人体の仕組みを正確に知ることは、病気を治療するために基本的なことです。このため人類は、洋の東西を問わず、人体の構造に深い関心を寄せてきました。その手段として、遺体の解剖が行われ、とくに西洋においては解剖書が出版されて、医学の発展に寄与しました。 東洋医学よりも格段に具体的に、人体の仕組みを表現した西洋医学の解剖書は、近世の日本に大きな影響を与えました。前野良沢(まえのりょうたく)や杉田玄白(すぎたげんぱく)による『ターヘル・アナトミア』翻訳と『解体新書』出版が、わが国における蘭学勃興の端緒となり、近代医学のはじまりを告げたことはあまりにも有名です。
この特別公開では、はじめての近代的な解剖書であり、『ターヘル・アナトミア』にも影響を与えた、ベサリウス著『ファブリカ』初版本を九州で初公開するとともに、『レメリン解剖書』や『ターヘル・アナトミア』など、近世日本にもたらされた西洋解剖書と日本における翻訳書をあわせて展示し、解剖書をつうじた近世の日本と西洋との交流を紹介します。
ヨハン・レメリン著 オランダ 1613年
医療法人原三信病院蔵
本書はラテン語の解剖書『小宇宙鑑』“Pinax microcosmographicus”の初版本。著者のヨハン・レメリン(1583〜1632)は、ドイツのウルムで生まれ、チュービンゲン大学で哲学と医学を学び、1617年までウルムで市医を務めた。ラテン語版は著者自身が増補し、1619年に通算第4版が出たが、その後も各国語に翻訳された。解剖図に紙を貼り付けて、紙をめくると内臓がみえる複雑な構造に作っている。1667年に出版されたオランダ語版が長崎において漢文に翻訳されたが、その複雑な構造ゆえに、出版は明和9年(1772)と大幅に遅れた。『解体新書』翻訳出版のわずか2年前のことである。
ヨハン・アダム・クルムス著 オランダ 1732年
九州国立博物館蔵
本書はポーランド人医師クルムス(1689〜1745)が1722年にダンツィヒ(現在はポーランドのグダニスク)で出版したドイツ語の著書『解剖学表』“Anatomishe Tabellen”のラテン語版。1732年にオランダのアムステルダムで出版された。本書のオランダ語版が、2年後に同じJanssonius Waesbergius社から出版されている。このオランダ語版こそが、前野良沢や杉田玄白らが翻訳出版した『解体新書』の原著である。日本では『ターヘル・アナトミア』の名で知られる。
28枚の解剖図とこれについて解説した本文、注解よりなる。ラテン語版の図版はオランダ語版と全く同じである。『解剖学表』はその簡潔な内容のため好評を博し、各国語に翻訳された。1732年ラテン語版は当館所蔵品のほかは、世界で15冊ほどの存在が確認されているのみで、きわめて珍しい。
杉田玄白・大槻玄沢編 中伊三郎図
江戸時代 文政9年(1826)
九州国立博物館蔵
杉田玄白は『解体新書』が日本医術の進展に大きな役割をはたすと考え、その出版を急いだ。そのかいあって、『解体新書』は蘭学の勃興をもたらし、日本の近代医学のはじまりを告げることになったが、誤訳も多かった。玄白は高弟の大槻玄沢(おおつきげんたく)(1757〜1827)に訳し直しを命じ、玄沢は寛政10年(1789)に翻訳をいちおう完成させた。しかし本書の出版は大幅に遅れ、玄沢が亡くなる前年、文政9年(1826)に刊行された。これが重訂解体新書である。 用語辞典や付録を備え、図版も木版から中伊三郎(なかいさぶろう)(?〜1860)による銅版図となり、細密なものとなった。江戸時代における解剖書としてはもっとも完備したものである。
指定 | 名称 | 時代 | 所蔵 |
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重要文化財 | 伝屍病肝心抄并痩病治方 | 鎌倉時代 13世紀 | 文化庁蔵 |
ファブリカ ベサリウス著 | スイス 1543年 | 東京医科歯科大学図書館蔵 | |
阿佐井野版医書大全 | 室町時代 16世紀 | 九州国立博物館蔵 | |
針聞書 茨木二介元行筆 | 室町時代 永禄11年(1568) | 九州国立博物館蔵 | |
和漢三才図会 寺島良安編 | 江戸時代 正徳3年(1713)頃 | 東京国立博物館蔵 | |
レメリン解剖書 | オランダ 1613年 | 医療法人原三信病院蔵 | |
ターヘル・アナトミア ラテン語版 | オランダ 1732年 | 九州国立博物館蔵 | |
重訂解体新書 杉田玄白・大槻玄沢編 中伊三郎図 | 江戸時代 文政9年(1826) | 九州国立博物館蔵 |