【特別展関連コラム】あの日の中国

【特別展関連コラム】あの日の中国
第6回「6日目 甘い水を飲むおじさんとドライブ」
市元 塁

内モンゴル自治区の北東部にアリフ(阿里河)鎮という小さな町がある。2002年当時、吉林省の長春市で学生をしていた私は、高鳴る胸の鼓動をおさえつつ、週に一度の長春とアリフをつなぐ列車に飛び乗った。

アリフには北魏王室が祖先祭祀をおこなった洞窟がある。カッセン洞という。北魏の研究をしていた私は、ぜひとも行かねばとかねて画策をしていたのだ。

アリフは小さな町。歩いてすぐ、目抜き通り沿いに博物館をみつけた。展示品はほとんどがレプリカだったが、遊牧騎馬の民である拓跋鮮卑が拠点を移しつつ力をつけて北魏を建国し、洛陽に都を遷すまでの歴史がつづられていた。 私は、博物館の職員にカッセン洞までの行き方を尋ねた。タクシーですぐだという。地元では観光名所となっているらしい。

カッセン洞は自然の洞窟を利用した祭祀場で、入口脇に北魏時代の銘文が刻まれている。「ここが北魏王室の聖地か…」。私は興奮をおさえつつ洞内を歩き、メモと写真をとった。その時、外から数人の男性の声が聞こえてきた。中肉中背のおじさん3人組であった。その一人が「おいボウズ、こんなところまで一人で来たのか」と声をかけてきた。私は日本から来たこと、北魏の文化に関心があることを告げた。おじさん3人組は、いずれもアリフの東にある黒竜江省の地方都市ジャガダチ(加格達奇)の政府職員で、観光部署にお勤めとのことであった。

私はおじさん達とカッセン洞の周囲を散策した。小川があった。おじさんの説明によるとこの川はいにしえより「甘河」と言い、その名の通り甘いのだという。中肉中背のおじさん3人組は喜々として水をすくっては口に含み、「甘い甘い」と繰り返した。

そろそろカッセン洞をあとにする時間になった。ジャガダチのおじさんが自分たちの町まで車で連れていってあげるという。私はありがたく便乗することにした。

おじさん3人組との車中は実に愉快だった。互いに冗談を言いつつ、時にはしっかり勉強するようにと私を諭してくれる。そうこうして太陽が西に傾きかけたころだった。運転していたおじさんが何もない荒野の一本道で不意にエンジンを切った。ローレンス・ブロックの短編『おかしなことを聞くね』を読んだことのある方なら、このときの恐怖と不安がよくお分かりだろう。緊張で体が強ばる私に、助手席のおじさんが言った。「ほら、よく見ておけよ」

するとどうだろう、エンジンを切ったはずの車がゆるゆると坂道を登って行くではないか。地元では怪坡(フシギな坂道)と言うそうだ。車は坂道のてっぺん付近までのぼり、そして静かに停止した。運転席のおじさんが再びエンジンをまわした。「ジャガダチまでもうすぐだ」と助手席のおじさんが言った。

北魏帝室の祭祀場 カッセン洞(2002年)

北魏帝室の祭祀場 カッセン洞(2002年)

次回は、いよいよ最終話
最終日「重慶ブルース」9月中旬掲載予定。お楽しみに。

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