特別展

特別展『 聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝 』

 このたび、九州国立博物館では、世界的に大きな注目を浴びているものの、まだわが国ではあまりなじみのないチベット文化を総合的に紹介する特別展「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」を開催いたします。わが国初公開となるチベット自治区および河北省承徳(しょうとく)にある世界文化遺産に登録された宮殿、寺院や博物館などからの名品多数が皆様をお迎えします。

 平均標高4000mを越え、ヒマラヤ、クンルン、カラコルムなどの山脈に囲まれたチベット高原は、世界で最も高いところにある広大な地域(東西2000km、南北1200km、約250万キロ平方メートル、日本の約6倍)です。その厳しい自然条件にもかかわらず、古くからチベット族は農業(ハダカ大麦など)と牧畜(ヤク、羊や馬など)に従事しながら、ツァンパ(麦焦がし)、ヤクの肉とチベット茶(バター入り茶)を常食する生活を送ってきました。こうした生活習慣や言語を共有し、チベット仏教や土着のボン教を信仰するチベット族が暮らすチベット文化圏は、現在のチベット自治区だけではなく、青海省、四川省、雲南省などにも広がっています。また8世紀後半には、唐・ウイグル・アラブという強大な帝国に匹敵するほどの国力を示したこともありました。

 9世紀初め、最澄や空海によって中国から漢訳経典や図像とともにわが国に伝えられた密教(インド中期密教にもとづく天台宗や真言宗など)とは異なり、10〜11世紀頃再び仏教を受け入れたチベットにはインド後期密教からの強い影響が顕著です。その結果、多くの学僧たちが密教の体系化をはかり、個々人の理解の程度に応じて悟りの境地へ向けた修行が行われるようになりました。そして必要不可欠な存在となった仏像や仏画において、チベットの仏達は独特の姿形をした尊格として立ち現れます。わが国の仏教図像との違いをぜひ自分の目でご覧下さい。

会期

平成21年4月11日(土)〜6月14日(日)

休館日

月曜休館

*(ただし、4月13日・5月4日は開館)

会場

九州国立博物館 3階 特別展示室

(〒818ー0118 福岡県太宰府市石坂4ー7ー2)

開館時間

午前9時30分〜午後5時

(入館は午後4時30分まで)

作品総数

123件

うち国家一級文物(日本の国宝に相当)36件

出品目録[848KB]

観覧料

一 般 1,300円(1,100円)

高大生 1,000円(800円)

小中生 600円(400円)

*上記金額で当館「文化交流展示」もご覧いただけます。
*( )内は前売り、20名以上の団体料金です。
 団体の前売りはございません。
*障がい者等とその介護者1名は無料です。
 入館の際に障害者手帳等をご提示ください。
*満65歳以上の方は( )内料金でご入場いただけます。
 入館の際に年齢の分かるもの(健康保険証、運転免許証など)をご提示ください。
*キャンパスメンバーズの方は団体料金でご入場いただけます。
 会員証、学生証等をご提示ください。

『 音声ガイドについて 』*クリックするとチラシ画像が開きます
音声ガイドもご準備しています。
解説件数約30件、解説時間約35分 料金500円(団体予約も受付中)
詳細チラシ[684KB]

主催

九州国立博物館、福岡県、西日本新聞社、TNCテレビ西日本、中華文物交流協会、中国チベット文化保護発展協会

後援

文化庁、中国国家文物局、中国大使館、中国駐福岡総領事館、(財)九州国立博物館振興財団、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、九州・沖縄各県教育委員会、福岡市教育委員会、北九州市教育委員会、福岡県私学協会、太宰府市、STSサガテレビ、KTNテレビ長崎、TKUテレビ熊本、TOSテレビ大分、UMKテレビ宮崎、KTS鹿児島テレビ、OTV沖縄テレビ、CROSS FM、FM福岡、LOVE FM、天神エフエム、西日本リビング新聞社、西日本鉄道、九州旅客鉄道、NEXCO西日本、(社)日本自動車連盟福岡支部、福岡県タクシー協会、福岡商工会議所、太宰府市商工会、太宰府観光協会、(社)日本旅行業協会九州支部、西日本文化サークル連合、西日本新聞天神文化サークル、九州シルクロード協会、九州・日中民間文化交流協会、福岡県仏教連合会

