特別展

「ぼくは100年後の人々にも、
生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」
オーヴェール=シュル=オワーズで亡くなる一カ月あまり前、ファン・ゴッホは妹のウィレミーナに宛ててこのように書きました。100年後を生きる人々の心にも届く作品を残したい─そのファン・ゴッホの望みは見事に叶えられ、没後120年を経た今もなお私たちの心を揺さぶり続けています。
2010年はフィンセント・ファン・ゴッホ(1853─1890)が没して120年目にあたります。今回のゴッホ展では、オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という2大コレクションの全面協力のもと、ゴッホの油彩画36点、版画・素描32点と、ゴッホに影響を与えたモネ、ロートレック、スーラなどの油彩画等を含めた122点の作品によってファン・ゴッホ芸術の誕生の謎に迫ります。どうぞご期待ください。
会期
平成23年1月1日(土・元日)〜2月13日(日)
休館日
1月17日(月)・1月31日(月)
会場
九州国立博物館 3階 特別展示室
開館時間
午前9時30分〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)
出品目録
観覧料
一 般 1,500円(1,300円)
高大生 1,000円(800円)
小中生 600円(400円)
*( )内は前売りおよび団体料金(20名以上の場合)です。
*上記料金で九州国立博物館「文化交流展(平常展)」もご覧いただけます。
*障がい者等とその介護者1名は無料です。展示室入口にて、障害者手帳等をご提示ください。
*満65歳以上の方は前売り一般料金でご入場いただけます。チケット購入の際に年齢が分かるもの(健康保険証・運転免許証等)をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご入場いただけます。チケット購入の際に学生証、教職員証等をご提示ください。
主催
九州国立博物館・福岡県、西日本新聞社、TNCテレビ西日本、TVQ九州放送
共催
(財)九州国立博物館振興財団、STSサガテレビ、KTNテレビ長崎、TKUテレビ熊本
後援
オランダ王国大使館、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、九州・沖縄各県教育委員会、福岡市教育委員会、北九州市教育委員会、太宰府市、西日本リビング新聞社、crossfm、FMFUKUOKA、LOVEFM、天神エフエム、九州旅客鉄道、NEXCO西日本九州支社、(社)日本自動車連盟福岡支部、福岡県私学協会、福岡商工会議所、(社)福岡市タクシー協会、太宰府市商工会、太宰府観光協会、(社)日本旅行業協会九州支部、九州日仏学館、西日本文化サークル連合、西日本新聞TNC文化サークル
特別協賛
第一生命保険、損保ジャパン
協賛
味の明太子ふくや、西日本鉄道、日本写真印刷、(財)福岡文化財団
企画協力
ファン・ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館
特別協力
太宰府天満宮、積水ハウス、竹中工務店
協力
九州大学、西鉄旅行、日本通運、セコム、エールフランス航空、KLMオランダ航空
お問い合わせ
050-5542-8600(NTTハローダイヤル午前8時〜午後10時)
このたび、九州国立博物館開館5周年を記念し、「没後120年ゴッホ展」を開催いたします。本展は、同館で開かれる初めての西洋絵画展覧会となります。
2010年(平成22年)は、「炎の画家」として世界的に著名なフィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890年)が没して120年目にあたります。
生前はたった一枚の絵画しか売れなかったゴッホの作品は、亡くなって120年を経た今も情熱的な激しい筆遣いと鮮やかな色彩で、私たちの心を捉えて離しません。ゴッホの劇的な生涯とともに、初期から晩年までの作品を一堂に紹介することで、ゴッホの作品がどのように変化していったのかを示し、日本人のゴッホに対する理解をより深めたいと考えます。ゴッホは浮世絵などの影響で強くあこがれた日本に一度も来ることはかないませんでしたが、今回、作品を通して日本でゴッホを紹介する機会を創出することで、ゴッホの思いにこたえることができればと願います。
本展では、オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館のコレクションから、日本初公開を含め、選び抜かれたゴッホの油彩画36点、版画・素描32点と、ゴッホに絵画技法の基礎を手ほどきしたハーグ派のアントン・モーヴや、パリ時代に出会いゴッホに影響を与えたクロード・モネ、トゥルーズ=ロートレック、ジョルジュ・スーラなど同時代の作家の油彩画30点などを含めた122点を一堂に展示します。
最後に、本展開催にあたり貴重な作品をご出品いただきましたオランダのファン・ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館をはじめ、国内外の所蔵者の方々、またご協賛ご協力を賜りました関係各位に深く感謝申し上げます。
主催者
ファン・ゴッホは生涯を通じて、作品の様式や技法について熱心に探求を繰り返しました。彼は懸命に仕事をし、かつ創意に溢れていましたが、その才能が花開くにつれて、自分が抱く芸術的な効果を生み出すために、素材や技法を充分に利用することができるようになりました。彼は解剖学や遠近法、そして色彩理論などを学びましたが、理想とする芸術を達成するためには、それらが基礎になるということをよく知っていました。
芸術家として成長する過程で、ファン・ゴッホは他の芸術家たちから多くのことを学びました。その中には、ラッパルト、モーヴ、ロートレック、シニャック、ゴーギャンなどのように個人的に親しくなった芸術家もいましたが、フランス・ハルスのような古典的巨匠や、ドラクロワのような19世紀の著名な画家が用いた技法や考え方については本で読んだり、美術館や公共の場所に展示されている作品を見て学びました。
