特別展

特別展『細川家の至宝 〜珠玉の永青文庫コレクション〜』

珠玉の永青文庫コレクション - 細川家の歴史と華やかな大名文化

鎌倉時代より700年続く名家、細川家。東京・目白にある永青文庫は、細川家に遺(のこ)る文化財を後世に伝えるため、昭和25年(1950)、第16代当主・細川護立(もりたつ)によって設立されました。現在では、約8万点を超える品々を収蔵しています。
本展では、貴重な永青文庫コレクションの中から、武具、絵画、書跡、茶道具、能道具などの優品を通して、細川家の歴史と華やかな大名文化をご紹介いたします。

武と美に生きた700年 - 細川家の歴史をいろどる有名人たち

長い歴史を有する細川家には、代々当主はもとより、歴史に名を刻む人物にまつわるものも数多く伝えられています。たとえば、織田信長や羽柴秀吉、徳川家康といった時の天下人や、茶の湯における美を追求した千利休など、誰もが知る有名人ゆかりの品々は、細川家の武と美の歴史を、わたしたちにより身近に、より鮮やかに印象づけます。
歴史をいろどった人々の息吹を、細川家の名宝に感じていただければ幸いです。

美への深いまなざし - 稀代のコレクター、細川護立

永青文庫コレクションには、設立者である細川護立(1883〜1970)の蒐集(しゅうしゅう)品が多数含まれています。代表的なものとして、白隠(はくいん)、仙厓(せんがい)などの禅画や、唐三彩などの考古出土物、そして近代絵画などがあげられますが、それらの中には後に高い評価を得たものも少なくありません。
ひとたび美を直観したものは、果敢(かかん)に蒐(あつ)めていった細川護立。稀代のコレクターであった護立の、すぐれた蒐集品を展示いたします。

会期

平成24年1月1日(日・元日)〜3月4日(日)
*会期中展示替えを行います

休館日

月曜日

*ただし1月2日(月)、1月9日(月・祝)は開館、10日(火)は休館。

会場

九州国立博物館 3階 特別展示室

開館時間

午前9時30分〜午後5時

(入館は午後4時30分まで)

出品件数

232件

国宝8件・重要文化財25件・重要美術品18件

出品目録[600KB]

観覧料

一 般 1,300円(1,100円)

高大生 1,000円(800円)

小中生 600円(400円)

*( )内は前売りおよび団体料金(20名以上の場合)です。
*上記料金で九州国立博物館「文化交流展(平常展)」もご覧いただけます。
*障がい者等とその介護者1名は無料です。展示室入口にて、障害者手帳等をご提示ください。
*満65歳以上の方は前売り一般料金でご入場いただけます。チケット購入の際に年齢が分かるもの(健康保険証・運転免許証等)をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご入場いただけます。チケット購入の際に学生証、教職員証等をご提示ください。

主催

九州国立博物館・福岡県、永青文庫、
NHK福岡放送局、NHKプラネット九州、西日本新聞社

共催

(財)九州国立博物館振興財団

特別協力

太宰府天満宮

後援

文化庁、朝日新聞社、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、 九州・沖縄各県教育委員会、福岡市教育委員会、北九州市教育委員会、太宰府市、 太宰府市教育委員会、西日本リビング新聞社、cross fm、FM FUKUOKA、 LOVE FM、西日本鉄道、JR九州、一般社団法人日本自動車連盟福岡支部、 NEXCO西日本九州支社、(社)福岡県タクシー協会、(社)福岡市タクシー協会、福岡商工会議所、太宰府市商工会、太宰府観光協会、一般社団法人日本旅行業協会九州支部、NHK文化センター、西日本文化サークル連合、西日本新聞TNC文化サークル

協賛

トヨタ自動車、日本写真印刷、(財)福岡文化財団 、竹中工務店

前売券

ローソンチケット、チケットぴあ、セブン−イレブンほか主要プレイガイドで10月1日から発売
[1月1日から3月4日までは、電子チケットは当日料金での発売]

お問い合わせ

050-5542-8600(NTTハローダイヤル午前8時〜午後10時)

