これはアフガニスタン国立博物館の入口に掲げられている言葉です。アフガニスタンにとって、いや世界中の人々にとって自らの文化を守ることがどれほど大事なことかは言うまでもありません。しかし、現実には世界の各地でさまざまな理由によって文化遺産が失われていることも事実です。本展覧会でご紹介するのは、まさに命懸けで守りぬかれたアフガニスタンの古代文化の粋です。内戦やテロといった苦難をくぐり抜け、今なおさんぜん燦然と輝き続けるアフガニスタンの至宝の数々は、私たちの心に自国の文化を尊ぶことの重要性を強く訴えかけてきます。
アフガニスタンは、インドの北西に位置し、パキスタン、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国に囲まれた内陸の国です。古来、シルクロードの通るこの地域は、東西南北の文化が行き交う「文明の十字路」と呼ばれてきました。本展覧会では、前2100年頃から2世紀頃にかけて古代のアフガニスタンで栄えた文化を、4つの遺跡から出土した名宝によってご紹介します。
これらは首都カブールにあるアフガニスタン国立博物館に所蔵されていました。しかし、
1979年のソ連侵攻とそれに続く内戦などにより、博物館は甚大な被害を受け、収蔵品の多くは永遠に失われてしまったと考えられてきました。しかし、国の宝を守ろうとした勇気ある博物館員は、とりわけ貴重な文化財を秘密裏に運び出していました。
2004年4月、秘宝を大切に保管していた金庫の扉が再び開かれました。本展覧会はこれらの秘宝の再発見を契機に、アフガニスタンの文化遺産の復興を支援するために企画された国際巡回展です。2006年以来、世界10カ国で開催、すでに170万人以上が来場しています。
奇跡的に守られた古代アフガニスタンの至宝231件に加え、日本での展覧会では内戦のさなかにアフガニスタンから不法に持ち出され、日本で「文化財難民」として保護されてきた流出文化財15件をあわせて紹介します。
数々のドラマをくぐり抜けて今日に伝わるシルクロードの秘宝は、新たなアフガニスタンのイメージをあなたの胸に強烈に焼き付けることでしょう。
アフガニスタンの北東部で、1966年に偶然発見された前2100〜前2000年頃の青銅器時代の遺跡。金銀器を副葬した墓地の一部と推定される。この遺跡は当時から貴重品だったラピスラズリの原産地に近く、テペ・フロールはメソポタミア文明とインダス文明とをつなぐ役割を担っていたと考えられている。
前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王は東方に遠征し、アフガニスタンの地を訪れた。その後、前300年頃にアフガニスタン北部に作られたギリシア人の植民都市がアイ・ハヌムである。アクロポリスと2本の川で囲まれた要害の地に、神殿、宮殿、体育場、半円形の劇場などが築かれ、見事なギリシアの都市が建造された。コリント式の柱頭を用いた建築、ギリシア語碑文、ギリシアの神々の像が出土し、まさに東方に花開いたヘレニズム文化がよみがえる。
地元の言葉で「金の丘」を意味するティリヤ・テペ。アフガニスタン北部に位置するこの地で、1978年、遊牧民の有力者の墓が手つかずの状態で発見された。6基の墓に埋葬されていたのは女性5人と男性1人で、副葬された愛用品や身に着けていた装身具、衣服にちりばめられた装飾品には金やトルコ石がふんだんに用いられ、「バクトリアの黄金」と称されるにふさわしい輝きを放っている。その繊細な造形美や人物・動物の表情は多くの人々を魅了する。
ベグラムは首都カブールの北約70km、海抜1600mの高地にある都市遺跡。1〜3世紀に中央アジアから北インドを支配したクシャーン朝の夏の都で、古代のカーピシー国の首都でもあった。都城の中で、入り口をレンガで厳重にふさいだ2つの部屋を発掘したところ、ローマやエジプトなど地中海世界のガラスや青銅、石膏製品、インドの象牙製品、また中国の漆器などが大量に発見され、大きな注目を集めた。 ギリシア・ローマの神々やインドの女神像、色鮮やかなガラス製品などは、 シルクロードを経由した東西交易がさかんだったことを物語る。
アフガニスタン国内が混乱を極めていたさなか、カブールの国立博物館や国内各地の遺跡から多数の文化財が略奪され、不法に国外に持ち出された。その一部はわが国にも運ばれた。シルクロードを生涯のテーマとして描き続けた日本画家の平山郁夫氏は2001年、これらの「流出文化財」を「文化財難民」と位置づけ、ユネスコの同意のもと「流出文化財保護日本委員会」を設立、再びアフガニスタンに平和と安定が取り戻されるまでわが国で保護することを提唱した。これに賛同した方々から譲渡された文化財は、同委員会が保全管理してきた。本展覧会を契機にアフガニスタンへ無事に返還されることになった102件の文化財のうち、15件を特別出品する。