特別展

特別展『フェルメール「真珠の首飾りの少女」in ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年』

【 ベルリン国立美術館展 5つの見どころ 】

1・フェルメールの《真珠の首飾りの少女》日本初公開!!

フェルメールの自筆作品として知られる36点(*)の作品のなかでも、最も繊細な光の表現が美しい《真珠の首飾りの少女》。些か謎めいた表情を滲ませ、鏡の前で身につけた真珠の首飾りを見つめる少女が、窓から差し込む淡く柔らかな光の中に照らし出されています。壁に揺らぐ光と、それと対照的なテーブルの強い影の中で、少女は鏡の自分に夢中で、それを見ている我々に気づきもしません。日本、初公開です。
*真筆の点数については諸説ありますが、ベルリン国立美術館の見解に基づき36点としました。

2・貴重なボッティチェッリやラファエッロの素描が見られます!

ベルリン国立美術館の素描版画館の所蔵点数は世界屈指で、およそ55万点にのぼります。そのなかでヨーロッパ美術史の要となるイタリア素描、とりわけ門外不出ともいわれるボッティチェッリの素描を特別出品いたします。また、イタリア・ルネサンスの最も有名な画家・ラファエッロの素描は、完成画に至る芸術家の試行錯誤の過程がよくわかる貴重な作品です。

3・世界有数のレンブラントコレクションから
《黄金の兜の男》《ミネルヴァ》が出品!

ベルリン国立美術館絵画館で創立以来人気を呼んでいるのがレンブラント絵画のコレクションです。その貴重なコレクションの中から、三十年戦争で疲れ切った兵士が、略奪した黄金の兜を被っている《黄金の兜の男》と、ローマ神話の女神《ミネルヴァ》が来日することになりました。《黄金の兜の男》は、その作者を巡って20世紀にさまざまな議論を呼び起こした作品です。近年の調査で17世紀レンブラント派の作品とみなされるようになりました。しかし、絵画それ自体として非常に魅力的で、この作品をコレクションに加えたカイザー・フリードリヒ美術館(現ボーデ美術館)の初代館長で偉大な美術史家ヴィルヘルム・フォン・ボーデ(1845〜1929)が愛して止みませんでした。

4・15世紀のドイツを代表する彫刻家リーメンシュナイダーの
《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》

同時代のイタリア美術を基準に考えると、幾分プロポーションが歪み、規範から外れたリーメンシュナイダーの造形は、やや稚拙に見えます。しかし内省的な憂いと独特のユーモアを湛えた彼の素朴な彫刻作品は、鑿痕(のみあと)ひとつひとつに見られる高い匠の技に裏付けられた、他を圧倒する魅力に満ちあふれています。菩提樹に彫られた1490年頃の傑作《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》もそのひとつです。龍を退治する英雄聖ゲオルギウスは,なぜか憂いを漂わせ、退治される龍は何とも不思議な、不遜な笑みを浮かべているよう。最も自信に満ちあふれている表情を見せるのは、実は馬。これは勝者と敗者の倒錯か、はたまた真の勝者は聖ゲオルギウスではなく、彼を乗せる馬なのか。止めどない妄想を喚起するのが、リーメンシュナイダーの魅力です。

5・400年のヨーロッパの美術史を学ぶことができます!

イタリア・ルネサンス期と北方ルネサンス期を、絵画と彫刻両方から同時に比較できる絶好の機会です。そして17世紀オランダ絵画の黄金時代から18世紀啓蒙主義の時代まで、前後400年に及ぶ歴史の流れを概観できます。また、優れたイタリア素描を通して、素描の機能やその複雑な技法の粋を直にご覧いただけます。

会期

平成24年10月9日(火)〜12月2日(日)

休館日

10月15日(月)・22日(月)、11月5日(月)・19日(月)

会場

九州国立博物館 3階 特別展示室

開館時間

午前9時30分〜午後5時

(入館は午後4時30分まで)

出品目録

観覧料

一 般 1,500円(1,300円)

高大生 1,000円(800円)

小中生 600円(400円)

*( )内は前売りおよび団体料金(20名以上の場合)です。
*上記料金で九州国立博物館「文化交流展(平常展)」もご覧いただけます。
*障がい者等とその介護者1名は無料です。展示室入口にて、障害者手帳等をご提示ください。
*満65歳以上の方は前売り一般料金でご入場いただけます。チケット購入の際に年齢が分かるもの(健康保険証・運転免許証等)をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご入場いただけます。チケット購入の際に学生証、教職員証等をご提示ください。