ごあいさつ

 細川家は、鎌倉時代から現代まで七百年続く名家であり、江戸時代には肥後熊本藩五十四万石の大名として国を治めました。また、単に長い歴史を有するというにとどまらず、細川藤孝(ふじたか)(幽斎(ゆうさい)、その子忠興(ただおき)(三斎(さんさい)に代表されるように、各代の当主にも、学問、数寄風流(すきふりゅう)の道に長けた人物を得ました。それだけに、同家に伝わる美術品には、武士の表道具である武器、武具はもとより、絵画、書跡、能面、能装束、さらには茶道具にいたるまで、まことに広汎なものがあります。

 永青文庫は、このような細川家ゆかりの文化財を後世に伝えるため、昭和25年(1950)、第16代当主・護立によって設立されました。その内容は多彩で、伝来の美術工芸品や歴史資料のほか、新たに護立の蒐集した禅画や近代絵画、東洋美術などを加え、総点数8万を超える一大コレクションを形成しています。

 本展では、永青文庫の所蔵品を通じて、細川家の歴史と華やかな大名文化を通観(つうかん)するとともに、稀代(きだい)のコレクターであった護立の蒐集品をご紹介いたします。細川家ゆかりの名宝の数々が一堂に会する貴重な機会であり、ぜひともご高覧を賜れば幸いです。

主催者

展覧会構成
*画像はクリックすると拡大します。
第一部 武家の伝統 - 細川家の歴史と美術 -

鎌倉時代の御家人として始まる細川家(中世細川家)は室町幕府の要職を務めたが、戦国末期には傍流の藤孝(幽斎)が頭角を現した(近世細川家)。藤孝はその子忠興(三斎)と共に乱世を乗り越え、細川家は後に肥後熊本の大大名として明治維新を迎える。このような武家の伝統は甲冑、鞍、刀剣や鐔の名品に見られる。好みを反映した和歌、茶の湯や能の道具・装束等も多く伝わり、これら武と文を兼ね備えた細川家の歴史をひもとく。

主な作品

これぞ螺鈿鞍の最高傑作

国宝 時雨螺鈿鞍

国宝 時雨螺鈿鞍(しぐれらでんくら)
木製漆塗、螺鈿
前輪高30.3cm 後輪高35.0cm
鎌倉時代・13世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜1月22日

国宝 時雨螺鈿鞍(しぐれらでんくら)
木製漆塗、螺鈿
前輪高30.3cm 後輪高35.0cm
鎌倉時代・13世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜1月22日

鎌倉時代につくられた鞍は大変稀少であるが、そのほとんどが精緻な螺鈿(貝片を文様の形に切り透かして、貼り付ける技法)により煌(きら)びやかに飾られたものである。なかでも本品は、中世螺鈿鞍の最高傑作として大変貴重な存在である。
文様は、図柄のうちに文字をひそませて和歌をあらわす「葦手(あしで)」とよばれる伝統的な手法によるもので、その流麗な表現からは、当時の武士の洗練された美意識が感じられる。
なお本展には、もう一点、こちらも螺鈿鞍の傑作として名高い国宝「柏木莵螺鈿鞍(かしわみみずくらでんくら)」が出品される。

細川家の近世 ここにはじまる

細川藤孝像

細川藤孝(幽斎)
【絵】田代等甫(たしろとうほ)筆【和歌】細川幽斎筆
絹本著色
縦97.7cm 横50.5cm
江戸時代・慶長17年(1612)
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜2月5日

細川藤孝(幽斎)
【絵】田代等甫(たしろとうほ)筆【和歌】細川幽斎筆
絹本著色
縦97.7cm 横50.5cm
江戸時代・慶長17年(1612)
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜2月5日

近世細川家の初代・細川藤孝(幽斎)(1534〜1610)の肖像。はじめ将軍足利義輝(よしてる)(義藤(よしふじ))に近侍し、その諱の一字を与えられて藤孝と名乗る。その後、将軍義昭(よしあき)、織田信長、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍に属して丹後の田辺城に籠城。この時、文武の諸芸に精通した当代随一の文化人である幽斎を惜しんだ後陽成(ごようぜい)天皇が開城の勅使を遣わせたことは有名である。肖像は、幽斎の三回忌のために夫人が注文し、上部の色紙は息子忠興(ただおき)が選んだ幽斎の和歌と考えられる。

細川家第一の茶道具/利休が所持した茶入

唐物尻膨茶入 利休尻ふくら

唐物尻膨茶入(からものしりふくらちゃいれ) 利休尻(りきゅうしり)ふくら
陶器
高6.1cm 口径2.7cm 胴径6.5cm 底径2.8cm
中国 南宋時代・13世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

