特別展

九州新幹線全線開業記念特別展『よみがえる国宝 - 守り伝える日本の美 - 』

意外性

日本式のお宝保存システム

 千年、数百年にわたって受け継がれる日本の文化財保存の根幹は、なんと虫干しや掃除にあったのです。虫やカビを避けるために湿気をとばし、虫や汚れを払い落とす。風通しよく清潔な状態を保ちながら年に一度の虫干しの時に丁寧な点検と手当てを行い、異常があれば修理を施すという仕組みでした。加えて防火防犯地震対策の蔵等この国の風土で培われてきた超エコなお宝保存システムについて説明します。

驚き

修理技術の高さ

 紙・絹など脆弱な材料でつくられたものを伝承していく「保存修理」は、世界的にきわめて高度な技術です。千年前のものを、そのまま千年後へと伝えていく巧みな技を紹介します。宝にどのような修理を施されたかをひも解くことにより、信仰や法律など、当時の考え方を知る事ができます。修理に際しては、いったん解体して仕立てなおす場合など意外な保存修理の側面も大公開します。

感動

国宝、重文級が勢ぞろい 頼朝、重盛、関門海峡をわたる!

 77件の展示品のうち、国宝が11件、重要文化財18件。日本全国の宝が福岡に集います。中でも京都・神護寺が守り継ぐ国宝『源頼朝像』『平重盛像』のほか、聖徳太子の死去を悼んでその妃が作らせたという飛鳥時代の染織工芸品、国宝『天寿国繍帳』(奈良・中宮寺)など九州初必見の作品ばかりです。

会期

平成23年6月28日(火)〜8月28日(日)

休館日

月曜日

*ただし7月18日(月・祝)と8月15日(月)は開館、翌日休館

会場

九州国立博物館 3階 特別展示室

開館時間

午前9時30分〜午後5時

(入館は午後4時30分まで)

出品目録

観覧料

一 般 1,300円(1,100円)

高大生 1,000円(800円)

小中生 600円(400円)

*( )内は前売りおよび団体料金(20名以上の場合)です。
*上記料金で九州国立博物館「文化交流展(平常展)」もご覧いただけます。
*障がい者等とその介護者1名は無料です。展示室入口にて、障害者手帳等をご提示ください。
*満65歳以上の方は前売り一般料金でご入場いただけます。チケット購入の際に年齢が分かるもの(健康保険証・運転免許証等)をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご入場いただけます。チケット購入の際に学生証、教職員証等をご提示ください。

主催

九州国立博物館・福岡県、西日本新聞社、NHK福岡放送局、NHKプラネット九州

共催

(財)九州国立博物館振興財団

協賛

金剛株式会社、イカリ消毒株式会社、株式会社ニコンインステック、株式会社岡村製作所、鹿島建物総合管理株式会社、財団法人福岡文化財団、株式会社タクト、株式会社イトーキ、株式会社イトーキテクニカルサービス、NPO法人ミュージアムIPMサポートセンター、NPO法人文化財保存活用支援センター、景観・文化保存ネットワーク

特別協力

太宰府天満宮

後援

文化庁、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、九州・沖縄各県教育委員会、福岡市教育委員会、北九州市教育委員会、太宰府市、太宰府市教育委員会、一般社団法人国宝修理装潢師連盟、一般社団法人文化財保存修復学会、公益財団法人文化財虫害研究所、九州文化財国際交流基金、西日本リビング新聞社、cross fm、FM FUKUOKA、Love FM、西日本鉄道、九州旅客鉄道、一般社団法人日本自動車連盟福岡支部、NEXCO西日本九州支社、㈳福岡県タクシー協会、㈳福岡市タクシー協会、福岡商工会議所、太宰府市商工会、太宰府観光協会、㈳日本旅行業協会九州支部、NHK文化センター、西日本文化サークル連合、西日本新聞TNC文化サークル