主催

九州国立博物館・福岡県、西日本新聞社、RKB毎日放送、NBC長崎放送、RKK熊本放送、OBS大分放送、MRT宮崎放送、MBC南日本放送、tysテレビ山口、TBS

共催

(公財)九州国立博物館振興財団

特別協賛

SMBC日興証券

後援

外務省、ドイツ連邦共和国総領事館、在福岡ドイツ連邦共和国名誉領事、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、九州・沖縄各県教育委員会(佐賀県を除く)、福岡市、福岡市教育委員会、北九州市、北九州市教育委員会、太宰府市、太宰府市教育委員会、西日本リビング新聞社、cross fm、FM FUKUOKA、LOVEFM、九州旅客鉄道、一般社団法人日本自動車連盟福岡支部、NEXCO西日本九州支社、一般社団法人福岡市タクシー協会、福岡商工会議所、太宰府市商工会、太宰府観光協会、西日本日独協会、アンスティチュ・フランセ九州、一般社団法人日本旅行業協会、西日本文化サークル連合、西日本新聞TNC文化サークル

協賛

ニンジニアネットワーク、西日本鉄道、(公財)福岡文化財団、セコム、損保ジャパン、日本写真印刷

特別協力

太宰府天満宮

協力

国際ソロプチミスト太宰府、ルフトハンザ カーゴ AG、ルフトハンザ ドイツ航空、日本航空、ヤマトロジスティクス

お問い合わせ

050-5542-8600(NTTハローダイヤル午前8時〜午後10時)

ごあいさつ

 ベルリン国立美術館群は、1830年にかつてのプロイセン王国が設立したヨーロッパで最も古い公共博物館「アルテス・ムセウム」(旧博物館)よりその歩みをはじめ、ベルリンの壁崩壊から10年を経た1999年にはユネスコの世界文化遺産として登録された、世界最大規模の博物館複合施設です。プロイセン王国の強大な経済力を背景として国家的な規模で収集されたそのコレクションは、世界中の芸術・文化を網羅する百科全書的な規模と内容を誇りますが、とりわけ高い評価を受けているのがヨーロッパ美術の名品の数々です。

 本展覧会では、そのようなベルリン国立美術館群の優れた所蔵品のなかから、絵画館、ボーデ美術館、素描版画館の3館より、選りすぐりの絵画、彫刻、素描作品(計107点)を紹介し、15世紀から18世紀までの400年にわたるヨーロッパ美術の精華をご覧いただくものです。

 日本初公開となるヨハネス・フェルメールの《真珠の首飾りの少女》は、光の天才画家の数少ない真筆作品のなかでも傑作の呼び声が高いものです。また、イタリア・ルネサンス期の巨匠であるボッティチェッリによる『神曲』の素描は、門外不出といわれていますが、今回特別に出品いただきました。そのほか、ベルリン国立美術館が誇るオランダ・レンブラント派の≪黄金の兜の男≫、ドイツを代表する彫刻家リーメンシュナイダーの貴重な木彫など、名品ぞろいです。これらを通して、15〜16世紀のイタリアや、ドイツ、フランドルなど北方の美術、ルネサンス期の宮廷文化から17世紀のドイツの三十年戦争やオランダ黄金時代、18世紀啓蒙主義の時代にいたるヨーロッパ美術の400年を概観するまたとない機会になることでしょう。

 最後になりますが、本展の開催にあたり、貴重な作品をご出品くださいましたプロイセン文化財団やドイツ政府をはじめ、ご協力、ご支援を賜りました関係各位に、心から御礼申し上げます。

主催者

展覧会構成
*画像はクリックすると拡大します。

I 絵画/彫刻

第1章 15世紀 宗教と日常生活

 14世紀から15世紀にかけてのヨーロッパは大小様々な国家に分かれていましたが、同時にキリスト教という同じ宗教で結ばれていました。しかし一方ではさまざまな対立の時代でもありました。イスラム世界と対立するキリスト世界、ローマ教皇庁に対するルターの宗教改革とそれに対抗するカトリックの側の対抗宗教改革、社会全体や日常生活に大きな影響を与え始めた新しい学術・科学と宗教観の対立など。こうした対立の構図を象徴しているのが、龍を退治する馬上の聖ゲオルギウスの像です。キリスト教を守る戦士・聖ゲオルギウス、そして彼の槍や剣による攻撃を受ける龍は異教の世界を象徴しています。