唐物尻膨茶入(からものしりふくらちゃいれ) 利休尻(りきゅうしり)ふくら
陶器
高6.1cm 口径2.7cm 胴径6.5cm 底径2.8cm
中国 南宋時代・13世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

細川忠興(三斎)が関ヶ原の合戦での軍功により将軍徳川秀忠より拝領した茶入である。後にいったん三斎の孫・宇土支藩主細川行孝にわたるが、五代綱利のときに返上された。かつては千利休(1522〜91)が所持し、天正15年(1587)に、豊臣秀吉が催した北野大茶湯でも用いられたという。尻ふくらという名の通り、胴裾がゆったりと膨らんだ安定感ある形で、細川家の茶道具の中でも特に名高いもののひとつである。

豪華絢爛(けんらん) 能に遊ぶ

唐織 胴箔地撫子蝶文様

唐織(からおり) 胴箔地撫子蝶文様(どうはくじなでしこちょうもんよう)
絹(唐織)
丈152.0cm 裄73.0cm
江戸時代・18世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜22日

唐織(からおり) 胴箔地撫子蝶文様(どうはくじなでしこちょうもんよう)
絹(唐織)
丈152.0cm 裄73.0cm
江戸時代・18世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜22日

歴代当主が能を愛好した細川家には、多くの能装束が伝わっているが、この唐織は鬘能(かつらのう)(若い女性が主役となる能)のシテが着用する表着である。刺繍のようにみえる撫子や蝶は、すべて織であらわして、金糸を全面に織り込んで金地とするなど、華やかで豪華なデザインが特徴である。能に熱心であった 八代重賢(しげかた)が誂えさせたものといわれる

生涯六十戦全勝!宮本武蔵・勝利の秘訣

五輪書

五輪書(ごりんのしょ)
五巻.紙本墨書
地之巻 縦17.5cm 横1190.2cm/水之巻 縦17.7cm 横932.8cm
火之巻 縦17.7cm 横1203.5cm/風之巻 縦17.8cm 横936.4cm
空之巻 縦17.7cm 横367.8cm
江戸時代・17〜19世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間 *期間中、巻替えあり

五輪書(ごりんのしょ)
五巻.紙本墨書
地之巻 縦17.5cm 横1190.2cm/水之巻 縦17.7cm 横932.8cm
火之巻 縦17.7cm 横1203.5cm/風之巻 縦17.8cm 横936.4cm
空之巻 縦17.7cm 横367.8cm
江戸時代・17〜19世紀
東京・永青文庫

全期間 *期間中、巻替えあり

二天一流(にてんいちりゅう)兵法の祖・宮本武蔵(1582または84〜1645)が著した兵法書(へいほうしょ)。寛永十七年(1640)、武蔵は熊本藩主細川忠利(ほそかわただとし)の招きにより熊本に移り、同二十年、熊本郊外の霊巖洞(れいがんどう)で『五輪書』を著した。生涯六十度以上の決闘にすべて勝利したという武蔵が、実戦の中から悟った勝つことを追求する兵法を説き、武士として日々修行を怠らず生きることによって人生の真理に到達できると語る。

極めて実用的!細川家の甲冑(かっちゅう)、これなり

黒糸威二枚胴具足

黒糸威二枚胴具足(くろいとおどしにまいどうぐそく)
鉢高18.0cm 丈14.5cm 前胴丈37.3cm 草摺丈21.0cm
安土桃山時代・16世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜2月5日

黒糸威二枚胴具足(くろいとおどしにまいどうぐそく)
鉢高18.0cm 丈14.5cm 前胴丈37.3cm 草摺丈21.0cm
安土桃山時代・16世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜2月5日

細川忠興(三斎、1563〜1645)が、関ヶ原の戦で用いたもの。忠興は、50回にも及ぶ出陣を経験し、実戦に適した極めて実用的な具足を仕立てた。兜は、越中頭形(ずなり)とよばれるシンプルな形で、頂に山鳥の尾を挿しており、胴は鉄板を黒の皺韋(しぼがわ)で包んだ二枚胴である。この形式は、三斎流、越中流などと称されて、甲冑の一つの規範となり、細川家歴代の藩主も「御吉例(ごきちれい)の具足」として尊重し、これを範とした甲冑をつくらせた。