お問い合わせ

050-5542-8600(NTTハローダイヤル午前8時〜午後10時)

ごあいさつ

 このたび、九州国立博物館におきまして、九州新幹線全線開業記念 特別展「よみがえる国宝―守り伝える日本の美―」を開催いたします。

 文化財とは、時代が選別しまもり伝えてきた宝です。なかでも、日本の美術工芸品は、環境や経年の影響を受けやすい材料が多いゆえに、四季の変化や自然の営みと巧みに付き合い、数十年あるいは数百年おきに修理を繰り返してきました。こうしたいとおしみ方そのものが日本文化の伝統を形成してきたともいえましょう。

 長い歴史を経て人の手とこころで今に伝わった美や宝は、その保存修理の在り方も時代の美意識や技術に基づく判断や価値観を物語ります。

 古来より人々の信仰心により、また、為政者の本分としてあるいは家の務めとして守り伝えられてきた日本の美や宝を、それぞれの時代の人々がしてきたように、私たちも未来に引き継ぐために何をなすべきか、本展覧会を通して、文化財の保護を身近に感じていただく機会となれば幸いです。

 最後になりましたが、本展の趣旨にご賛同いただき、貴重なご宝物をご出品下さいましたご所蔵者の皆様に心から御礼申し上げますとともに、本展開催にあたりご協賛、ご協力、ご後援を賜りました関係各位に深く感謝の意を表します。

主催者

展覧会構成
*画像はクリックすると拡大します。
第I章『保存』 宝をまもる営み

 日本では、曝涼という行事により宝物を点検・公開し、木の箱に収め、木や土の蔵で守り伝えてきました。
 曝涼とは、日や風にあて湿気をとばし虫やカビを払い、目とおし・風とおしにより状態を点検することです。虫干しや虫払いとも呼ばれ、正倉院の時代から20世紀前半まで広く行われてきました。かつて私たちの祖先は、点検の結果に応じて清拭や修理、庫内の清掃を行ってきました。
 収納のための櫃は脚を設けた唐櫃が用いられ、木の箱は二重三重にあつらえられることもありました。さらに収蔵庫としては、校倉ではなおいっそうの調湿効果が、土蔵では防火防犯効果が得られました。
 一方、ご先祖の日記を活用するために巻物を巻かずに折りたたみ読みやすくした冊子もあります。時を越えて保存と活用が繰り返される姿は、かすかに残る折れ線の痕や虫孔の形から推しはかることができます。
 曝涼・修理・収納そして保存・活用の歴史という観点からみると、日本の美や宝は人の手と目が長きにわたりそのこころを守り伝えてきたことがわかります。

主な作品
神護寺一切経蔵虫払定

神護寺一切経蔵虫払定[1通]
じんごじいっさいきょうぞうむしはらいさだめ
紙本墨書
縦=43.0cm 横=127.5cm
江戸時代 寛永14年(1637)
京都・神護寺

神護寺一切経蔵虫払定[1通]
じんごじいっさいきょうぞうむしはらいさだめ
紙本墨書
縦=43.0cm 横=127.5cm
江戸時代 寛永14年(1637)
京都・神護寺

 源頼朝像他多くの寺宝を守る京都・神護寺では、江戸時代初期より年に一度の虫払いが定められました。明治期の混乱で途絶えていましたが、昭和29年に本文書が発見されたことを機に復興され、毎年5月1日〜5日まで宝物虫払特別展示が行われています。

国宝 御堂関白記[2巻(14巻のうち)]
みどうかんぱくき
藤原道長筆
紙本墨書 巻子装
〔1〕縦=30.8cm 全長 1097.0cm
〔2〕縦=30.8cm 全長 1240.0cm
平安時代〔1〕寛弘五年(1008)、〔2〕寛仁四年(1020)
京都・財団法人陽明文庫