主な作品
《聖母子と聖ヒエロニムス》

ベルナルディーノ・ピントゥリッキオ
《聖母子と聖ヒエロニムス》
1490年頃 テンペラ、板(カンヴァスに移替え)
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ベルナルディーノ・ピントゥリッキオ
《聖母子と聖ヒエロニムス》
1490年頃 テンペラ、板(カンヴァスに移替え)
ベルリン国立絵画館

白い大理石のベンチに坐る聖母マリアは、膝の上に立つ幼子イエスを左手で、またイエスが文字を書き込んでいる本を右手で支えている。画面向かって左側には、左手で聖書を指し示す、教皇の助言者である枢機卿姿の聖ヒエロニムスが描かれている。この聖人は405年頃、聖書のラテン語訳を完成させたことから、幼子イエスが書き込んでいる本が聖書そのものと分かる。イタリア・ルネサンス期に始まる、実在感あふれる肉体や母子の情感を感じさせる描写に加え、フランドル絵画から影響を受けた、空気感あふれる広大な風景が画面右後方に広がっている。

《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》

ティルマン・リーメンシュナイダー
《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》
1490年頃 菩提樹材
ベルリン国立美術館彫刻コレクション ©Staatliche Museen zu Berlin

ティルマン・リーメンシュナイダー
《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》
1490年頃 菩提樹材
ベルリン国立美術館彫刻コレクション

後脚立ちした馬は、その前脚で人を食べる龍の頭を押しつぶそうとし、甲冑に身を包んだ馬上の聖ゲオルギウスは、龍に斬りつけようとして長剣を振りかざしている。馬に押さえつけられた龍は、口を開け地面にはいつくばり、身をよじりながら、左前脚で聖ゲオルギウスの左足をつかもうとしている。ドラマチックな主題や身振りと対照的に、聖ゲオルギウスは、憂いを含んだ表情を示している。
古代ローマの軍人で、キリスト教徒に帰依し、殉教した聖ゲオルギウスの物語は、悪に対する善の勝利を寓意している。画家デューラーと同時代人のリーメンシュナイダーは、ドイツ・ルネサンス期を代表する彫刻家である。

《キリストの磔刑、ふたりのマリアと福音書記者ヨハネ》

フィリッポ・リッピ
《キリストの磔刑、ふたりのマリアと福音書記者ヨハネ》
1440年頃 テンペラ、ポプラ板
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

フィリッポ・リッピ
《キリストの磔刑、ふたりのマリアと福音書記者ヨハネ》
1440年頃 テンペラ、ポプラ板
ベルリン国立絵画館

五角形の画面に、上から、手を挙げて祝福する父なる神、十字架にかけられたキリスト、向かって右に嘆き悲しむ聖母マリア、左に福音書記者ヨハネと足下にひざまずく聖マグダラのマリアが、金色を背景に描かれている。十字架上のキリストを取り巻く3人1組の構図および金地の背景が中世からの伝統に基づくのに対し、立体的な肉体の表現にはルネサンス美術の息吹が感じられる。フィレンツェ出身のリッピが若き日に描いた本作品は、もともと小さな多翼祭壇画の上部を飾っていたピナクルと考えられる。リッピの弟子に、盛期ルネサンスに活躍した画家サンドロ・ボッティチェッリがいる。

《聖母子とふたりのケルビム》

ドナテッロの工房
《聖母子とふたりのケルビム》
1460年頃 大理石
ベルリン国立美術館彫刻コレクション ©Staatliche Museen zu Berlin

ドナテッロの工房
《聖母子とふたりのケルビム》
1460年頃 大理石
ベルリン国立美術館彫刻コレクション

聖母マリアの服装と髪型は、伝統的なキリスト教美術の図像には見られない、古代ギリシャ風を示している。ルネサンス期特有の古代趣味を反映するものといえよう。豊かな立体感を示す聖母子がほぼ画面全部を占めるのに対し、上方左右の隙間には羽を伸ばした2人の智天使(ケルビム)が平面的に埋め込まれている。聖母の右手は身体に対してかなり大きく表現されており、低い場所から見上げるような場所に配置されていたと思われる。
ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』(初版1550年、第2版1568年)で、群を抜く彫刻家として高く評価されたドナテッロ円熟期の工房作とみなされている。