協賛

(財)福岡文化財団

特別協力

太宰府天満宮

協力

日本航空、はせがわ

出品協力

中国チベット自治区文物局、中国文物交流中心

企画協力

大広

お問い合わせ

050-5542-8600(NTTハローダイヤル午前8時〜午後10時)

展覧会構成
*画像はクリックすると拡大します。 2ステップ拡大 は画像を大きく表示できますが、表示に時間がかかります。
序章 吐蕃王国(とばんおうこく)のチベット統一

 チベット高原を統一したのはソンツェンガンポ王(581〜649年)であり、ネパールからティツン、中国からは文成公主(ぶんせいこうしゅ)という二人の妃を迎えたため、チベットに仏教が広まる端緒となった。その後、吐蕃(とばん)王国は、8世紀後半のティソンデツェン王(742〜797年)治下にその最盛期を迎え、西のアラブ、北のウイグル、東の唐とならぶ一大強国となり中央アジアにその覇(は)をとなえ、唐の都・長安(ちょうあん)にも攻め入るほどの国力を誇った。

主な作品
ソンツェンガンポ坐像

[国家一級文物]ソンツェンガンポ坐像(ざぞう)
チベット・14世紀・総高46.5cm・ポタラ宮
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[国家一級文物]ソンツェンガンポ坐像(ざぞう)
チベット・14世紀・総高46.5cm・ポタラ宮

 ソンツェンガンポは、チベットを最初に統一に導いた王であり、ネパールと唐から妃を迎えたことから、インド仏教と中国仏教がチベットにもたらされるようになった。大きな座布団に坐り、連珠文で囲まれた龍文が繰り返される大きな襟の折り返し付きで広袖の長衣をまとい、帯をきつく締めている。ターバンを巻き付けた様な頭部飾上面には阿弥陀如来の頭部が表現されており、ソンツェンガンポ王が、阿弥陀の化身である観音菩薩の生まれ変わりであることを示している。ソンツェンガンポ像の多くは、塑造(そぞう)で、二人の妃と大臣を伴って表現され、なかでもポタラ宮やジョカンの例がよく知られている。この像のような金属製の像は珍しい。

魔女仰臥図

魔女仰臥図(まじょぎょうがず)
チベット・20世紀・77.5×152.5cm・ノルブリンカ
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魔女仰臥図(まじょぎょうがず)
チベット・20世紀・77.5×152.5cm・ノルブリンカ

 最初のチベット統一王朝を開いたソンツェンガンポ王は、中国から文成公主を、ネパールからティツン王女を迎え、中国仏教とインド仏教がチベットへもたらされる契機となった。文成公主の占いによれば、チベットの地勢は、災いをもたらす手下多数を従えた大きな魔女の姿に似ていることが分かった。魔女を無力化するため、その両手両足の関節にあたるチベット高原各地に12の寺院が建てられ、その動きを封じることに成功した。そして最後にその心臓にあたる湖を埋めて現在のラサの地にチョカン(大昭)寺を建立し、チベットは仏教国となったのである。

第一章 仏教文化の受容と発展

 二人の王妃のチベットへの輿入(こし)いれを契機として、インドと中国から仏像や経典がチベットにもたらされた。またパドマサンバヴァを初めとするインド人の密教行者がチベットにおもむき、チベットの土着のボン教の神々を手なずけたとされるのも仏教伝来期のことである。
 この章では、仏教がチベットに伝えられた初期の段階から後伝仏教期にいたる間、中国、東北インド、カシミールやネパールからチベットにもたらされたさまざまな仏像、経典やインド出身の高僧や密教行者、そして彼らに学んだチベット人などの祖師を取り上げる。

主な作品
弥勒菩薩立像

[国家一級文物]弥勒菩薩立像(みろくぼさつりゅうぞう)
東北インド・パーラ時代・11〜12世紀・総高160.0cm・ポタラ宮
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[国家一級文物]弥勒菩薩立像(みろくぼさつりゅうぞう)
東北インド・パーラ時代・11〜12世紀・総高160.0cm・ポタラ宮

 少し左足に体重をかけて立つこの仏像は、風に舞う条帛(じょうはく)とともに優美な体の動き(三曲法・さんきょくほう)を見せる。化仏(けぶつ)のついた宝冠をかぶり、右手を胸前に、腰前の左手で水瓶付の蓮茎を握っている。下半身を覆うドーティには銀と銅による繊細な象嵌(ぞうがん)模様が施されるとともに、トルコ石や貴石をはめ込んでいるところから、チベット人パトロンかチベット寺院からの注文で作られた可能性が指摘されている。
 本像はチベットに伝えられたパーラ時代のインド彫刻の中でも最も美しいものの一つである。通常はポタラ宮で、錦の衣をまとった状態で安置されているため、仏像としての美しさを鑑賞するまたとない機会である。