御堂関白記

国宝 御堂関白記[2巻(14巻のうち)]
みどうかんぱくき
藤原道長筆
紙本墨書 巻子装
〔1〕縦=30.8cm 全長 1097.0cm
平安時代〔1〕寛弘五年(1008
京都・財団法人陽明文庫

〔1〕寛弘五年下 1巻

展示期間/6月28日(火)〜7月31日(日)

〔1〕寛弘五年下 1巻

展示期間/6月28日(火)〜7月31日(日)

御堂関白記

国宝 御堂関白記[2巻(14巻のうち)]
みどうかんぱくき
藤原道長筆
紙本墨書 巻子装
〔2〕縦=30.8cm 全長 1240.0cm
平安時代〔2〕寛仁四年(1020)
京都・財団法人陽明文庫

〔2〕寛仁四年上 1巻

展示期間/6月28日(火)〜7月31日(日)

〔2〕寛仁四年上 1巻

展示期間/6月28日(火)〜7月31日(日)

 平安時代、摂関政治の全盛期を築いた藤原道長(ふじわらのみちなが)(966〜1027)の日記。当初も今も巻子装ですが、なぜか等間隔にかすかな折り目の痕があります。その折れ線を中心に虫食い孔が対称に残っているので、折本の状態があったことがわかります。子孫が、政務や儀式の先例を頻繁に調べるために実際に活用していた証拠ですが、社会の仕組みが変わりその必要性がなくなると、また巻子に戻され大切にまもられてきました。

春日権現霊験記絵巻

*クリックすると作品全体を表示します

春日権現霊験記絵巻[巻第14(20巻のうち)]
かすがごんげんれいげんきえまき
近衛家熙詞書・渡辺始興筆
紙本著色
縦=41.4cm 長=955cm 
江戸時代 享保20年(1735)
京都・財団法人陽明文庫

展示期間/7月20日(水)〜8月28日(日)

春日権現霊験記絵巻[巻第14(20巻のうち)]
かすがごんげんれいげんきえまき
近衛家熙詞書・渡辺始興筆
紙本著色
縦=41.4cm 長=955cm 
江戸時代 享保20年(1735)
京都・財団法人陽明文庫

展示期間/7月20日(水)〜8月28日(日)

 春日権現験記絵は、藤原氏の氏神春日明神に関する絵巻で、延慶2年(1309)に奉納されました。本品は極めて精緻に写した江戸時代の模本です。母屋に火事が発生し、外壁が白く漆喰塗りの土蔵のようにみえる建物に人々が避難する場面が描かれています。屋根がないのは、類焼を避けるため木製の置屋根が外されたものと考えられます。こうした土蔵により、宝は火災から守られてきました。

国宝 明月記[2巻(54巻のうち)]
めいげつき
藤原定家記
紙本墨書 巻子装
〔1〕縦=29.3cm 全長=1694.7cm
〔2〕縦=29.1cm 全長=1780.0cm
鎌倉時代〔1〕寛喜元年(1229)〔2〕寛喜三年(1231)
修理施工者 光影堂・岡墨光堂
京都・公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

明月記

国宝 明月記[2巻(54巻のうち)]
めいげつき
藤原定家記
紙本墨書 巻子装
〔1〕縦=29.3cm 全長=1694.7cm
鎌倉時代〔1〕寛喜元年(1229)
修理施工者 光影堂・岡墨光堂
京都・公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

〔1〕寛喜元年秋ノ記 1巻

展示期間/8月2日(火)〜8月14日(日)

〔1〕寛喜元年秋ノ記 1巻

展示期間/8月2日(火)〜8月14日(日)

明月記

国宝 明月記[2巻(54巻のうち)]
めいげつき
藤原定家記
紙本墨書 巻子装
〔2〕縦=29.1cm 全長=1780.0cm
鎌倉時代〔2〕寛喜三年(1231)
修理施工者 光影堂・岡墨光堂
京都・公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

〔2〕寛喜三年秋ノ記 1巻

展示期間/8月16日(火)〜8月28日(日)

