特別展

特別展
中国 王朝の至宝
特別展鑑賞マニュアル動画「中国のつぼ」【約2分】
本展のみどころ
王朝のダイナミズムを体感する!!
初期王朝から宋時代まで。およそ3000年間の歴史を一望に。
圧巻の規模!!
各2地域・6章構成。12の特色ある文化に出会えます。
あの名品をもう一度!!
美術大全集や展覧会でお馴染みの、エース級の名品が勢揃い。

会期
平成25年7月9日(火)〜9月16日(月・祝)


休館日
月曜日
*7月15日(月・祝)、8月12日(月)、9月16日(月・祝)は開館、7月16日(火)は休館


会場
九州国立博物館 3階 特別展示室


開館時間
午前9時30分〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)


出品目録


観覧料
一 般1,500円(1,300円)
高大生1,000円(800円)
小中生 600円(400円)
*(  )内は前売りおよび団体料金(20名以上の場合)
*上記料金で九州国立博物館「文化交流展(平常展)」もご覧いただけます。
*障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に障害者手帳等(*)をご提示下さい。
(*)身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳、特定疾患医療受給者証
*満65歳以上の方は前売り一般料金でご入場いただけます。チケット購入の際に年齢が分かるもの(健康保険証・運転免許証等)をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご入場いただけます。チケット購入の際に学生証、教職員証等をご提示ください。


前売券
ローソンチケット(Lコード85824)、チケットぴあ(Pコード765-650)、セブン-イレブン(セブンコード022-809)、イープラス・ファミリーマートほか主要プレイガイドで発売中。
*会期中の電子チケットは当日料金での販売となります。


お問い合わせ
050-5542-8600(NTTハローダイヤル午前8時〜午後10時)


注目の作品〔1〕
“兵馬俑”
その抜群の知名度はダテじゃない!!
跪射俑

一級文物 跪射俑(きしゃよう)

陶、彩色 高121.0、幅66.0、奥行60.0
秦・前3世紀 秦始皇帝陵博物院蔵

一級文物 跪射俑(きしゃよう)

陶、彩色 高121.0、幅66.0、奥行60.0
秦・前3世紀 秦始皇帝陵博物院蔵

秦の始皇帝(しこうてい)(前259〜前210、在位前247〜前210)は、39歳で東方の六国を平らげて戦国の乱世に終止符をうち、中国史上初めて皇帝を号して、郡県制の実施や度量衡の規格統一などの国家施策を遂行した。始皇帝陵の周辺には、等身大の陶馬や陶製人形(俑)をおさめる地下施設(兵馬俑坑)がつくられた。
本品は、戦車や兵士、戦馬など1372体ともいわれる陶製の兵馬をおさめた第2号坑から見つかった兵士俑。右脇に弩(ど)(ボウガン)をかまえた臨戦態勢をとる。秦の軍団をそのまま地中に再現したと思えるほどの生けるがごとき作行きは、歴代王朝のなかでも特にすぐれたものである。

弩

始皇帝陵の銅車馬坑から出土した 弩の他、矢、矢箱も展示される。


注目の作品〔2〕
破格の仏塔をその目で。
阿育王塔

一級文物 阿育王塔(あいくおうとう)

銀・水晶・メノウ・ガラス・木、鍍金 高119.0
北宋・大中祥符4年(1011) 南京市博物館蔵

一級文物 阿育王塔(あいくおうとう)

銀・水晶・メノウ・ガラス・木、鍍金 高119.0
北宋・大中祥符4年(1011) 南京市博物館蔵

阿育王塔とは、紀元前3世紀、インド・マウリヤ朝の第3代王アショーカ(阿育王)が八万四千基の仏塔を建てた故事にならって、後世の人が作った仏塔である。
本品は、2008年、南京の名刹長干寺(ちょうかんじ)から発見された。これまで知られていた阿育王塔は高さ20cmほどの小さなものばかりであったが、本品は高さ119cmという破格の大きさを誇る。木胎に鍍金をほどこした銀板をかぶせ、表面には水晶、メノウ、ガラスなどをはめて飾り立てる。塔身には仏陀の前世の説話である「本生(ほんじょう)図」をあらわす。近年発見された仏教関連遺物のなかで最も重要な作品である。