ダマルパ坐像

ダマルパ坐像(ざぞう)
チベット・16世紀前半・総高105.0cm・ミンドゥリン寺
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ダマルパ坐像(ざぞう)
チベット・16世紀前半・総高105.0cm・ミンドゥリン寺

 少し口を開け、大きく眼を見開き正面を見つめるこの人物は、薄い銅版をたたき出して整形した部品を組み合わせたもので、首下部には胴体に頭部を留めるための鋲(びょう)が認められる。右手を上方に振り上げ、左手を胸前に置き、右膝を持ち上げた輪王坐(りんのうざ)の姿勢で蓮台に坐しており、各所に貴石や珊瑚がはめ込まれている。眉、眼、唇、髭(ひげ)などには細かい彩色が施されるなど、ほぼ等身大のこの肖像彫刻は、インド人大成就者(だいじょうじゅしゃ)ダマルパの姿を生き生きと映し出しており、チベット彫刻史上最も優れたものの一つといえる。
 サキャ派の伝統に連なる、現存する持金剛仏(じこんごうぶつ)以下計21体のなかから、この展覧会には計5体が出品される。

ミラレパ坐像

ミラレパ坐像(ざぞう)
チベット・16〜17世紀・総高16.5cm・ポタラ宮
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ミラレパ坐像(ざぞう)
チベット・16〜17世紀・総高16.5cm・ポタラ宮

 チベットで一番有名なヨガ行者で詩人でもあるミラレパ(1040〜1123年)は、苦行の激しさを示すように肋骨(ろっこつ)が浮き出て見えるほど痩(や)せた姿で、瞑想(めいそう)に耽(ふ)ける人が用いるというレイヨウの毛皮の上に坐っている。大訳経官(だいやくきょうかん)マルパ(1012〜1096年)の一番弟子でカギュ派の隆盛に貢献したが、若い頃、黒魔術を利用して、財産、家、土地をだまし取った親戚に復讐したという。その後、深く反省し、師マルパから与えられた6年間にわたる無理難題を果たしたことによって、悪行から清められ、ついに悟りを開いたという。
 左膝を折って坐り、立てた右膝に右肘をつき、右耳に手を当てながら、霊感の声を聞き、仏法の歌を歌い、聴く者にチベット土着の言葉による詩吟の美しさを語ったという。また、イラクサの葉だけを食べ続けたため、体が緑色になったと伝える。

テンギュル

テンギュル
藍紙金書(らんしきんしょ)・清・18世紀・27.0×72.3cm(経典347枚)・ポタラ宮
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テンギュル
藍紙金書(らんしきんしょ)・清・18世紀・27.0×72.3cm(経典347枚)・ポタラ宮

 チベット大蔵経は、カンギュルとテンギュルに二分される。カンギュルが「仏が語った部分」を指すのに対し、テンギュルは「論疏(ろんそ)部分」を意味し、仏弟子と後世の仏教学者が経典について記した論述を集めたものである。チベット大蔵経には多くの版本があり、テンギュルの分類方法や収録された著作にも出入りがある。このテンギュルは、ダライラマ8世(1758〜1804年)の時期に遡(さかのぼ)るもので、書写にあたって、金、銀、銅、鉄、トルコ石、紅珊瑚、真珠など7種類の原料をすりつぶしたものでを用いた。

第二章 チベット密教の精華

 9世紀中頃のランダルマ王暗殺を契機とする仏教迫害の時期を経て、10〜 11世紀頃よりチベットは仏教をふたたび受け入れた。破仏(はぶつ)以前の国家仏教的な受け入れ方と異なり、後伝仏教は、地方豪族などとの結びつきを深めながら世俗的な力もあわせて培(つちか)っていった。ここでは、ポタラ宮、ノルブリンカ、チベット博物館を中心とするチベット自治区内の寺院や博物館で大切に守られてきた珠玉の作品群を通して、チベット密教美術独特の表現を見せる各種の仏像や仏画、経典類、密教法具、儀礼用楽器やチャムと呼ばれる密教舞踊会に用いられる仮面や衣装を紹介する。