聖母子
 フィレンツェ出身のドナテッロはイタリア・ルネサンスを代表する彫刻家です。彼が制作した聖母の髪や衣には古代彫刻からの影響が認められます。またルーカ・デッラ・ロッビアの作品に見られるように、初期ルネサンスのもう一つの重要な特徴は、宗教的な人物が身近な存在として表されるようになったことです。聖母の手や指先、幼子の足先などのふくよかな肉体表現や、情愛溢れる母と子のふれあいなどが表現されています。
 一方では信仰には痛みが伴うものでもあるという考え方が1480年のエルコレ・デ・ロベルティの作品《洗礼者聖ヨハネ》に集約されています。禁欲的な信仰生活を送った洗礼者聖ヨハネは、信仰の苦悩と肉体的な苦行が一体であることを象徴しています。十字架像をうつろな眼差しで見つめる聖ヨハネは、恍惚として自分の存在を忘れています。それを象徴するかのように、背景に描かれている風景も荒涼として虚飾が捨て去られています。
 しかし同時に15世紀後半のイタリアでは、理想の女性の美しさというものが追求されるようになります。理想の美しさの中に、魂の清らかさや美しさそのものが体現されるという考え方、あるいはその逆に、魂の美しさこそが人体に現れるという考え方がその背景にありました。

第2章 15〜16世紀 魅惑の肖像画

 14世紀から15世紀前半にかけてはイタリアの商人と、銀行家がヨーロッパの経済を支配していましたが、次第にドイツ、フランドルでも商人が非常に重要な役割を担うようになってゆきます。アルブレヒト・デューラーが1526年頃に描いた《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》も、ニュルンベルクの商人であり政治家でもあったムッフェルの人となりをよく表わしています。この時期になると、商人がその財力をもって権力を握るようになりますが、同時にその富はさまざまな戦争の財源ともなっていました。

主な作品
《マルティン・ルターの肖像》

ルーカス・クラーナハ(父)の工房
《マルティン・ルターの肖像》
1533年頃 油彩、板
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ルーカス・クラーナハ(父)の工房
《マルティン・ルターの肖像》
1533年頃 油彩、板
ベルリン国立絵画館

無地の背景に、3/4斜め正面のマルティン・ルターを、黒いベレー帽と黒いマントをまとった学者として描いている。1517年に、神学者であったルターが教会の優位性と無謬性に異議を唱えたことをきっかけに、各地で農民戦争が勃発し、1555年に、プロテスタンティズムは正式に認知されることとなった。ザクセン選帝侯領の宮廷画家クラーナハは、本作品以前に鑑賞者を見つめる別のルターの肖像画を描いたほか、多くの聖書挿絵や布教版画を作成し、ルターのイメージとともにプロテスタントの画像を広めた。大規模な自分の工房で、絵画と版画を繰り返し複製させたことが知られている。

《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》

アルブレヒト・デューラー
《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》
1526年 油彩、板(カンヴァスに移替え)
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

アルブレヒト・デューラー
《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》
1526年 油彩、板(カンヴァスに移替え)
ベルリン国立絵画館

デューラーと同年に生まれ、1514年にニュルンベルク市長となった商人ムッフェルを1526年春、55歳で亡くなる直前に描いたもので、デューラーによる最後の肖像画とされる。16世紀ドイツやフランドルでは、銀行家や商人といった新興階級の肖像画制作が盛んであった。
背景が無地のため、鑑賞者の注意は威厳に満ちた敬虔な人物の顔に集中することとなる。理想化を一切排除し、毛皮、皮膚のたるみや皺、頭蓋骨の解剖学的な構造に至る細部までもが、驚くほど正確に描写されている。絵画制作の重要な課題の一つは、死後もその人物の外観を留めておくことにあるとする、デューラーの言葉通りの作品といえる。

第3章 16世紀 マニエリスムの身体

 16世紀後半から末にかけての、ルネサンスからバロックへ移行する時期に、誇張の多い技巧的な様式の作品が多く生まれました。一般にマニエリスムという言葉で呼ばれる様式と時代は、ある既成の規範に則った形を踏襲してゆく芸術的な動きを指します。その特徴は、長く延びた人体と、手足の長いプロポーション、そしてさまざまな方向へのねじれや回転を含んだ動きやポーズなどです。イタリアで生まれたこのマニエリスムは、フランスへもたらされ、その後フランドル、オランダ、そしてドイツにも影響を与えてゆきます。ドイツの画家クラーナハ(父)の描いた《ルクレティア》をイタリアのマニエリスム彫刻と並べてみると、クラーナハがどれほどイタリア・マニエリスムの影響を受けているか一目瞭然です。