〔2〕寛喜三年秋ノ記 1巻

展示期間/8月16日(火)〜8月28日(日)

 藤原定家(ふじわらのさだいえ)(1162〜1241)の日記。定家は著名な歌人ですが、多くの古典を書写し子孫に残しています。冷泉家は定家の孫為相を祖とし、明治の東京遷都後も京都に残り、書庫である御文庫で『明月記』をはじめ貴重な古典籍を800年にわたり守り伝えています。「明月記」には7月7日に虫払をしたとの記事が5件あります。

ちりとり

ちりとり[1柄]
木造
全長=41.3cm 高さ=3.8cm
江戸時代 明和四年(1767)銘あり
京都・公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

ちりとり[1柄]
木造
全長=41.3cm 高さ=3.8cm
江戸時代 明和四年(1767)銘あり
京都・公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

 ちりとりの裏面に、第十四代・冷泉為久(1686〜1741)が御新文庫の塵取としてお作りになったものなので、古物ではあるが粗末にしてはいけないと、記されています。御新文庫は勅封が解かれた1721年以降に建てられたものと考えられるので、このちりとりはすでに250年以上も前に作られたものです。年季のあるちりとりではおそらく現存最古でしょう。なによりも、当主がちりとりを自作し、そのことをちりとりに書き留めて現在まで伝えられて来た事実に驚かされます。このことは、冷泉家歴代が文庫内を清潔に保つことをいかに大切にされてきたかを物語っています。

御文庫おぶんこ(奥)・御新文庫おしんぶんこ(手前)

御文庫おぶんこ(奥)・御新文庫おしんぶんこ(手前)

御文庫おぶんこ(奥)・御新文庫おしんぶんこ(手前)

冷泉家では御文庫を神宿る蔵、神殿として位置づけています。

第II章『修理』 つくろう・なおす 技とこころ

 建造物から細かな工芸品あるいは文書等まで、わが国の文化財保存修理は多様で、その担い手も様々です。仏像をつくる仏師や工芸品をつくる人等製作を旨とする人々や、作品を仕立てることを旨とする表具師もいます。いずれにしても長い年月を経て継承発展してきた優れた保存修理技術は、それぞれの時代で新知見や新技術を取り入れながらそれぞれを体現している人々の伝承があってこそ、ものを伝える技となりました。
 かつて修理は曝涼にあわせ、寺社では寄進によって行われ、人々の信仰心あるいは富の証でもありました。修理とは、次の世代への継承を前提に行われる積極的な行為であり、それぞれの時代の社会的な価値観による人々の判断によるものです。人々が遺すものと捨てるものとを選別し、選別という評価の結果により修理され保存され伝えられていくのが文化財です。
 本章では、書跡・典籍・古文書・絵画・漆工・茶陶の修理をご覧いただきます。修理という観点から文化財を見つめなおすと、これらをとおしてみえてくる背景が、そのものの歴史のみならず、時代の価値観や美意識をしっかりと物語っていることに気付かれるでしょう。

主な作品
天寿国繍帳

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国宝 天寿国繍帳[1帳]
てんじゅこくしゅうちょう
絹(羅・綾・平絹)刺繍 額装
縦=88.8cm 横=82.7cm
飛鳥時代 推古30年(622)
奈良・中宮寺

展示期間 6月28日(火)〜7月18日(月・祝)

国宝 天寿国繍帳[1帳]
てんじゅこくしゅうちょう
絹(羅・綾・平絹)刺繍 額装
縦=88.8cm 横=82.7cm
飛鳥時代 推古30年(622)
奈良・中宮寺

展示期間 6月28日(火)〜7月18日(月・祝)

 聖徳太子の死を悼み妃が作らせた絹の刺繍で、伝世品としては最古のものです。飛鳥時代に作られたものが傷んだため、鎌倉時代に新しく作られましたが、江戸時代にはこれも傷みが進んだので、両者の断片を貼り混ぜてまもり伝えられてきました。明治30年に制定された古社寺保存法により最初に指定された国宝の一つです。