主な作品
釈迦牟尼仏及仏伝図

釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)タンカ
チベット・14世紀・70.0×59.0cm・チベット博物館
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釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)タンカ
チベット・14世紀・70.0×59.0cm・チベット博物館

 このタンカは、マーラの軍勢に勝利する、金剛座に坐す宝冠釈迦像あるいは触地印(そちいん)のヴァジュラサナ菩薩像を本尊とするもので、ボードガヤにおける仏の成道(じょうどう)のありさまを描いている。悟るプロセスの一部として仏が獲得した五智(ごち)は、画面上方に描かれたボードガヤの大菩提寺(だいぼだいじ)に坐す仏五体によって象徴されている。このタンカに先行する作品として、マーラの軍勢に邪魔されながらも釈迦(しゃか)が成道(じょうどう)に成功する場面や仏伝を扱う、インド・パーラ朝に作られた大型の石板浮き彫りや、ボードガヤとナーランダ付近で多数発見されている小型の石製奉納タブレットが挙げられる。これらが信心深い巡礼者やよそからやってくる優れた芸術家によって、チベットまでもたらされたのである。こうした図像に基づいてネパールのネワール人の画家が描いた作品とみなされる。

カーラチャクラ立像

[国家一級文物]カーラチャクラ父母仏立像(ぶもぶつりゅうぞう)
チベット・14世紀前半・総高59.5cm・シャル寺
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[国家一級文物]カーラチャクラ父母仏立像(ぶもぶつりゅうぞう)
チベット・14世紀前半・総高59.5cm・シャル寺

 後期密教において、チャクラサンヴァラ、ヘーヴァジュラ、ヴァジュラバイラヴァ、カーラチャクラなどのへールカと呼ばれる仏(忿怒尊・ふんぬそん)が登場する。これらの仏たちは多くの顔と腕を持ち、明妃(みょうひ)と交わり、しかも人々を恐れさせるような外見をしている。
 仏の4つの顔にはそれぞれ3つの眼があり、24本の腕には金剛杵(しょ)、鈴、斧、弓、矢、索(さく)などが見られ、妃ヴィシュヴァマーターを抱いた姿に現される。この仏の名前が、サンスクリット語で時間(カーラ)と輪(チャクラ)を意味することからわかるように、時間の流れを象徴する尊格である。この仏を中心としたマンダラを扱う経典『カーラチャクラ・タントラ』は、インドの天文学や暦についても詳しく触れている。絵画で表現される場合、仏の身色は青黒色である。

不動明王像

[国家一級文物]不動明王立像(ふどうみょうおうにゅうぞう)タンカ
綴織(つづれおり)・元・13世紀・87.0×57.0・チベット博物館
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[国家一級文物]不動明王像(ふどうみょうおうぞう)タンカ
綴織(つづれおり)・元・13世紀・87.0×57.0・チベット博物館

 右手で握った長剣を頭上に振り上げ、左手で索(さく)をもつ青色の不動明王像で、阿閦如来(あしゅくにょらい)の化仏(けぶつ)をいただいている。体には蛇のような龍がまつわりつき、火焔身光を負っている。マーラが戦争、飢餓、疫病によって世界を脅かした時に、釈迦が不動明王を呼び、右膝を地面につけた明王は天空の悪魔を打ち破り、次いで左膝を地面につけてこの世の悪魔を征服したという。画面上部には五仏と観音、不動明王などの真言を写したサンスクリットの頌詞(しょうし)があり、最下部のチベット語の銘文からサキャ派第3代座主に捧げられたものとわかる。
 タンカは、礼拝時以外、写真に見られるように上方に巻きあげた布で覆われている。
 元代以降発達した緙絲(こくし)技法は、わが国の綴織(つづれおり)にあたり、精緻な表現が可能で、肉体表現などから見てネパール画派からの影響を受けたことが明らかである。