主な作品
《アポロ》

アレッサンドロ・ヴィットリア
《アポロ》
1550年頃 ブロンズ
ベルリン国立美術館彫刻コレクション ©Staatliche Museen zu Berlin

アレッサンドロ・ヴィットリア
《アポロ》
1550年頃 ブロンズ
ベルリン国立美術館彫刻コレクション

矢筒の紐を肩にかけた、若き太陽神アポロは、本来は右手で弓を握っていた。弓から放たれる矢は、太陽光線を象徴する。長く引き延ばされた体に比べて頭部が小さすぎるなど、解剖学的な正確さとは無縁であるが、本作品には長く引き延ばされたS字型の姿態、優美な細長い指、小さな卵形の頭などを特徴とするイタリア人マニエリスムの画家パルミジャニーノ(1503−1540年)からの影響があきらかである。ヴィットリアは、パルミジャニーノの《凸面鏡の自画像》(ウイーン美術史博物館所蔵)と素描帖を所持していたことが知られている。

《ルクレティア》

ルーカス・クラーナハ(父)
《ルクレティア》
1533年 油彩(?)、板
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ルーカス・クラーナハ(父)
《ルクレティア》
1533年 油彩(?)、板
ベルリン国立絵画館

クラーナハ(父)は、ルターのような現実の人物だけでなく、聖書や物語の登場人物の肖像も描いた。本作品は、紀元前500年のローマ王政期に起きた事件の主人公ルクレティアを描いている。ローマ王の息子に陵辱されたルクレティアは夫と父に事情を説明し、復讐を誓わせた後、自ら心臓に鋭い剣先を突き立て自殺したという。1510年頃からこの女性像を描き始めたクラーナハ(父)は、本作品によって、全裸の全身像という定型表現を生み出した。すなわち、暗い背景の前にたたずみ、身体をS字型にそらせ、片方の足に体重をかけたコントラポストの体勢をとる女性立像である。

第4章 17世紀 絵画の黄金時代

 16世紀のヨーロッパで最大の経済力と覇権を誇っていたのはスペインでした。強大な海軍力を背景に、海洋国家として世界に乗り出し、アメリカ大陸から持ち込まれる金や銀などの富を蓄積してヨーロッパを席巻しました。また、ヨーロッパ各国で天文学や地誌学の分野での新たな発見が次々と発表される一方、人文主義思想を通して人間と自然との関わり、人間の存在と個、人間の理性そのものが分析されるようになり、世界秩序が新たな目でとらえなおされた時代でした。
 こうした宗教や社会秩序に対する批判的態度が、北ヨーロッパ全域を巻き込んだ三十年戦争のきっかけとなったと見ることができます。フランス、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、スペイン、そしてオランダを舞台とするこの戦争は、傭兵を投入することで拡大し、あらゆる国々を絶望に落とし入れました。死者は数百万人に及び、戦争がもたらした疾病でも多くの命が失われました。さらに傭兵たちが行く先々で略奪を繰り返したことも、事態を悪化させました。1650〜55年頃に描かれたレンブラント派の《黄金の兜の男》を見ると、いかに戦争が悲惨なものであったかを、そのメランコリックな表情から読み取ることができます。この作品は、その作者を巡って長いこと議論が続いた作品ですが、現在では17世紀のオランダのレンブラント派による作品とみなされています。しかし、作者が誰であれ、この作品の魅力は変われるものではありません。
 その後スペインに代わって経済的繁栄を享受したのがオランダでした。オランダの黄金時代を代表する画家の一人がフェルメールです。1662〜65年頃に描かれた《真珠の首飾りの少女》では、部屋の中にひとりの少女が立っています。たいへん高価な衣服を身にまとっていることから裕福な中流階級の娘でしょう。シルクの上着に毛皮のふちどりがついています。左側の壁にかかっている鏡に映っている自分を見て、おそらく新しく手にしたと思われる真珠のネックレスを試しているのか、あるいはその魅力を楽しんでいるのでしょう。鏡は現実を映し出し、絵画は現実の光を映し出すという点がこの作品の真髄です。そしてこの画面の真ん中の部分は空白になっています。左側の窓から差し込む光が壁をなぞるようにして少女の顔に当たっており、そして少女自身は光を浴びた自分の姿を鏡に映してみています。その姿を画家と私たちはのぞき見ています。輪郭線を用いず移ろいゆく柔らかな光を描き出したことこそ、フェルメール最大の魅力と言えます。
 こうした絵画の新しい技法や様式が探求される過程で、風景画が絵画の主題として広く認められるようになります。人の理屈も、難しい政治の世界も、悲惨な戦争もそこにはありません。現実と夢の間をたゆたうような風景そのものが絵画として描かれるようになりました。

主な作品
《真珠の首飾りの少女》

ヨハネス・フェルメール
《真珠の首飾りの少女》
1662〜1665年頃 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ヨハネス・フェルメール
《真珠の首飾りの少女》
1662〜1665年頃 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館