阿育王塔

阿育王塔(あいくおうとう)

青銅 高 17.5、底幅 8.0
五代時代・顕徳 2 年(955) 浙江省博物館

阿育王塔(あいくおうとう)

青銅 高 17.5、底幅 8.0
五代時代・顕徳 2 年(955) 浙江省博物館

同じ第6章で展示される標準的な大きさの 阿育王塔。


ごあいさつ

中国で最初期の王朝が誕生してからおよそ4000年の間、中国各地にはいくつもの王朝が興隆し、特色ある豊かな文化が育まれてきました。それらは、時に相互に影響を与えつつ多様な展開をとげ、世界に冠たる中国文化を形成していきました。そして、日本をはじめ、近隣諸国にも多大な影響を及ぼしていったのです。

この展覧会は、中国文化のいわば創成期にあたる夏(か)・殷(いん)から、その一つの頂点をむかえた宋まで、中国歴代の王朝の都ないし中心地域に焦点を当て、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示するという新たな手法によって、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫ろうとするものです。

日中国交正常化40周年を記念して開催されるこの展覧会が、日中両国の相互理解と交流をなお一層深め、広げる機会になるとともに、両国の人々を結び付ける大きな架け橋ともなってきた、文化の意義に改めて思いを馳せていただく機会となれば幸いです。

この展覧会の開催に際して多大なご助力、ご支援を賜りました中国文化部、中国国家文物局、中国文物交流中心をはじめ、関係各位に対し、深く感謝の意を表します。

2013年5月 主催者

展覧会構成
*画像はクリックすると拡大します。
第1章 王朝の曙 「蜀(しょく)」と「夏(か)・殷(いん)
- 神秘の仮面王国と初期王朝 前2000 年〜前9 世紀 -
第1章

長江上流域の四川・成都平原。古来蜀と呼ばれるこの地には、殷王朝とほぼ同時代の古代王国が存在した。その中心をなす三星堆(さんせいたい)遺跡では、殷文化の影響を受けつつも、目を突き出した奇異な仮面や多量の金装飾など、他の地域にはみられない独自の文化が発展した。
黄河中下流域の平原、いわゆる中原地帯では、大規模な宮殿址などとともに、精巧かつ重厚な青銅祭器が大量にみつかっている。強力な王朝が、多くの民衆をしたがえて、これらの生産にあたったと考えられる。


主な作品
方鼎

一級文物 方鼎(ほうてい)

青銅 高82.0
殷・前16〜前15世紀  河南博物院蔵

一級文物 方鼎(ほうてい)

青銅 高82.0
殷・前16〜前15世紀  河南博物院蔵

肉などをいれて煮込み、神々や先祖の霊前に捧げるための祭器。器の側面中央には、獣面文(饕餮(とうてつ)文)をあらわしているが、これは天の最高神とも土地の神ともいわれる。殷王朝の中心部では、鋳造技術の発達に伴って、このような大型青銅器が多数作られた。巨大な青銅器を生産していくためには、資源を安定的に確保するとともに、専門的な工房を統括していく組織、すなわち強大な統治機構が必要である。このような巨大な青銅器に、殷の権力の大きさが示されているといえよう。

突目仮面

一級文物 突目仮面(とつもくかめん)

青銅 高82.5、幅77.4
殷・前13〜前11世紀  四川広漢三星堆博物館蔵

一級文物 突目仮面(とつもくかめん)

青銅 高82.5、幅77.4
殷・前13〜前11世紀  四川広漢三星堆博物館蔵

1986年、四川省の広漢(こうかん)市郊外の三星堆(さんせいたい)遺跡で、青銅器や金製品など数千点もの遺物がまとまってみつかり、古代蜀王国の発見として脚光を浴びた。なかでも本品のように突き出た目や張り出した耳、上方へ高く伸びた飾りをもつ異形の仮面は、古代蜀王国の独自性や卓越した造形感覚を存分にみせつけるものである。

