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「国宝 天神さま」関連イベント:

九州国立博物館に飾り山笠が奉納されます

 九州国立博物館(九博)では、9月23日(火・祝)から11月30日(日)まで、西日本鉄道創立100周年記念・九州国立博物館開館3周年記念特別展「国宝 天神さま - 菅原道真の時代と天満宮の至宝 - 」を開催いたします。
 これを記念して、博多祇園山笠振興会(瀧田喜代三会長)と西日本鉄道により、1階エントランスホールに飾り山笠が奉納されます。
 勇壮かつ絢爛な飾り山笠をぜひお楽しみください。

期間:

飾り山笠展示期間
平成20年8月29日(金)〜11月30日(日)

場所:

九州国立博物館1階エントランスホール

表題:

表: 「紅梅白梅天満宮(こうばいはくばいてんまんぐう)
菅原道真公と太宰府天満宮を題材として制作されたものです。
見送: 「福博賑交通百年(ふくはくにぎわうこうつうひゃくねん)
西鉄100年の歴史をモチーフとして制作されたものです。

制作者:

表: 博多人形師 置鮎正弘(おきあゆまさひろ)
見送: 博多人形師 小嶋慎二(こじましんじ)

お問い合わせ先:

【NTTハローダイヤル】050-5542-8600
ハローダイヤルとは?
【表】紅梅白梅天満宮

【表】紅梅白梅天満宮

【表】紅梅白梅天満宮
 道真公の一生については公自信が残された漢詩文集の「菅家文草」「菅家後草」の中に、出来事や時々の心情から、特に晩年の様子が知られます。一代記としては承久元(1219)年の『北野天神縁起絵巻』のストーリーが流布しており、この山笠の場面構成はそれに依っています。下から「筑紫西下」で博多津に上陸された場面では、わが子「紅姫」と「隈麿」を伴われ、中段の大宰府の南館では宇多上皇からいただいた「恩賜の御衣」を頂き、上段の天拝山では天帝に無実を訴え、最上段には無くなられた後に廟所としての今の太宰府天満宮が配されています。
 菅原道真公は845年に京の都で文章博士などを輩出した菅原家に生まれ、899年には右大臣に任じられた、中央貴族の中でも公卿に位置づけられるトップクラスの官僚でした。中央政界では藤原家全盛の時代。道真公は時の左大臣藤原時平の讒言にあい、大宰府の権帥(ごんのそち)という役を与えられ、901年都を追われて大宰府の府の南館に入られます。この離洛の経路周辺では多くの天神伝説が伝わっています。大宰府の配所では失意の中で過ごされ、秋の夜に寵愛を受けた宇多上皇からいただいた「恩賜の御衣」を取り出しては余香をたしかめ都を懐かしまれました。都の屋敷で大切に育てていた紅梅が道真公を慕って大宰府まで飛んできた伝説が、有名な「飛梅」と呼ばれています。晴れぬ冤罪に道真公は大宰府南郊の天拝山に登られ、七日七夜の祈祷をおこなわれます。掲げた祭文は天へと登ったとされています。しかし、その願いもむなしく延喜3(903)年に道真公は波乱に満ちた59年の人生を大宰府の地で閉じられました。そして大宰府の北東にあった葬地に牛車で遺骸を運んでいたところ、牛が動かなくなった場所を墓所と定めて道真公を葬りました。都から随伴していた味酒安行が後にこの場所に廟所を建て、これが後に安楽寺天満宮となり現在の太宰府天満宮へとつながっています。

【見送り】福博賑交通百年

【見送り】福博賑交通百年

【見送り】福博賑交通百年
 福岡と博多は城下町と商都の双子都市として、明治維新以来発展を続け「福博」と呼び習わされて来ました。江戸時代からの町屋が近代都市に変貌していく過程には、電気事業とならび運輸事業の展開が大きな役目を担っており、時代を担った企業家の活躍も見逃せません。
 渡邉與八郎(1866〜1911年)は、博多の呉服商「紙与」の長男として生まれた実業家で、福博の道路、港湾整備、貿易の促進、京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学の前身)の誘致などの功労者として知られています。九州電気軌道の有力発起人であるとともに、福博に走った市内電車の博多電気軌道を1910年に設立、翌年開業しました。福岡市中央区にある「渡辺通り」は彼の功績を顕彰して命名されたものです。
 松永安左エ門(1875〜1971年)は、海運業・製造業を営む壱岐を代表する豪商の惣領として生まれました。慶応義塾に学び、「電力の鬼」と呼ばれた人で、福沢諭吉の娘婿である福沢桃介とともに福岡を中心に福博電気軌道(市内電車)、九州鉄道(現西鉄大牟田線ほか)、東邦電力、東邦ガス、西部ガスなどの創立に寄与し、1951年の9電力体制発足の立役者として都市交通網の整備とガス、電力の供給事業をおこない、福博が近代都市へ変貌する礎を築きました。文化にも造詣が深く、重要美術品、重要文化財を含む松永コレクションは福岡市に寄贈されています。
 太田清蔵(1863〜1946年)は、博多の種油商「太田屋」4代当主。衆議院議員、博多電灯の社長、第一徴兵保険(後の東邦生命)の社長、昭和17(1942)年の西鉄5社合併前の博多湾鉄道汽船社長などを歴任。西日本鉄道の命名者でもあります。
 村上巧児(1879〜1963年)は、大分中津出身。早稲田大学卒。大阪毎日新聞、三越を経て大正元(1912)年に九州水力電気に入社。その後、世界恐慌のさなかに同社が傘下とした九州電気鉄道に移り、昭和10(1935)年同社の社長に就任。電力と電車のみならず百貨店、遊園地、不動産開発などに事業を拡大し、都市のみならず企業の近代化にも大きく寄与しました。昭和17(1942)年5月に国の交通産業統制政策により九州電気軌道、福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道が合併し西日本鉄道が成立しました。この合併時の社長を務めたのが村上氏でした。
 このように福博の近代化の礎は世界恐慌や世界大戦にもまれながらも、電気、鉄軌道、バス、ガス、物流、不動産開発などの果敢な事業展開によって形作られ、戦後の復興の基礎にもなり、現代の福博の繁栄へとつながっています。