左のガラス窓から光が入ってくる部屋で、真珠の首飾りについたリボンをつまみ上げながら、少女は向かいの壁に掛けられた鏡をのぞき込んでいる。デルフト生まれのこの画家は、毛皮で縁取りされた光沢のある絹の上衣をはじめ、すべて輪郭線を用いず色彩によって形を表している。繊細な光の表現は、光の魔術師の名に恥じない。本展覧会最大の話題作。
壁際に置かれた蓋付壺は、東方貿易を独占したオランダ東インド会社(1602年設立)が輸入した17世紀の中国陶磁とみなされるもので、当時のオランダ市民階級が謳歌した裕福な生活振りをうかがわせる。

《3人の音楽家》

ディエゴ・ベラスケス
《3人の音楽家》
1616〜1620年頃油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ディエゴ・ベラスケス
《3人の音楽家》
1616〜1620年頃油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館

薄暗い部屋にはパンやチーズ、ワインが載ったテーブルがあり、その周りにビウエラ(ギターの前身)とヴァイオリンを演奏しつつ世俗歌謡を歌う3人の音楽家が描かれている。前景の笑みを浮かべた少年楽士は鑑賞者を見つめ、画面右端のヴァイオリン奏者は、ビウエラを抱えて歌う中央の人物へと鑑賞者の視線を導く役割を果たしている。画面左端では、交易でもたらされたマダガスカル原産のクロキツネザルが、パンを手に鑑賞者を見つめている。豪華な宴会の余興に呼ばれた楽士たちに供された質素な食事と宴会のはなやかさの対比によって、社会的矛盾を指摘しているのであろう。カラヴァッジョ様式からの影響が色濃い。

《ミネルヴァ》

レンブラント・ファン・レイン
《ミネルヴァ》
1631年頃 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

レンブラント・ファン・レイン
《ミネルヴァ》
1631年頃 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館

画面左手前上方から照らされた強いスポットライトの中で、椅子に坐る金髪の若い女性は、毛皮の縁取りのある豪華な暗赤色のマントをまとい、月桂冠を戴き、左向きの体に対し、顔だけ3/4斜め正面に描かれている。背後の壁にはメドゥーサの頭部が表された楯がかかり、左側の机には弦楽器のリュートや書物などが積まれており、この女性が、技芸・音楽・医学・教育の神である古代ローマの女神ミネルヴァとわかる。ギリシャ神話の戦いの女神アテナと同一視される。オランダ総督フレデリック・ヘンドリックの財産目録(1632年)掲載の作品とみなされている。

《黄金の兜の男》

レンブラント派
《黄金の兜の男》
1650〜1655年頃 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

レンブラント派
《黄金の兜の男》
1650〜1655年頃 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館

暗い画面の左上方より届く強い光は、髭をたくわえた痩せた初老の兵士がかぶる、羽毛飾付きの金色のスペイン式兜を照らしている。光と影の劇的な対比とともに、17世紀ヨーロッパを深く揺さぶった三十年戦争(1618〜48年)を戦った傭兵の深い疲労と内省的な気分が表現されている。
三十年戦争の結果、オランダとスイスが独立し、新教徒と旧教徒がドイツおよびオランダ国内で同等の権利を認められた。疲弊したドイツに代わり、勃興したオランダの経済的な発展はめざましく、レンブラントも集団肖像画など多数の注文を受けて、経済的な大成功をおさめ、その画風は広くもてはやされた。

第5章 18世紀 啓蒙の近代へ

 18世紀はさまざまな意味で変動、変革の時代でした。15世紀以来の人文主義思想や自然科学の研究成果の集大成の時代であり、同時に新たな思想に基づいた社会変革や、人間のあり方そのものを模索した時代でもありました。とりわけ重要なのは、人間の感覚あるいは感性の重要性を認識し始め、同時に理性は先天的に規定されたものではなく、人間を取り巻く環境(自然)と教育によって、後天的に形成されるものであるとする思想が主流となったことです。こうした人間の知性と感性の揺らぎこそが、18世紀美術の魅力を生み出したのです。
 フランス革命の直前に描かれたジャン=バティスト=シメオン・シャルダンの作品《死んだ雉と獲物袋》は狩をモチーフにした静物画。狩人の獲物袋が下においてあり、その上に撃ち捕られたキジが吊り下げられています。18世紀のこうした静物画は道徳的な意味を持っていました。キジは快楽と誇りを表しています。画家の才能を存分に発揮した名作といえます。
 こうしたロココ的な比喩や象徴に溢れた描写から、18世紀後半になるとゾファニーやグラーフなどの描く肖像画のように、あるいはフランス革命後に制作されたジョゼフ・シナール作の《ジュリエット・レカミエ夫人の胸像》のように、複雑な象徴物を取り除いて、人間そのものへの洞察を加えるような描写が主流となります。そして疾風怒濤とロマン主義の時代へと時は移ってゆくことになります。