第2章 群雄の輝き 「楚(そ)」と「斉(せい)・魯(ろ)
- 百花繚乱の美 前8 世紀〜前4 世紀 -
第2章

殷に続いて中原を支配した周王室の威光に陰りがさすと、各地で諸侯が台頭し、ここに群雄並び立つ春秋戦国時代が幕を開けた。
長江中流域では楚国が隆盛を極めた。楚国は、独自の風習や信仰を守り続け、他の地域にはみられない特徴ある器物を生み出した。
黄河下流域では、周王室の流れをくむ斉国や魯国が割拠した。周の技術や伝統を受け継ぎながらも、それらを発展させ、さらに新たな材質や技法を駆使して、躍動感あふれる造形を生み出した。


主な作品
鎮墓獣

一級文物 鎮墓獣(ちんぼじゅう)

木・漆・鹿角 高144.0、長150.0、幅125.0
戦国・前4世紀 荊州博物館蔵

一級文物 鎮墓獣(ちんぼじゅう)

木・漆・鹿角 高144.0、長150.0、幅125.0
戦国・前4世紀 荊州博物館蔵

戦国七雄のひとつである楚国では、墓のなかに鹿角をつけた怪獣をおく風習があった。それらは墓の入口や通路に置かれることから、侵入者を退散させるなど、墓守の役を担っていたと考えられる。
本品は、台座のうえに体をS字にくねらせた2頭の獣を立てる。獣は大きな瞳に長い舌をもち、角は雄々しくのびている。現代の我々からみると奇抜にうつるこうした造形は、楚の人が得意としたものであり、戦国時代の周辺諸国にもみられない独特のものである。

犠尊

一級文物 犠尊(ぎそん)

青銅、金銀緑松石等象嵌 高28.3、長48.0
戦国・前4〜前3世紀  斉国故城遺址博物館蔵

一級文物 犠尊(ぎそん)

青銅、金銀緑松石等象嵌 高28.3、長48.0
戦国・前4〜前3世紀  斉国故城遺址博物館蔵

動物をかたどった容器であり、史書で「犠尊」と呼びならわされているものに相当する。背中に蓋がつき、ここから酒をいれて、口から注ぎ出せるようになっている。体の表面には金銀や緑松石(トルコ石)などを象嵌する。

第3章 初めての統一王朝 「秦(しん)」と「漢(かん)
- 名君のダイナミズム 前3 世紀〜 3 世紀 -
第3章

戦国七雄のうち、もっとも西に興った秦は、次第に東へと拠点をうつして蜀や楚など周辺諸国を次々と撃破。前221年には最後にのこった斉国を滅ぼして天下統一を果たした。秦の絶大なる国力は、秦始皇帝陵の陪葬坑(ばいそうこう)におかれた8000体にもおよぶ兵馬俑が雄弁に物語る。
短命におわった秦の版図を引き継いだのが、劉邦(りゅうほう)が建てた漢である。漢の文物は、前代に比べて遙かに豊富な内容をもち、軽快で華やかな作風を示すものが多い。


主な作品
跪俑

一級文物 跪俑(きよう)

陶、彩色 高112.0、幅57.0、奥行82.0
秦・前3世紀  陝西省考古研究院蔵

一級文物 跪俑(きよう)

陶、彩色 高112.0、幅57.0、奥行82.0
秦・前3世紀  陝西省考古研究院蔵

始皇帝陵の兵馬俑といえば、直立した兵士の姿を思い浮かべる方も多いだろうが、近年は兵士以外の俑も見つかっている。
本品は、膝を突いて体を起こした男性俑である。右腕は肘(ひじ)を曲げて高くあげている。右手には棒状の道具を握っていたように思われ、そのしぐさと視線は、眼下に向けられる。この俑がおかれた地下施設では、青銅製の白鳥、鶴、雁などが川辺で餌をついばむように並べられていた。この河川を模した地下施設では、皇帝祭祀に供する水禽を飼育する場所で、この俑は、その管理・捕獲の任にある衛士を模しているとの説もある。

竹節柱博山炉

一級文物 竹節柱博山炉(ちくせつちゅうはくさんろ)

青銅、鍍金銀 高58.0、口径9.0、底径13.3 前漢・前2世紀  陝西歴史博物館蔵

一級文物 竹節柱博山炉(ちくせつちゅうはくさんろ)