白傘蓋仏母立像

[国家一級文物]白傘蓋仏母立像(びゃくさんがいぶつもりゅうぞう)
チベット・18世紀・総高57.0cm・ノルブリンカ

[国家一級文物]白傘蓋仏母立像(びゃくさんがいぶつもりゅうぞう)
チベット・18世紀・総高57.0cm・ノルブリンカ

 国土と人民を種々の厄災から護る『白傘蓋仏頂陀羅尼(びゃくさんがいぶっちょうだらに)』を表現した女神で、千面千手千足、三面六臂(さんめんろっぴ)あるいは八臂(はっぴ)、一面二臂(いちめんにひ)像の三種類がある。理想化された容姿で、愛と慈悲の性格を現す。悪魔の支配者、戦士や半獣半人といった世界中の邪悪な存在が扇状に広がった足で踏みつけられて、もがき狂う肉体の大群となって横たわっている。右手には輪宝、左手には矢など多くの持物をとりながら、リボン多数をつけた防護のための白い傘がついた宝幢(ほうとう)の柄をもっている。特にゲルク派で人気のある女尊である。

蓮マンダラ

[国家一級文物]蓮(はす)マンダラ
15世紀・開いた状態:高43.0cm/閉じた状態:57.0cm・ポタラ宮
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[国家一級文物]蓮(はす)マンダラ
15世紀・開いた状態:高43.0cm/閉じた状態:57.0cm・ポタラ宮

 明妃を抱く姿に表現されたサンヴァラは、蓮華花弁の中心に坐している。八葉の蓮弁の内外には、仏像などが配されている。このマンダラは、頂部の部品を取り外すと、蓮花が開花する精巧な作りで、複雑な金線細工の蓮華茎で支えられている。台座の「大明永楽年施」という銘文から、明代宮廷工房で製作されて永楽帝からチベットへ贈られたことがわかる。もととなったインド・パーラ朝(8〜11世紀)の類品に比べ、より装飾的でさらに高い芸術的完成度を見せている。

カパーラ

[国家一級文物]カパーラ
チベット・19世紀・総高25.5cm・チベット博物館
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[国家一級文物]カパーラ
チベット・19世紀・総高25.5cm・チベット博物館

 カパーラは、高僧大徳の遺志にもとづきその頭蓋骨を加工して作られる法具で、無上瑜伽(むじょうゆが)タントラで行う灌頂儀式(かんじょうぎしき)に用いられる。頭蓋骨を加工した碗の外側には、日、月、ホラ貝とチベット文字による六字真言が浅く彫りこまれている。碗の蓋は楕円形を呈しており、蓮弁、唐草文と八吉祥文が刻まれ、縁にはトルコ石と宝石が貼り付けられ、取手は金剛杵の形をしている。三角形の台上部には人頭つきの支えが立ち上がり、全面に透かし彫りの葉文が施されている。ともに金で作られ、類品中でも特に優れた作域を示す。大学僧の頭蓋骨で、東チベット・カムドにある僧院の僧侶からダライラマに捧げられたもの。

夾彩宝塔

夾彩宝塔(きょうさいほうとう)
清・18〜19世紀・高44.0cm・承徳避暑山荘博物館

夾彩宝塔(きょうさいほうとう)
清・18〜19世紀・高44.0cm・承徳避暑山荘博物館

 チベット仏教文化圏では、上から水甁、宝傘蓋、十三天を象徴する相輪部、下すぼまりの伏鉢部、蓮弁、須弥壇、四角い基壇から構成される伏鉢式仏塔と呼ばれる、仏塔が多数造られた。本作品も、同様の形態で作られ、伏鉢部内側に礼拝用の仏像を収めるよう工夫されていた。
 明代以降成熟の度合いを深め、清代乾隆帝の頃盛んに作られた彩による陶磁器の作品。一旦高い温度で透明釉を掛けて焼成した陶器の上から、あらためて赤、緑、紫、黄、青などの色釉で文様を描き低温度で再度焼成して完成させる技法で、わが国では赤絵や色絵として親しまれている。

チァム装束

チャム装束(しょうぞく)〔チティパティ〕
チベット・近代・180.0cm・ポタラ宮

チャム装束(しょうぞく)〔チティパティ〕
チベット・近代・180.0cm・ポタラ宮

 ツャムは、チベット仏教で行われる僧侶による仮面舞踊会で、祈祷呪術を伴う密教儀礼といえるため、伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受けていない人物は参加できないという。チベットにおける初演は、8世紀のインド人密教行者パドマサンバヴァ(蓮華生)が、チベット最初の寺院サムイェ(桑耶寺)の地鎮祭と落慶式(らっけいしき)で演じたものである。獣の仮面をつけることや独特の楽器の使用に、土着の宗教ボン教からの影響がうかがえる。ドクロ面をかぶり、骸骨を描いた衣装をまとったチティパティは、鳥葬場の主とされ、ツャム開始にあわせて夫婦二人で登場し、忿怒尊や眷属(けんぞく)の出入り口に門番のように立つ。仮面は、仏師によって制作され、舞踊会以外は堂内の柱の最上部に掛けた状態で保存される。