人道不浄相図 (六道絵のうち)

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国宝 人道不浄相図 (六道絵のうち)[1幅(15幅のうち)]
にんどうふじょうそうず ろくどうえ
絹本著色
縦=155.5cm 横=58.0cm
鎌倉時代 13世紀
滋賀・聖衆来迎寺

国宝 人道不浄相図 (六道絵のうち)[1幅(15幅のうち)]
にんどうふじょうそうず ろくどうえ
絹本著色
縦=155.5cm 横=58.0cm
鎌倉時代 13世紀
滋賀・聖衆来迎寺

展示期間 6月28日(火)〜7月18日(月)
なお、国宝 六道絵につきましては、左記のとおり展示替えを行います。
優婆塞戒経所説念仏功徳図 7月20日(水)〜8月7日(日)
餓鬼道図 8月9日(火)〜8月28日(日)

 六道絵とは、天・阿修羅・人・畜生・餓鬼・地獄という六つの世界(六道)を輪廻転生することを厭い、浄土信仰の世界へ導くことを目的に描かれたもので、本作品は、平安時代の僧源信の著作『往生要集』に基づいて制作されたものと考えられます。迫真的な描写を見せる、鎌倉時代の仏画を代表する最高傑作です。

六道絵 旧軸木

国宝 六道絵 旧軸木[14本]
ろくどうえ きゅうじくぎ
木製
滋賀・聖衆来迎寺

国宝 六道絵 旧軸木[14本]
ろくどうえ きゅうじくぎ
木製
滋賀・聖衆来迎寺

 明治22年に修理された時に別置され、昭和29年に発見されました。これらの軸木には、正和2年(1313)から天和3年(1683)までに8回、明治22年に額装に、昭和30年に現在の軸装となるまで、700年の間に計10回の修理銘が記されています。近代になってからの2回以外は、8回のうち7回までの日付が、その当時の虫払の時期である6月から9月に集中しており、修理が曝涼にあわせて実施されたことを裏付ける貴重な資料です。

上杉家文書

国宝 上杉家文書
[14通・2合・1棹 2,018通・4帖・26冊・3合・2棹のうち]
安土桃山〜江戸時代 16 〜 18世紀
修理施工者 宇佐美松鶴堂
山形・米沢市(米沢市上杉博物館保管)

国宝 上杉家文書
[14通・2合・1棹 2,018通・4帖・26冊・3合・2棹のうち]
安土桃山〜江戸時代 16 〜 18世紀
修理施工者 宇佐美松鶴堂
山形・米沢市(米沢市上杉博物館保管)

 上杉謙信(1530 〜78)を継いだ景勝(かげかつ)(1555 〜1623)にはじまる旧米沢藩主上杉家伝来。江戸時代に何度も整理され、保存箱が作られました。文書は、表装されないで当初のかたちをよくのこしている点も貴重です。

平重盛像

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国宝 平重盛像[1幅]
たいらのしげもりぞう
絹本著色
縦=143.0cm 横=111.2cm
鎌倉時代 13世紀
修理施工者 岡墨光堂
京都・神護寺

展示期間 7月26日(火)〜 8月28日(日)

国宝 平重盛像[1幅]
たいらのしげもりぞう
絹本著色
縦=143.0cm 横=111.2cm
鎌倉時代 13世紀
修理施工者 岡墨光堂
京都・神護寺

展示期間 7月26日(火)〜 8月28日(日)

源頼朝像

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国宝 源頼朝像[1幅]
みなもとのよりともぞう
絹本著色
縦=143.0cm 横=112.8cm
鎌倉時代 13世紀
修理施工者 岡墨光堂
京都・神護寺

展示期間 6月28日(火)〜 7月31日(日)