青銅、鍍金銀 高58.0、口径9.0、底径13.3 前漢・前2世紀  陝西歴史博物館蔵

博山とは大海にそびえるという山で、これをかたどった香炉を博山炉という。台座には2頭の龍がおり、大きく開けた口から竹を模した柱がのびて、三つ叉にわかれる龍頭が香炉を支える。
台座と蓋に刻む銘文から、本品は前137年に前漢王朝の宮殿に用いるために官営工房で制作され、翌年に高級貴族の一人に下げわたされたと考えられる。現在しられている博山炉のなかでも大ぶりで技巧にも長け、前漢時代の最盛期である武帝(在位前141〜前87)の治世にふさわしい優れた作行きである。

第4章 南北の拮抗 「北朝」と「南朝」
- 突き進む中国美術 5 世紀〜6世紀 -
第4章

漢の滅亡後、魏、呉、蜀の三国鼎立、五胡十六国の時代など、時代は目まぐるしく変化し、文化芸術は大きな減速を余儀なくされた。この状況を打破したのが、北方民族の拓跋鮮卑(たくばつせんぴ)が建てた北魏(ほくぎ)などの北朝政権と、漢人政権が長江下流域、江南の地に建てた東晋(とうしん)などの南朝政権である。
北朝の版図はシルクロードに直結することから、絶えず人と物が往来した。器物や装飾には新たな風が吹き込まれ、美術の世界に変化が起こった。
南朝では、建康(現 南京)に都をおく時代が270年ほど続き、漢文化の伝統を保持しつつ内なる研鑽が試みられ、陶磁や書の分野において一時代を築いた。


主な作品
天人龍虎蓮華文柱座

一級文物 天人龍虎蓮華文柱座(てんにんりゅうこれんげもんちゅうざ)

石 一辺32.3、高16.7
北魏・太和8年(484)  山西博物院蔵

一級文物 天人龍虎蓮華文柱座(てんにんりゅうこれんげもんちゅうざ)

石 一辺32.3、高16.7
北魏・太和8年(484)  山西博物院蔵

北魏では、地下墓のなかに仮屋を建てる風習があった。仮屋の四隅には、本品のように柱をたてるための礎石をおいた。方形の基台には唐草文や天人を浅く浮彫りし、四方に丸彫りの楽人を配する。基台の上にのる円形の蓮台には龍と虎を半肉彫りであらわす。
本品は、北魏の名家・司馬金龍(しばきんりゅう)の墓から出土したものである。金龍の父・司馬楚之(しばそし)は、もと東晋の宗室であったが、のちに北魏に亡命し、風俗習慣は北魏のそれに同化していったとみられる。

王建之墓誌

一級文物 王建之墓誌(おうけんしぼし)

石 縦25.8、横45.8、厚3.5
東晋・泰和6年(371)  南京市博物館蔵

一級文物 王建之墓誌(おうけんしぼし)

石 縦25.8、横45.8、厚3.5
東晋・泰和6年(371)  南京市博物館蔵

墓誌は、生前の事績を刻んで墓におさめるものである。ときに史書にもない歴史記事を記載することから高い価値を有する史料であるとともに、当時の書法をいまに伝える貴重な芸術作品でもある。本品は、琅邪(ろうや)王氏の一員である王建之の事跡を刻んだ墓誌。琅邪王氏は、書聖の誉れ高い王羲之(おうぎし)を輩出するなど、東晋時代における書法の発展と美意識の確立に大きな役割を果たした。王建之の墓誌もまた、その家柄にふさわしく格調ある文字である。

第5章 世界帝国の出現 「唐」 - 長安と洛陽
- 美を謳歌する国際都市 7 世紀〜 9 世紀 -
第5章

南北朝の対立に終止符を打った隋を受けた唐王朝のもとで、文化芸術はいよいよ爛熟の時代をむかえる。都の長安と副都の洛陽では、国際色と進取の気風に富んだ、華麗な文化が育まれた。


主な作品
女性俑

一級文物 女性俑(ほうてい)

陶、加彩 高74.7cm
唐・8世紀  西安博物院蔵

一級文物 女性俑(ほうてい)

