多良間村の高田海岸の沖では、19世紀に座礁・沈没したオランダ商船の積荷の一部が発見されています。
モンゴルの国字パスパ文字が刻まれた印。元軍の将校が弘安の役の際に使用したと考えられています。
琵琶湖の北限に近い葛籠尾崎では、大正時代から土器などが引き揚げられています。
水中から大量の武器類(大砲の弾など)が発見されています。
地元漁師の証言のもと、相島の沖にある平安時代の瓦が集まる遺跡を探査しています。
水中遺跡は出土品の保存状態が良好な場合が多く、特定の瞬間をそのまま残したタイムカプセルともいうべきものです。特に、沈没船の積荷は海を渡って行なわれた交易の様相を知ることができる貴重な資料です。長崎県小値賀島の山見沖海底遺跡からは、16世紀の東南アジア産の遺物が発見されています。船体などは残っておらず、積荷が流されて広い範囲に散らばっているような状態で発見された遺跡です。それでも、ちょうど東南アジアに日本人町が作られ、国際貿易が盛んな時期の遺跡であるため、注目を集めています。一方、タイで発見されたシーチャン沈没船は、積荷の一部が沈没したそのままの状態で発見されています。タイと日本、遠く離れた場所にある遺跡でも、積荷の種類など比較研究を進めていくことにより当時の国際貿易の実態を詳しく知ることが出来ます。
小値賀島の山見沖海底遺跡からは、16世紀頃の東南アジア産の遺物が多く見つかっています。このインゴットは、溶かされて鉄砲の弾の原料として使われたのでしょうか?タイから運ばれたと考えられています。
山見沖海底遺跡のものと同じインゴットが大量に出土しています。日本にも同じように鉛が輸入されたのでしょうか?