国宝 源頼朝像[1幅]
みなもとのよりともぞう
絹本著色
縦=143.0cm 横=112.8cm
鎌倉時代 13世紀
修理施工者 岡墨光堂
京都・神護寺

展示期間 6月28日(火)〜 7月31日(日)

 肖像画の最高傑作として世界的な評価の高い両像は、江戸時代の虫払定(むしはらいさだめ)でもわかるように、神護寺の寺宝として大切に守り伝えられてきました。昭和54年の修理により、装束部分の全面を覆っていた白っぽいもやのようなくすみがみごとに除去され、美しい黒色の地と文様がより鮮明によみがえりました。
 修理の理念、補彩の方針、事前の調査、観察・経験の蓄積と科学による整理、技法や素材の熟知、肌上げの技術、電子線劣化絹による補絹、報告書の刊行等々、近代装潢修理の様々な課題と成果の結実を物語る代表的な修理です。

唐物肩衝茶入 銘松山肩衝

唐物肩衝茶入 銘松山肩衝[1口]
からものかたつきちゃいれ めいしょうざんかたつき
陶器
高さ=8.5cm
中国・南宋ー元時代、13世紀
東京国立博物館

唐物肩衝茶入 銘松山肩衝[1口]
からものかたつきちゃいれ めいしょうざんかたつき
陶器
高さ=8.5cm
中国・南宋ー元時代、13世紀
東京国立博物館

松山肩衝 CT画像(カラー処理)・右 唐物肩衝茶入 松山肩衝・左

松山肩衝 CT画像(カラー処理)・右
唐物肩衝茶入 松山肩衝・左

松山肩衝 CT画像(カラー処理)・右
唐物肩衝茶入 松山肩衝・左

CTスキャンが読み取った江戸の技
 薄い灰色の部分が拾い集められた陶片。白っぽい部分は、木彫で補った部分。これに黒色の薄片が見えるのは、手取りの重さの調整のための鉛である。

青磁茶碗 銘馬蝗絆

重要文化財 青磁茶碗 銘馬蝗絆[1口]
せいじちゃわん めいばこうはん
磁器・龍泉窯
高=6.8cm 口径=15.0cm 高台=4.7cm
中国・南宋-元時代 13世紀
東京国立博物館

重要文化財 青磁茶碗 銘馬蝗絆[1口]
せいじちゃわん めいばこうはん
磁器・龍泉窯
高=6.8cm 口径=15.0cm 高台=4.7cm
中国・南宋-元時代 13世紀
東京国立博物館

鎹による修理
 割れた陶磁器を鎹で接合するという方法は、中国では近年まで行われてきた手法。この修理が伝承のように中国の技法によるかは現在のところ明らかではないが、江戸時代まで磁器を作らなかった日本では発達しなかった方法である。

 日本の陶磁器修理は元通り使うことができるようにすることが根本です。茶陶においても同様ですが、器の役割によって修理の方針が異なります。将軍足利義政の持ち物であった時に、中国へ送ったところヒビ割れを鎹で止めた修理がされ、戻ってきたとの伝承がある馬蝗絆と火事で被災した断片を漆繕いにより修理された茶入れでは、その修理方法と意義がまったく異なります。前者はあるがままを受け入れた修理を新たな価値とし、後者は変わらぬ価値をよみがえらせることが修理の目的なのです。

倶利迦羅龍蒔絵経箱

国宝 倶利迦羅龍蒔絵経箱[1合]
くりからりゅうまきえきょうばこ
木製 黒漆塗 蒔絵
縦=31.0cm 横=18.8cm 高=5.5cm
平安時代 12世紀
修理施工者 小西美術工芸
奈良 當麻寺奥院

展示期間 6月28日(火)〜7月10日(日)

国宝 倶利迦羅龍蒔絵経箱[1合]
くりからりゅうまきえきょうばこ
木製 黒漆塗 蒔絵
縦=31.0cm 横=18.8cm 高=5.5cm
平安時代 12世紀
修理施工者 小西美術工芸
奈良 當麻寺奥院