主な作品
《死んだ雉と獲物袋》

ジャン=バティスト=シメオン・シャルダン
《死んだ雉と獲物袋》
1760年 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ジャン=バティスト=シメオン・シャルダン
《死んだ雉と獲物袋》
1760年 油彩・カンヴァス
ベルリン国立絵画館

右足を紐で吊された雉は、口元から血を流し、ほんの少し前まで生きていたことを思い起こさせる。きわめて写実的な表現で描かれているため、まるで実物がそこにあるかのような「だまし絵」的な効果を生んでいる。狩りの獲物や豊富な食材を満載したテーブルを描く静物画は、17世紀のオランダでたいへん好まれたが、こうした主題の選択には、現世のはかなさや虚栄に対する警告を寓意する「ヴァニタス」の伝統が認められる。18世紀フランス・ロココ美術を代表する宮廷画家シャルダンは、狩猟で捕らえられた鳥獣を細密に描く静物画でも知られ、本作品は晩年に近い時期のものである。

《ジュリエット・レカミエ夫人の胸像》

ジョゼフ・シナール
《ジュリエット・レカミエ夫人の胸像》
1802〜1803年頃 テラコッタ
ベルリン国立美術館彫刻コレクション ©Staatliche Museen zu Berlin

ジョゼフ・シナール
《ジュリエット・レカミエ夫人の胸像》
1802〜1803年頃 テラコッタ
ベルリン国立美術館彫刻コレクション

当時流行した、高く盛り上げた髪にスカーフを巻いた、うつむき加減の女性は、19世紀のフランスパリで文学・政治のサロンの花形だったレカミエ夫人(1777〜1849年)である。両肩を布で覆っているが、左肩と胸の一部はむき出しのままである。胸前の両手は、貞淑のヴィーナス( ウェヌス・プディク)の仕草を転用したもので、古典的な理想化を示している。ルネサンス期にはやった両手を表す胸像タイプの肖像は、1800年頃フランスで再び流行した。聡明さと魅力にあふれる夫人は、当時多数の画家が描きとどめており、長椅子に横たわる夫人を描いた、ジャック=ルイ・ダヴィッドの肖像画(1800年、ルーブル美術館所蔵)は特に有名である。

II 素描

第6章 魅惑のイタリア・ルネサンス素描

 膨大な収蔵品数を誇る素描版画館からイタリアの素描作品30点を紹介します。
 15世紀以降のイタリアで大きな花を咲かせたイタリア・ルネサンス期の美術は、絵画彫刻だけではなく、実はさまざまな素描技法の試行錯誤の時代であると同時に、素描そのものが芸術家の創造力の記録媒体として大きな重要性を担っていた時代でもあります。素描作品の特徴は、画家たちの創造力の記録であると同時に、内面的で極めて私的な産物でありながら、絵画制作のための親方の手本帳であったり、完成作品の精密な下絵であったりと、実際的な役割ももっています。つまり、絵画や彫像の制作に先だつことから画家たちの理念や創造力の試行錯誤の過程そのものが内包されているところに最大の魅力があります。
 今回最も貴重な作品は、ボッティチェッリが西洋文学を代表するダンテの『神曲』写本のために制作した挿絵素描です。白い羊皮紙に銀筆とインクのみで描き起こされたボッティチェッリの作品には、優美にうねる髪の毛や衣紋など、彼の特徴が余すところなく発揮されているばかりか、儚く消え入るかのような筆線一本一本に画家自身の繊細な息づかいを感じることができます。さらに非常に複雑な文学作品に挿絵をつけるにあたって彼が発揮した、無駄を省いて純化された想像力の豊かさに思わず心を打たれます。これらの作品は通常、館外へ貸し出されることはありませんが、今回特別に2葉出品されることになりました。

主な作品
《ダンテ『神曲』写本》より「煉獄篇第31歌」

サンドロ・ボッティチェッリ
《ダンテ『神曲』写本》より「煉獄篇第31歌」
1480〜1495年頃 銀筆、ペン、没食子インク、羊皮紙
ベルリン国立素描版画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

