高橋英樹さんからのメッセージ
いま絶対に見ておかないと!と思う、素晴らしい作品ばかりの展覧会…。
音声ガイドナビゲーターを務め、とても嬉しく思います。
特に気になる作品は、やはり王羲之の書です。
私は書を趣味にしていますが、王羲之は手におえない、遠く離れた、手本にしては申し訳ないくらいの憧れの存在です。
言葉と文字は、人類だけが持つ、物事を伝える手段です。
言葉はその場でしか聴くことができませんが、文字は遠方にいる人へも、また時代を隔てても、形として想いを伝えることができます。
1000年も前に生きた人の想いを今ここで知ることができると思うと、とても興奮しませんか?
書は読めなくても、上手く書けなくても、楽しむことができると思います。
ガイドを聴きながら、文字の姿に注目し、お気に入りを見つけてみてください。
高橋英樹・たかはしひでき
1944年千葉県生まれ。1961年映画「高原児」でデビュー。
日本テレビ「桃太郎侍」、テレビ朝日「遠山の金さん」などの時代劇で主演を務め、
NHK大河ドラマ「篤姫」では島津斉彬役を演じる。
ドラマ・映画・バラエティー番組など多方面で活躍。
趣味は墨彩画、書など。2007年、個展「一書一顔」開催。
高橋真麻さんからのメッセージ
はじめて音声ガイドのナレーションを務めさせていただき、言い慣れない人物名や作品の名前など、イントネーションも難しく苦労しました。
親子共演ということですが、父とはナレーションのリズムや間のとり方が似ていると思うので聴きやすいガイドになったのではないでしょうか。
「書」に詳しくありませんが、華やかな料紙に書かれた文字を見ると純粋にその美しさに惹かれます。「書は人なり」といいますので、
文字を書いた人がどんな性格だったのか、どんな気持ちだったのか思いを馳せてみるのも鑑賞の楽しみのひとつです。
音声ガイドで、皆様がゆったりと鑑賞をお楽しみいただくお手伝いができたら嬉しいです。
高橋真麻・たかはしまあさ
1981年東京都生まれ。
2004年フジテレビジョンアナウンス室入社、2013年退社。
日本テレビ「スッキリ」、フジテレビ「バイキング」「有吉弘行のダレトク!?」
など多数のレギュラー番組を持つ。映画「アリス・イン・ワンダーランド」
地上波吹き替え版では、白の女王役で声優にも挑戦した。
書は、漢字とともに生まれ、手で書くことで実用と芸術の要素をあわせもつ文字文化です。硯に水を注いで墨を磨り、筆で文字を書けば、筆線に生じた濃淡、潤渇に毛筆が動いた軌跡を確認できます。また、筆先を通して書き手の個性、つまり個人によって異なる筆の速度・筆圧・造形感覚が文字に投影され、自ずと筆者の嗜好・感情・美意識が、文字に反映されます。
しかし今日、筆を執って文字を書く機会が減り、学校現場においても墨を磨ることは大変少なくなりました。このままでは、文字を手で書くことの意義が次第に見失われ、書の文化的価値の断絶も懸念されます。わが国の手書きによる文字文化は、大きな岐路に立たされているのです。
本展は、日本列島で千年以上にわたり伝え育まれてきた書の文化の真髄を、これぞという逸品を通してご紹介するものです。わが国では古くから、手書きの文字を「水茎」あるいは「手」と呼び親しんできました。書とは潤いのある書き言葉のことであり、古い筆跡には文章の意味だけでなく造形的な工夫や先人の感性が詰まっています。時空を越えた書のもつ多彩な魅力に光をあて、かつて身近にあった毛筆の書への接し方を再確認し、「手」の跡を鑑賞する楽しさをご実感いただければ幸いです。
7世紀・中国唐時代、当時最も尊重・愛玩された書が4世紀・東晋時代の王羲之の書であった。唐の皇帝太宗は、中国全土の王羲之の肉筆を収集し、その精巧な摸本を作らせた。奈良時代、日本にも遣唐使によってその一部が将来された。以後、日本人の書法の師(手師)として尊敬された王羲之は、日本の書の源流であり根幹となった。平安時代初期、入唐した空海・最澄らは唐時代の書の文化を吸収して帰国。8〜9世紀の日本は、唐時代の文化と書法に強いあこがれを抱き、王羲之を頂点とする漢字書法の吸収に邁進した時代であった。
4世紀の中国の貴族で、書の歴史に偉大な足跡をのこす王羲之(303〜361、異説あり)。楷書・行書・草書の各書体を洗練させ、今に至るまで書法の最高の規範となったため「書聖」とあがめられる。その自筆は人災・天災によりすでに無く、精巧に作られた歴史的な複製でその書が認識される。
なかでも「喪乱帖」(宮内庁三の丸尚蔵館)は、国宝「孔侍中帖」(前田育徳会)とともに劇跡と名高く、王羲之の書の真骨頂として評価が高い。本展では「妹至帖」(九州国立博物館)、「大報帖」と合わせた世界的にもトップクラスの王羲之の書4件が集結する。
9世紀後半、漢字の草書体から「平仮名」が誕生した。それまで日本人は固有の文字をもたず、漢字の音訓をあてて日本語の音や語感を表記したが、平仮名によって思考や心情に添って日本語を書き表すことが可能となった。その後10世紀初頭に物語や随筆などの王朝文学が隆盛するとともに、仮名の書きぶりはさらに洗練されていった。一方、10〜11世紀には、王羲之を源とし、当時の美意識を加えた書法が、三跡(小野道風・藤原佐理・藤原行成)によって確立される。穏和な字姿の「和様」の書である。曲線的な筆遣いを特徴とする書きぶりの漢字は平仮名と相性が良く、以後、漢字仮名交じり文は、日本語表記に不動の地位を築くこととなった。
和様の書は、漢字仮名交じり文の展開により広く定着して以降、中世において表現面で大いに進化を遂げた。書論や故実が生まれ、その伝承と書の型の踏襲を重視する立場から書流が発生し、「書道」が確立した。一方、中国は宋時代を迎え、字姿の均整よりも筆者の心情を優先させた新たな書法が興隆した。この中国書法は当時最新の仏教である禅とともに日本に将来され、禅僧をはじめとする知識層を中心に広がりをみせた。鎌倉から室町時代、中国的な詩文は中国書法を、日本語の和歌や実用の文書は伝統的な和様の書法で主に書かれたが、両者は緩やかに影響しあって書の流れを形成した。
16世紀末に戦乱の世が終息し、さらに江戸時代になると、社会の安定とともに経済と文化が飛躍的に進展した。江戸幕府が公式書体と定めた「御家流」は、寺子屋でも教えられたことで庶民層の日常書体となり、高い識字率に象徴される民衆文化が広く展開した。その御家流の祖は、中世の尊円親王や伏見天皇、古代の藤原行成や小野道風、さらには王羲之にまで遡ることができる。また、長崎を通じて中国から流入した唐様という新たな書法は、儒者や文人等の知識層に愛好され、やがて庶民層にも洒脱な文字として受け入れられた。実用と芸術の両面で書の恩恵とたのしさを、幅広い階層が享受した時代であった。