展示期間 6月28日(火)〜7月10日(日)

花唐草螺鈿経箱

重要文化財 花唐草螺鈿経箱[1合]
はなからくさらでんきょうばこ
木製 黒漆塗 螺鈿
縦=32.8cm 横=28.3cm 高=15.0cm
安土桃山-江戸時代 17世紀
修理施工者 北村昭斎・北村繁
京都 本法寺

重要文化財 花唐草螺鈿経箱[1合]
はなからくさらでんきょうばこ
木製 黒漆塗 螺鈿
縦=32.8cm 横=28.3cm 高=15.0cm
安土桃山-江戸時代 17世紀
修理施工者 北村昭斎・北村繁
京都 本法寺

 国宝 倶利迦羅龍蒔絵経箱は平安時代の蒔絵の優品、重要文化財 花唐草螺鈿経箱は江戸時代初期の螺鈿の優品、共に信仰心により作られ、守り伝えられた経箱です。
 近年、文化財としての保存修理が行われました。

第III章『模写・模造』 技こころを継ぐ

 模写・模造という言葉が示す内容は、大きく二つに分かれます。
 一つは、写真やデジタル技術あるいはプラスチィック等により精巧に転写・型取りされた「同じに見えるもの」つまり見かけ上の複製品。もう一つは、同一材料同一技法により人の手で制作されるものです。
 前者の模写模造は、精巧な記録保存を目的に行われるものと、外観の再生産を目的に行われるものとがあります。それに対して、後者の模写模造は、制作者が技術や精神性を学び取る修練を目的とする場合と、文化財の保存を目的にするものとに分かれます。この場合の文化財保存は人の目と手による現状記録を得ると同時に、制作をとおして技術と精神性そのものを現代の制作者が体現することで次世代へ伝承することを意味します。
 文化財の模写・模造は、原品の経年劣化や不慮の被災への対策として行われると同時に、その制作を通して伝統技術そのものを伝承するために行われるものなのです。原品の制作者と同等以上の技量と精神力を持ちつつ自己の創造力を律する高い精神性が要求されます。
 本展では、文化財の現状をあるがままに写した(描いた)「現状模写」と、同一材料同一技法により制作時の状態を得る「復元模写・模造」の優品をご紹介します。文化財としての模写模造をとおして、日本の美を守り伝えるこころと技の伝承の姿に触れていただければ幸いです。

主な作品
倶利迦羅龍蒔絵経箱 復元模造

倶利迦羅龍蒔絵経箱 復元模造[1合]
くりからりゅうまきえきょうばこ ふくげんもぞう
北村昭斎作
木製 黒漆塗 蒔絵
縦=31.2cm 横=19.8cm 高=14.2cm
現代 平成4〜6年(1992 〜 1994)
奈良・奈良国立博物館
(現品:国宝 奈良・當麻寺奥院)

倶利迦羅龍蒔絵経箱 復元模造[1合]
くりからりゅうまきえきょうばこ ふくげんもぞう
北村昭斎作
木製 黒漆塗 蒔絵
縦=31.2cm 横=19.8cm 高=14.2cm
現代 平成4〜6年(1992 〜 1994)
奈良・奈良国立博物館
(現品:国宝 奈良・當麻寺奥院)

 原品は右頁のように、蓋の両側面が欠け、身も一段ですが、文様の状態から三段重ねと推察し、同様の文様を持つ作品を参考に復元制作されました。綿密な調査を重ねた試作の手板類も展示いたします。

普賢菩薩像 模写

*クリックすると作品全体を表示します

普賢菩薩像 模写[1幅]
ふげんぼさつぞう もしゃ
篠﨑悠〓子筆
絹本著色
縦=159.0cm 横=74.5cm
現代・平成5年(1993)
東京藝術大学大学美術館 (原品:国宝 東京国立博物館)

展示期間 8月2日(火)〜8月28日(日)

