【特別展関連コラム】あの日の中国
万里の長城。その名を聞けば、多くの人はレンガ作りの城壁がうねうねと山肌を縫う姿を想像するだろう。しかしそれは明の時代以降の比較的新しい姿である。90年代の後半から新世紀のはじめにかけて、学生だった私が参加していた日中合同の考古学調査では、いわゆる「万里の長城」の測量調査というプロジェクトがあったが、そこで対象とした長城は紀元前4世紀前後の戦国時代。土を突き固めて築いたものであった。比較的平坦な地形に築かれたその長城は、今では草が生い茂り、地元の人が羊を放牧。北の遊牧民の南下を食い止める防衛最前線といった緊張感はどこにもなかった。
長城の測量調査はだいたい学生4人でおこなう。朝、食事とミーティングを済ませると、測量資材と我々を荷台に積んだトラックは町の郊外の長城遺跡へと向かう。それから夕方までみっちり測量である。昼食も時間の節約から長城のふもとで食べる。定番メニューは洗面器ほどの琺瑯容器に山盛りのチャーハン。これを皆で分け合うのだが、青空の下で食べる具の少ないチャーハンというのはことのほか美味である。
ある日の昼下がり、いつものように長城で昼食を終えて一息ついていたら、群生する白く可憐な花がふと視界に飛び込んできた。あの花の名前はなにかと、私はアンウェイさんにたずねた。我々がアンウェイさんと呼んで慕っていたその人は地元の発掘技師で、発掘で鍛え上げた肉体と日焼けが眩しいおじさんであった(写真むかって右)。アンウェイさんは「あの花は△×◎だ」と答えた。しかし、私の未熟な語学力ではその△×◎が聞き取れなかった。合点のいかない様子の私をみて、「君はたしか辞書をもっているだろ。ちょっと貸してみなさい。」とふたたびアンウェイさん。でも私が持っているのはアイウエオ順の日中辞典だけであった。それでかまわんと言うので、私はその日中辞典を貸してあげた。
午後の測量がはじまり、我々は黙々と作業を続けた。その間もアンウェイさんは少し離れた草地に一人腰をおろし、ずっと辞書をめくっていた。どれくらいたっただろうか。測量図面を描きつつもふと人の気配を感じたので顔をあげると、そこにアンウェイさんが立っていた。手には日中辞典。その指さす一項目には「そば:荞麦(qiaomai)」とあった。白い花の正体はソバの花だったのだ。
日本語のまったくできないアンウェイさんが、どれほどの執念で日中辞典の頁を繰ったのか。私は辞書におとしていたまなざしを、尊敬の念をもってアンウェイさんに向けた。とおくで鳥がないた。私とアンウェイさんは互いに「荞麦、荞麦」と繰り返しては微笑み合った。
固原でお世話になった発掘技師の二人と(中央筆者)
次回予告
6日目「甘い水を飲むおじさんとドライブ」 9月初旬掲載予定。お楽しみに。
筆者 市元塁のプロフィールはこちら