第二部 美へのまなざし - 護立コレクションを中心に -

近世細川家の16代当主・細川護立(1883〜1970)は、早くから白隠慧鶴(はくいんえかく)や仙厓義梵(せんがいぎぼん)といった禅僧の書画を蒐集し、これがコレクションの原点となった。のちに刀剣や鐔(つば)、中国・西アジアの美術工芸へとその関心を広げる一方で、同時代を生きた横山大観・菱田春草・小林古径といった日本画家の活動を援け、その作品を自らのコレクションに加えていった。第二部では、優れた審美眼により蒐集された護立コレクションをたどる

主な作品

いち早く唐三彩の美を見抜く

三彩宝相華文三足盤

重要文化財 三彩宝相華文三足盤(さんさいほうそうげもんさんそくばん)
高8.1〜8.3cm 径37.6cm
中国 唐時代・7〜8世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

重要文化財 三彩宝相華文三足盤(さんさいほうそうげもんさんそくばん)
高8.1〜8.3cm 径37.6cm
中国 唐時代・7〜8世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

底に脚を付けた折縁(おれぶち)の盤。端正な器形と華やかな文様が美しい唐三彩(とうさんさい)の名品である。中心に宝相華をあらわして、周囲には霊芝雲をあらわす。地に点々とあらわした魚々子(ななこ)文も緻密で、すぐれた出来栄えを示している。当時、唐三彩は、貴族の墳墓に副葬するための明器(めいき)であったことから、コレクターのなかには敬遠する向きもあったが、護立はいち早く唐三彩の美を認めて、蒐集した。

護立コレクションの出発点

乞食大燈像

乞食大燈像(こじきだいとうぞう)
白隠慧鶴 筆
紙本墨画
縦130.8cm 横56.1cm
江戸時代・18世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜1月22日

乞食大燈像(こじきだいとうぞう)
白隠慧鶴 筆
紙本墨画
縦130.8cm 横56.1cm
江戸時代・18世紀
東京・永青文庫

展示期間/1月1日〜1月22日

鎌倉時代の禅僧・大燈国師(だいとうこくし)(宗峰明超(しゅうほうみょうちょう))は、京都五条橋の物ごいの群れに混じって修行をしたという。目を剥(む)いた顔貌や、白く塗り残された手足からは、厳しい修行に励む国師の気迫が伝わってくるようである。筆者の白隠慧鶴(1685〜1768)は日本臨済禅中興の祖といわれる、臨済宗妙心寺派の禅僧。民衆に積極的に禅について語り、膨大な数の禅画墨蹟を残した。細川護立の美術品蒐集は、十代に出会った白隠が出発点となった。

深い雅味ある肥後鐔の名品

桜に破扇図鐔

重要文化財 桜に破扇図鐔(はせんずつば)
(左=表、右=裏)
伝林又七作
縦8.4cm
江戸時代・17世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

重要文化財 桜に破扇図鐔(はせんずつば)
(左=表、右=裏)
伝林又七作
縦8.4cm
江戸時代・17世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

作者と伝えられる林又七は、尾張出身の鉄砲鍛冶清兵衛勝光(かつみつ)の次男で、父は加藤清正にしたがって熊本に移住したとされる。細川家が肥後に入ると、又七は細川忠興(三斎)のお抱えとなって活躍し、肥後金工の礎を築いた。茶色みがかった光沢ある黒色の鉄地に、彫文に金を埋めこむ象嵌(ぞうがん)技法を用いて、桜と破れた扇面をあらわしている。深い鉄味(かなあじ)と趣あるデザインに雅味が感じられる、肥後鐔の名品である。

護立を魅了した猫のまなざし

黒き猫

重要文化財 黒き猫
菱田春草(ひしだしゅんそう)筆
絹本著色
縦151.1cm 横51.0cm
明治43年(1910)
東京・永青文庫(熊本県立美術館寄託)

展示期間/1月1日〜1月22日

重要文化財 黒き猫
菱田春草(ひしだしゅんそう)筆
絹本著色
縦151.1cm 横51.0cm
明治43年(1910)
東京・永青文庫(熊本県立美術館寄託)