陶、加彩 高74.7cm
唐・8世紀  西安博物院蔵

隋から唐にいたる侍女のすがたは、細身から豊満へとうつろいゆき、8世紀中頃には、本品のように、実にふくよかな姿をみせるようになる。楊貴妃が生きた時代の美意識を伝えるとともに、唐時代の豊かさをも象徴する。

蛤形合子

一級文物 蛤形合子(はまぐりがたごうす)

銀、鍍金 最大径9.5
唐・大暦13年(778)  中国社会科学院考古研究所蔵

一級文物 蛤形合子(はまぐりがたごうす)

銀、鍍金 最大径9.5
唐・大暦13年(778)  中国社会科学院考古研究所蔵

2枚の銀板で作った、蛤形の小物入れ。表裏ともにつがいの鴛鴦(おしどり)と草花を繊細な彫刻技術で活き活きとあらわす。墓からの出土品であり、香料や薬剤あるいは化粧料などを入れ、故人が生前に愛用していたものとも考えられる。

第6章 近世の胎動 「遼(りょう)」と「宋(そう)
- 新たな時代のはじまり 10 世紀〜13 世 -
第6章

遼は契丹(きったん)ともいい、唐滅亡後のユーラシア東部に雄飛した遊牧国家。唐の遺風を感じさせる華やかな美意識と、遊牧の民ののびやかな造形を見事に融合させ、味わい深い文化を形成した。
遼に遅れること半世紀。黄河流域の開封(かいほう)を首都に、宋が誕生した。宋では学問が成熟し、士大夫(したいふ)とよばれる上流階層が文化の担い手となった。宋の書画や陶磁器は、士大夫の好みにふさわしい、深い精神性をそなえたものが主流となった。


主な作品
菩薩坐像

菩薩坐像(ぼさつざぞう)

青銅、鍍金 高30.0cm
北宋・11世紀  浙江省博物館蔵

菩薩坐像(ぼさつざぞう)

青銅、鍍金 高30.0cm
北宋・11世紀  浙江省博物館蔵

弓なりに刻んだ眉や、伏し目で小さな口をつぐむ表情は、唐時代から引き継がれたもの。両肩にかかる天衣には、鏨(たがね)で細かな唐草文様をきざみ、着衣にも宝相華文様をきざむ。制作当初は鍍金(ときん)によって全身を金色にみせ、そこに刻んだこれらの文様が美しく浮かび上がったことであろう。

方盤

一級文物 方盤(ほうばん)

ガラス、銀 高2.0cm、一辺9.8cm
遼・10世紀  遼寧省博物館蔵

一級文物 方盤(ほうばん)

ガラス、銀 高2.0cm、一辺9.8cm
遼・10世紀  遼寧省博物館蔵

小ぶりながらも均整のとれた良質のイスラームガラス製品であり、遼の国力と交易圏の広さを示す逸品。周囲をめぐる銀縁は、当時の補修によるものであり、大切に扱われていたことを示唆する。

本特別展で取り上げた歴代王朝年表
歴代王朝年表

主催
九州国立博物館・福岡県、中国文物交流中心、NHK 福岡放送局、NHKプラネット九州、毎日新聞社、西日本新聞社


共催
(公財)九州国立博物館振興財団


特別協力
太宰府天満宮


後援
外務省、中国国家文物局、中国大使館、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、九州・沖縄各県教育委員会、福岡市教育委員会、北九州市教育委員会、太宰府市、太宰府市教育委員会、西日本リビング新聞社、cross fm、FM FUKUOKA、LOVE FM、西日本鉄道、九州旅客鉄道、一般社団法人日本自動車連盟福岡支部、NEXCO西日本九州支社、(一社)福岡県タクシー協会、(一社)福岡市タクシー協会、福岡商工会議所、太宰府市商工会、太宰府観光協会、一般社団法人日本旅行業協会九州支部、NHK文化センター、(株)毎日メディアサービス、西日本文化サークル連合、西日本新聞TNC文化サークル


協賛
信越化学工業、大日本印刷、三井住友海上、ふくや、(公財)福岡文化財団


協力
全日本空輸、東京中国文化センター


監修
東京国立博物館


本展は、政府による美術品補償制度の適用を受けています。
本展は、政府による美術品補償制度の適用を受けています。