サンドロ・ボッティチェッリ
《ダンテ『神曲』写本》より「煉獄篇第31歌」
1480〜1495年頃 銀筆、ペン、没食子インク、羊皮紙
ベルリン国立素描版画館

ダンテ・アルギエーレ(1265−1321年)が著した『神曲』(14世紀初めに成立)は、地獄篇・煉獄篇・天国篇からなる長編叙事詩である。横長の羊皮紙には、「地獄」と「天国」の中間に位置する「煉獄」を巡るダンテとその案内人・古代ローマの詩人ウェルギリウスの2人が何度も描かれている。罪を償い、魂の浄化のために長く厳しい山道を登り切ったダンテを上階の天国に導くために、失われた恋人ベアトリーチェが豪華な車に乗ってその目の前に現れたのである。 グリフォンが牽く車の回りには四福音書記者(鷲・天使・ウシ・獅子)などが配され、舞い踊るニンフたちの様子は、ボッティチェッリの油彩画《春》(1482年頃、ウフィッツィ美術館所蔵)などの人物描写を思い起こさせる。

九州国立博物館のみ展示
《幼児キリストと洗礼者ヨハネ(《インパンナータの聖母》の習作)》

ラファエッロ・サンティ
《幼児キリストと洗礼者ヨハネ(《インパンナータの聖母》の習作)
1511〜1512年頃
銀筆、鉛白、灰色の着色紙(ペンとインクは後世の加筆)
ベルリン国立素描版画館 ©Staatliche Museen zu Berlin

ラファエッロ・サンティ
《幼児キリストと洗礼者ヨハネ(《インパンナータの聖母》の習作)
1511〜1512年頃
銀筆、鉛白、灰色の着色紙(ペンとインクは後世の加筆)
ベルリン国立素描版画館

画面左側で左足を曲げて体を大きくひねり、右手を上方へ伸ばしながら、笑っている幼子イエスに対し、左足と左手を前方に伸ばし、右手に杖をとる幼い洗礼者ヨハネは、きまじめな表情で椅子に坐っている。複雑な動きを示す肉体に、画家は鉛白によるハイライトを加えて、立体感を強めている。 ラファエッロは、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチとならんで、イタリア・ルネサンス期を代表する芸術家の一人であり、素描によって構想を練り、入念に準備したことが知られている。この素描は、油彩画《ガラス窓の聖母(インパンナータの聖母)》(1513〜14年・メディチ家ゆかりの作品を多数収蔵するフィレンツェ・ピッティ美術館所蔵)のために準備された素描とみなされている。

ボッティチェッリ、ラファエッロ、レンブラントなど、
ヨーロッパ美術400年の名品がズラリ

ヨーロッパ美術400年

ヨーロッパ美術400年

ヨーロッパ美術400年

ヨーロッパ最古の公共博物館に端を発するベルリン国立美術館群。国をあげて収集されたそのコレクションのうち、今回やって来るのは15世紀から18世紀のヨーロッパ美術作品です。この400年のヨーロッパは、宗教改革、新大陸発見、めざましい経済的発展、三十年戦争の勃発などを経験した、激動の時代でした。この間に、イタリア・ルネサンスを代表するボッティチェッリやラファエッロをはじめ、ドイツの偉大な彫刻家リーメンシュナイダー、北方ルネサンスの巨匠デューラー。宗教改革者ルターを描いたクラーナハ(父)、光の表現を追求したオランダ出身のレンブラントやフェルメール、独自の画境を築いたフランス出身のシャルダンなどの芸術家が活躍しました。 本展はそうした名品が一堂に会する、見応えのある展覧会。作品を通して、その背景にあるヨーロッパ史までが見えてきます。

イタリアの彫刻家ドナテッロ(1386〜1466)、イタリア・ルネサンス期の画家フィリッポ・リッピ(1406〜69)やボッティチェッリ(1445〜1510)、ドイツ・ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダー(1460〜1531)、ドイツ・ルネサンス期の画家デューラー(1471〜1528)やクラナーハ(父)(1472〜1553)、イタリア・ルネサンス期のラファエッロ(1483〜1520)、フランドルのバロックの巨匠ルーベンス(1577〜1640)、スペイン宮廷画家のベラスケス(1599〜1660)、オランダ黄金時代のレンブラント(1606〜1669)やフェルメール(1632〜1675)、フランス啓蒙時代のジャン=バティスト=シメオン・シャルダン(1699〜1779)やジャン=アントワーヌ・ウドン(1741〜1828)らの作品が九州国立博物館に勢揃いします。