展示期間/1月1日〜1月22日

金彩がほどされた柏(かしわ)の装飾的な表現と、黒猫のふんわりとした毛の質感を再現する写実的な描写が見事に調和した近代日本画の名品。菱田春草(1874〜1911)は、第四回文展に出品するために準備していた【雨中美人】の代わりに、この作品を急遽五日程で描きあげたという。そして本作を発表した翌年、三十八歳の若さでこの世を去った。細川護立は、早くから同時代の優れた作家を見出し、その活動を支援した。

世界に知られる「細川ミラー」

金銀錯狩猟文鏡

国宝 金銀錯狩猟文鏡(きんぎんさくしゅりょうもんきょう)
中国河南省洛陽金村出土
面径17.5cm
中国 戦国時代・前4〜前3世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

国宝 金銀錯狩猟文鏡(きんぎんさくしゅりょうもんきょう)
中国河南省洛陽金村出土
面径17.5cm
中国 戦国時代・前4〜前3世紀
東京・永青文庫

展示期間/全期間

1928年に中国・河南省洛陽市で発見された銅鏡。金銀象嵌(ぞうがん)の技法で、猛獣に向かう騎馬人物をあらわしている。それまでにまったく類例が知られていなかった作品だが、護立は一目でその価値を見抜き、購入を即断したといわれている。後に、国宝に指定され、海外でも「細川ミラー」と称されるようになった。護立の東洋美術コレクションのなかでも特に著名な一点である

特別展『細川家の至宝 〜珠玉の永青文庫コレクション〜』“プチ”知識

永青文庫

永青文庫

永青文庫は昭和25年(1950)、16代当主.細川護立によって、細川家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を後世に伝える目的で財団法人として設立された。昭和47年から一般公開を始め、翌48年に博物館法による登録博物館となり現在に至っている。永青文庫は目白台の一角、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあり、昭和初期に細川家の家政所(かせいしょ)(事務所)として建設されたものである。毎年4つの会期にわけて美術工芸品を中心に公開展示している。

細川護立

細川護立(ほそかわもりたつ)

細川幽斎を祖とする近世細川家の16代当主.細川護立(1883 〜1970)は、細川家伝来の美術品.歴史資料を護り伝えるために昭和25年(1950)財団法人永青文庫を設立した。これによって、我々は中世に遡る大名家の歴史や暮らしぶりを知ることができる。しかし護立の真価は、近代日本を代表する美術品コレクターであり美の保護者であったことにある。護立は、生来病気がちであったがためか、早くから美術や文学へ傾倒していた。最初に出会ったのが白隠慧鶴や仙厓義梵といった禅僧の書画であり、これがコレクションの原点ともいえる。のちに刀剣や鐔といった武器.武具や中国.西アジアの美術工芸へとその関心は向かう。一方、同時代を生きた横山大観.菱田春草.小林古径といった日本画家の活動を支え、またセザンヌやマティス、ルノワールなどの洋画にも目配りし早くに日本にもたらした。また、白洲正子に古美術鑑賞の手ほどきをし、白樺派同人達のよきパトロンでもあった。国の文化行政にも功績を残し、まさに美の保護者といえよう。

細川家の歴史を彩る人々

細川護立(ほそかわもりたつ)

細川氏の始まりは、源義家の末、足利義季(よしすえ)が三河国額田郡細川郷に居を構えた鎌倉時代である。室町時代には足利一門として幕府管領の要職を占めたが、戦国の世になると傍流の細川藤孝(幽斎)が頭角を現し(近世細川家の祖)、その子忠興(三斎)と共に、信長.秀吉.家康ら時の権力者と絶妙の関係を築き、細川家は後に肥後熊本54万石の藩主として明治維新を迎える。この近世細川家は多彩な人物を輩出した。藤孝(幽斎)は古今伝授の歌人.歌学者であり、忠興(三斎)は千利休の茶を忠実に受け継ぐ当代随一の茶人であった。忠興の妻.玉(ガラシャ)は明智光秀の娘として生を受け、関ヶ原の合戦では石田軍の人質となるのを拒んで自害した。また、肥後の鳳凰として名君のよび声高い8代重賢(しげかた)は藩政改革の一方学問を重視し、博物学に多大な関心を寄せ多くの著作を残している。現当主護熙(もりひろ)は、近世細川家の18代にあたる。

写真:永青文庫理事長・細川家18代当主 細川護熙