普賢菩薩像 模写[1幅]
ふげんぼさつぞう もしゃ
篠﨑悠〓子筆
絹本著色
縦=159.0cm 横=74.5cm
現代・平成5年(1993)
東京藝術大学大学美術館 (原品:国宝 東京国立博物館)

展示期間 8月2日(火)〜8月28日(日)

 平安時代の仏画の最高傑作の一つとして名高い国宝・普賢菩薩像(東京国立博物館蔵)の現状模写。
 原品の表現や技法を忠実に伝え、平成以降に制作された現状模写のなかでも優れた出来栄えから評価の高い作品です。技術と精神性を体現・継承する模写の力を示すとともにその意義を伝える作品ともいえましょう。

第IV章『文化財保護のはじまり』 宝をまもる・いかす

 文化財という言葉は、昭和25年(1950)に制定された文化財保護法で初めて用いられたといわれています。中国の文物・故物に対する用語として戦前から使われていたともいわれますが、明治時代には古器物・宝物・御物(ぎょぶつ)などと呼ばれました。
 文化財とは、人間が作り出したものの中で、芸術的歴史的に価値が高いものを指します。それぞれの時代や社会が選別したものを、後の時代の人々もまたその価値を判断し続けながら選択し伝えていくものです。
 文化財についてのこうした考え方は、わが国では明治時代に始まったもので、それ以前は信仰によりあるいは家の務めとして守り継がれてきた美や宝が、新たに社会的な役割を得た「文化財」として国家により保存や修理が図られるようになったのです。近代国家の仲間入りをかけた伝統づくりや殖産興業というきわめて政治的現実的な意図のもとでのアイデンティティー構築ではありましたが、美や宝が社会の階層を超えて市民のこころの原動力のひとつとなったことは確かでしょう。
 いずれにしても、江戸時代から明治時代への移り変わりは文化芸術にとっても大変な混乱を伴うものでした。そのような中で始まった文化財保護の思想やその後の博物館の活動の一端を紹介します。
 本展覧会でご覧いただいた作品の多くは明治時代に新たな価値が与えられ国の宝とされたものですが、最後にそれらの美や宝が、守り継がれてきた理由、引き継いでいこうとする営みについても想いを巡らせていただくことができましたら幸いです。

主な作品
正倉院御物展観絵巻 くちなわ物語

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正倉院御物展観絵巻 くちなわ物語[1巻]
しょうそういんぎょぶつてんかんえまき くちなわものがたり
野間清六筆
紙本墨画淡彩、墨書
巻子 縦=19.0cm 全長=1223.0cm
別紙1 縦=19.0cm 横=58.4cm
別紙2 縦=19.0cm 横=56.4cm
昭和時代 昭和15年(1940)
東京国立博物館

正倉院御物展観絵巻 くちなわ物語[1巻]
しょうそういんぎょぶつてんかんえまき くちなわものがたり
野間清六筆
紙本墨画淡彩、墨書
巻子 縦=19.0cm 全長=1223.0cm
別紙1 縦=19.0cm 横=58.4cm
別紙2 縦=19.0cm 横=56.4cm
昭和時代 昭和15年(1940)
東京国立博物館

 昭和15年(1940)、東京帝室博物館で開催された「正倉院御物特別展観」の様子を同館職員の野間清六(1902〜66)が描いた絵巻。展覧会の裏方で作品を大事に輸送し、展示している様子は今も昔も本質的に変わりません。正倉院宝物の本格的な最初の一般公開の雰囲気を生き生きと今日に伝えています。
 二十日間の会期中の入場者が41万7361人。観覧を待つ行列が博物館から上野公園をめぐり西郷さんの銅像まで蛇(くちなわ)のように連なっていたことから、くちなわ物語とよばれています。
 明治に入って、数回行われた正倉院宝物の展覧は常にこのような人の行列でした。人々が自由に文化財を楽しむことができるようになった姿の貴重な記録です。