六十五代座主をつとめた三宝院賢俊けんしゅん(1299〜1357)の没後四十九日にあたり、足利尊氏が自ら書写した『理趣経』。賢俊は室町将軍家の護持祈祷を担い、観応かんのう擾乱じょうらんで窮地に立たされた尊氏に従うなど、二人は厚い信頼関係で結ばれていた。訥々とつとつとした文字に苦楽を共にした賢俊への感謝と崇敬の念が込められている。

室町将軍と醍醐寺

南北朝から室町、戦国時代にかけての動乱の時期、醍醐寺は幕政の中枢を支える重要な役割を担った。足利尊氏を支えた賢俊をはじめ、三代義満の養子となり、四代義持(よしもち)、六代義教(よしのり)の厚い信任を得た満済(まんさい)、最後の将軍十五代義昭(よしあき)の養子となり、醍醐寺復興に尽力した義演(ぎえん)など、歴代の座主は時代の趨勢に翻弄されながらも権力者との結びつきを強めて醍醐寺を繁栄に導いた。

第四章 義演ぎえん、醍醐寺を再びおこす


16世紀末に第八十代座主となった義演ぎえん(1558〜1626)は、豊臣秀吉などの庇護を受け、戦乱により荒廃した伽藍の復興整備を進めました。秀吉最晩年の慶長三年(1598)春に催された醍醐の花見は、安土桃山時代の華麗な文化を象徴的に表す出来事として広く知られています。また義演は、醍醐寺伝来の膨大な古文書・聖教の書写や整理を行いました。『義演准后日記ぎえんじゅごうにっき』には、近世初期の変革期の京都において、義演と醍醐寺が重要な役割を果たしていたことが克明に記されています。醍醐寺にのこる俵屋宗達たわらやそうたつをはじめとする諸流派の絵師が描いた屏風は、当時の繁栄をよく伝えています。

戦乱で荒れ果てた醍醐寺再興の立役者


義演像
義演像ぎえんぞう
江戸時代 17世紀
〈展示期間〉1月29日〜2月24日

戦国時代から近世初期にかけて醍醐寺の中興を担った義演(1558〜1626)の肖像画。関白二条晴良にじょうはれよしの子として生まれ、第十五代室町将軍義昭の養子となり、わずか十九歳にして醍醐寺座主となった義演は、豊臣秀吉の支援を受けて荒廃した伽藍を復興するかたわら、膨大な聖教類や仏像、仏画などの整理や修復を行うなど、大きな功績を残した。

醍醐寺を支えた天下人


豊臣秀吉像
豊臣秀吉像とよとみひでよしぞう
江戸時代 18世紀

天下統一を果たした太閤秀吉(1537〜98)の晩年の風貌を伝える肖像画。醍醐の花見を開催したことで知られるが、戦乱でほとんどの堂宇を失った醍醐寺にとって、伽藍復興を全面的に支援した秀吉は大恩人である。

秀吉愛用の金の茶椀


金天目および金天目台
金天目きんてんもくおよび金天目きんてんもく
安土桃山時代 16世紀

豊臣秀吉の愛用品で、義演が秀吉の病気平癒のために加持祈祷を行った褒美として与えられたものと伝わる。天目の腰の部分にはまるで釉薬が流れたかのように見えるが、実際には木製の椀に二枚の金の薄板を貼り付けている。「金の茶室」を営んだ秀吉の黄金趣味の一端をうかがうことのできる貴重な遺品。

秀吉最後のお花見


醍醐花見短冊
重要文化財 醍醐花見短冊だいごはなみたんざく
安土桃山時代 慶長三年(1598)
〈展示期間〉全期間(ただし、展示替えあり)

慶長三年(1598)3月15日、豊臣秀吉が醍醐寺において空前の規模で行った醍醐の花見は、桃山文化を象徴する出来事の一つとしていまも語り継がれている。これはその折の参加者たちが詠んだ和歌を短冊に書き記し、台紙に貼り込んだもので、その数は一三一葉におよぶ。冒頭に秀吉の和歌が配され、その子秀頼ひでより前田利家まえだとしいえとつづく。

醍醐の花見

慶長三年(1598)3月15日に催されたいわゆる「醍醐の花見」。この日のために堂宇の修理や新築が進められ、寺内には畿内や吉野から集められた七百本もの桜が移植されるなど周到な準備が行われた。花見当日には、諸大名や女房ら1300人もが参加するという空前絶後の盛大な花見であった。六十三歳の秀吉にとって生涯最後の花見となった。

醍醐の花見