白隠さん〔白隠慧鶴(1686〜1768)〕は、駿河(静岡)の原宿に生まれ、同地の松蔭寺を復興、郷里を拠点として民衆に禅を広め、数々の著作を刊行して「五百年間出」(五百年にひとり)の名僧とたたえられました。そのきわめてユニークな禅画は力強く魅力的で、海外からも注目されています。白隠さんが九州の土を踏むことはありませんでしたが、当地にも重要作品が伝わっています。それら名作の数々をご紹介します。
近世初頭の九州に中国・明末清初期の禅風が吹き込まれます。黄檗宗の開祖・隠元禅師など、長崎に渡来した中国禅僧のもとに全国から禅僧が参集し、研鑽しました。これを契機に九州禅が活況を呈し、妙心寺派から多くの名僧を輩出します。なかでも日向(宮崎)出身の古月さん〔古月禅材(1667〜1751)〕は多くの弟子を指導し一派を形成、戒律を重んじる厳しい禅風で「西の古月、東の白隠」と称されるほど近世臨済禅の展開に大きな足跡を残しました。仙厓さんも古月派の法系です。近世九州の臨済禅の発展に重要な役割を果たした主な禅僧をご紹介します。
仙厓さん〔僊厓義梵(1750〜1837)〕は、美濃(岐阜)生まれで当地で出家、19歳で諸国行脚に出、武蔵(神奈川)の東輝庵の月船禅慧の法を嗣ぎました。さらに諸国を行脚、「扶桑最初禅窟」(日本で最初の禅寺)として栄西禅師が開いた博多の聖福寺123世となります。23年住持をつとめ、寺の復興を遂げて「博多禅」を守り、晩年は聖福寺の隠居所である虚白院(現・幻住庵敷地内)に隠棲しました。半世紀近く博多の地に生き、庶民と心の交流をした仙厓は、親しみをこめて「博多の仙厓さん」と呼ばれます。その禅画は人間味あふれ、ときにユーモアを発し、ときに鋭い社会風刺をこめています。本展では、聖福寺および幻住庵から仙厓さんの禅画・墨蹟と遺愛の品々をご紹介します。