前221年、秦の国王・嬴政(えいせい)は、戦国の乱世を勝ち抜いて天下統一を果たし、始皇帝を名乗りました。始皇帝は生前から自身の陵園の造営に着手し、その巨大な陵墓のほど近くに埋められた8000体の陶製の兵士や馬 - 兵馬俑 - は、20世紀最大の考古学的発見ともいわれています。
本展では、最新の発掘成果を取り入れながら、秦王朝と始皇帝にまつわる重要かつ多彩な文物を一堂に紹介します。西方の小国であった秦は、かつて黄河流域を中心に一大勢力を誇った西周王朝とどのような関係にあったのでしょうか。また近年明らかになりつつある秦の帝都と陵園の実像とはどのようなものでしょうか。
そして始皇帝は兵馬俑に何を託したのでしょう。約120件の展示品を通して、知られざる秦王朝と始皇帝の実像に迫ります。
秦は、かつて黄河流域を中心に一大勢力を誇った西周王朝に帰属する小国でした。その秦の遺跡からは、西周王朝のものと見まがうほどの装飾品や、儀礼の道具が出土しています。
これにより、秦が多分に西周王朝を意識していたことがうかがえるわけですが、そこには西周の次に天下を治めるのは自分たちであるとの意気込みが見え隠れします。
春秋時代・前8〜前5世紀
宝鶏市楊家溝太公廟村出土
宝鶏青銅器博物院
姿かたちは西周王朝の鐘そのものの秦の鐘。
鋳込まれた銘文には先祖の加護のもと秦の領土が拡大するよう祈念。
西周時代・前10 〜前9世紀
扶風県強家村出土
宝鶏市周原博物館
玉の淡い緑と瑪瑙(めのう)の赤の取り合わせは、西周王朝の王侯が高い身分のしるしとして身に着けたもの。その意匠は秦へと引き継がれます。
春秋時代・前8〜前7世紀
韓城市梁帯村27号墓出土
韓城市梁帯村古墓葬群文物保護管理所
始皇帝の生前の住まいである咸陽(かんよう)宮殿と、いわば死後の住まいである陵園から出土した建築部材を通して、始皇帝時代の実像に迫ります。
戦国〜秦時代・前3世紀
咸陽市咸陽宮殿址出土
秦咸陽宮遺址博物館
秦の都、咸陽に築かれた宮殿建築には、最先端のインフラが整備されていました。それがこの下水道管。下水道管は地中に埋設するため、土圧に耐え得る堅牢さが要求されます。そこで採用されたのが粘土を叩き締めるという技法。のちにその技術は、始皇帝陵の建設や兵馬俑の製作にも応用されました。
兵馬俑の傑出した写実性は、始皇帝が死後も皇帝として永遠に世界を支配しようとしていたことを物語ります。また、実物の2分の1で作られた銅車馬は、始皇帝の霊魂の行く末を暗示します。
戦国時代・前4〜前3世紀
咸陽市塔児坡28057号墓出土
咸陽市文物考古研究所
手のひらにのるほどの小さな騎馬俑。秦では、現実世界の人や物をこのように小型化させるなどして墓に納める習慣が、他地域に先んじて広まりました。こうした発想は、のちに始皇帝の兵馬俑へと継承されたと考えられます。
西安市臨潼区
秦始皇帝陵
1号兵馬俑坑出土
西安市臨潼区
秦始皇帝陵
1号兵馬俑坑出土
西安市臨潼区
秦始皇帝陵
2号兵馬俑坑出土
秦時代・前3世紀
秦始皇帝陵博物院
8000体ともいわれる兵馬俑は、基本的に等身大。顔の表情はどれも異なり、現実世界をそのままに引き写そうという徹底ぶりのほか、始皇帝が、死後もなお皇帝であり続けようとしたことがうかがえます。兵馬俑こそは始皇帝の永遠なる夢を体現したものといえるでしょう。
原品:秦時代・前3世紀
西安市臨潼区秦始皇帝陵銅車馬坑出土
秦始皇帝陵博物院
始皇帝陵の西面、墳丘に寄り添うように築かれた地下坑から、2輛の銅車馬が出土しました。始皇帝の霊魂を載せた車とその先導役の車であると考えられています。本展では、秦始皇帝陵博物院が製作した精巧な複製を展示します。(写真は原品)