今回の展覧会とカタログでは、ファン・ゴッホが自らの様式と技法を発展させる上で参考にした考え方や手段についての概略を示すことと、その過程で影響を受けた芸術家たちについて考察することを目的としています。展示される作品は必ずしもファン・ゴッホが知っていた作品とは限りませんが、彼が親しくしていた当時の芸術家たちのさまざまな創作方法について理解するよい手がかりとなるでしょう。同様にファン・ゴッホが読んでいた本や、パースペクティヴ・フレームのような、彼が使っていた道具や材料も展示されます。
さらに、X線写真や赤外線反射装置などを使って絵画技法の解析を行なう、といった専門的な調査の一端も本展では紹介されます。
日本の鑑賞者にとって、今回の展覧会は、ファン・ゴッホが、いかにして自らの技法と様式を発展させ創作を行なったかについて知る絶好の機会となるでしょう。ファン・ゴッホと同時代の重要な画家について、このような方法によって日本で紹介された例はこれまでほとんどありませんでした。
シラール・ファン・ヒューフテン(本展監修者)
ファン・ゴッホは、若い頃からバルビゾン派、フランスの写実主義、オランダのハーグ派といった巨匠たちの作品に親しんでおり、彼らの作品をもとに初期オランダ時代の絵画は構成されています。同じようなモティーフを取り上げるだけでなく、色調や筆遣いなどの点でも彼らの作品に影響を受けており、戸外での制作も彼は行なっています。その後、最新の芸術に触れることにより、ファン・ゴッホは彼らの作風から遠ざかっていきましたが、それらは最後まで重要な意味をもっていました。最晩年のオーヴェール=シュル=オワーズ時代の作品が1点この章に含まれているのは、最初期のニューネンの作品と見比べることにより、彼の作品の中に潜む一貫性を示すためです。
ファン・ゴッホは基本的には独学で成長した画家で、早くから高名な巨匠たちの版画や素描を模写することで腕を磨きました。一方で画家になることを決意して間もなく、義理の従兄にあたる画家アントン・モーヴの教えを一時期受け、油彩と素描について多くの事を学んでいます。素描の重要性を強く意識していた彼は、多くの時間を素描の訓練、特に人物の素描に費やしましたが、作品に強い表現力を与えるために、画材にも工夫を凝らしました。それらの作品を見ると、雑誌に掲載された版画の図版に大きな影響を受けていることがわかります。この章では、ファン・ゴッホが試したさまざまな素描の技法や彼が集めた雑誌の図版、さらに「パースペクティヴ・フレーム」と呼ばれる遠近法を実践するための道具のレプリカなども紹介します。
1883年暮れにニューネンに移住した頃にはファン・ゴッホの素描力は格段に進歩し、彼の関心は次第に油彩へと移行していきました。翌年の春になるとドラクロワの色彩理論を学び、それを利用して農婦の頭部や静物を描くようになります。この努力は1885年に、初期の傑作《じゃがいもを食べる人々》に結実しますが、この作品によって自らの進むべき方向を確信したファン・ゴッホは、ドラクロワの理論に従いながらさらに人物画の研究に取り組みました。この章では、農婦などをモティーフに描いたファン・ゴッホの初期の油彩を、彼が参照したさまざまな色彩理論の書籍や絵具の分析、そして影響を受けた他の画家たちの作品とともに紹介します。
1886年3月にパリに移ったファン・ゴッホは、コルモンのアトリエで絵画の基本を再度学びながら、次第に明るい色彩を用いるようになります。今やドラクロワの理論を充分に消化した彼は、モネやピサロなど、当時の前衛であった印象派の研究にも進み、さらにモンティセリの筆遣いに大きな影響を受けました。印象派の画家たちと個人的にも親しくなったファン・ゴッホは、点描風のタッチを用いたり、薄く溶いた油絵具を使って素描のように見える作品を描くなど、実験的な試みを繰り返しながら次第に独自の様式を確立していきます。この章では、パリ到着後のファン・ゴッホの作風の大きな変化を、モネ、ピサロ、シスレー、スーラなどの印象派の作品や、モンティセリ、ロートレックらの作品と比較しながら検証します。
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《マルメロ、レモン、梨、葡萄》
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1888年2月にアルルに移ったファン・ゴッホは、この南仏の町で、あの誰もがファン・ゴッホと認める独自の様式に遂に到達します。パリで出会った印象派など前衛の様式と、日本の浮世絵から学んだ平坦で強烈な色彩や大胆な構図が、このアルルで見事に結実します。また、芸術家たちによる理想的な共同体の実現を夢見たのもこのアルルでした。ファン・ゴッホの呼びかけに応じて現われたゴーギャンとの関係が、この章のひとつの柱となります。この時期の重要な作品である《アルルの寝室》を手がかりに、実物大でこの部屋を再現するなどの手法により、ふたりの芸術家の関係により実証的に迫ります。またファン・ゴッホ自身が所蔵していた浮世絵も併せて展示し、彼の作品に具体的にどのように影響を与えたのかも検証します。
色彩や筆遣いなど、技法の点から言えば、ファン・ゴッホの最晩年となるサン=レミやオーヴェール=シュル=オワーズの時代に新たな作品の展開は見られません。アルルで確立した様式を、いくぶん調子を弱めながらファン・ゴッホは繰り返しています。一方で、ミレーやドラクロワの作品を、確立した新たな様式で現代風に模写しましたが、そこに用いられている色彩の組合わせは、《アイリス》のようなこの時期の代表作にも通じています。ファン・ゴッホは終生素描を創作の基本と考えていましたが、この時期に描かれた何点かの素描が、数々の重要な油彩作品とともに展示されます。また2点のみが知られるファン・ゴッホのエッチングの内の1点、《ガシェ博士の肖像》も併せて紹介されます。