第三章 元・明・清との往来

 チンギス=ハーンの没後、1239年オゴタイの息子コデンはチベットに侵攻した。その後1247年にサキャ派の高僧サキャパンディタは、モンゴルの招請を受け入れて甥のパクパとともにコデンと会見し、チベットがモンゴル皇帝に帰属することを認めるとともにハーンの代理としてチベット支配をまかせられた。それを契機としてチベット仏教はモンゴル帝国と結びつき、皇帝はチベット仏教の指導者を国師・帝師に任命し、檀越(だんおつ)(パトロン)として物質的援助を行うという関係が成立した。清代にも同様な関係が成立した。そうした状況を示す作品をこの章では取り扱う。

主な作品
パクパ坐像

パクパ坐像
元・13〜14世紀・総高55.7cm・ポタラ宮
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パクパ坐像
元・13〜14世紀・総高55.7cm・ポタラ宮

 剃髪(ていはつ)し、衣をまとったパクパ(1235〜1280年)は、胸前の両手で印を結び、正面を見つめている。挙身光の周囲を飾る金の帯をはじめ各所にトルコ石、真珠や貴石をはめ込んで装飾している。椅子型の台の上に玉座があり、玉座の正面には、太湖(たいこ)石を思わせる穴の開いた岩の周りに子供4人が配されている。
 パクパは、サキャ派第5世の祖師で、宗教家・政治家・学僧でもある。1252年夏にフビライハンと会って以降、元の皇室との関係を深め、上師、国師、総制院事を歴任し、帝師となった。その間大元ウルスが使用するさまざまな言葉を表記するために、縦書きの表音文字パクパ文字を作り出した。

大元帝師統領諸国僧尼中興釈教之印

[国家一級文物]大元帝師統領諸国僧尼中興釈教之印(だいげんていしとうりょうしょこくそうにちゅうこうしゃっきょうのいん)
元・13〜14世紀・高8.1cm・縦横各9.6cm・チベット博物館
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[国家一級文物]大元帝師統領諸国僧尼中興釈教之印
(だいげんていしとうりょうしょこくそうにちゅうこうしゃっきょうのいん)
元・13〜14世紀・高8.1cm・縦横各9.6cm・チベット博物館

 帝師は、文字通り「皇帝の師」を意味する元朝における僧侶の官職名で、元の世祖皇帝の即位以降、チベット人僧侶から戒を受ける習わしがあったことによる。1295年に、成宗は宝玉製の五方仏冠(ごほうぶっかん)とともに双龍が互いに体をからませているこの白玉印を下賜(かし)したことが知られている。印文には「大元帝師統領諸国僧尼中興釈教之印」が表音文字であるパクパ文字で彫られている。

青花高足碗

[国家一級文物]青花高足碗(せいかたかあしわん)
明・宣徳(1426〜1435年)・高11.0cm・チベット博物館
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[国家一級文物]青花高足碗(せいかたかあしわん)
明・宣徳(1426〜1435年)・高11.0cm・チベット博物館

 口縁部(こうえんぶ)はやや外側に反り、胴部は湾曲(わんきょく)して底はすぼまり、高い脚部によって支えられている。胴部には蓮弁文、蓮花唐草文と八吉祥文(法輪、法螺、幡、傘、蓮花、瓶、双魚、結)がコバルトを使用した染め付け(中国語で青花)技法で描かれている。内部にはチベット文字で「白日平安、夜晩平安、中午平安、日夜平安(平穏な一日、平穏な夜、平穏な昼間と平穏な毎日でありますように)」を意味する銘文が記されている。高台内底に2行にわたって「宣徳年制」と記された宣徳期の景徳鎮官窯の製品で、優れたできばえを示す。

第四章 チベットのくらし

 この章では、装身具、楽器や、古くよりインド、中国及びギリシャの医学思想や医療技術に影響を受けてきたといわれるチベット医学の世界を通してチベット密教文化以外の民俗を紹介する。膨大な医学的知識は、一組80幅のタンカの中で約4900もの小図によってわかりやすく図解されている。

主な作品
青花高足碗

四部医典(しぶいてん)タンカ・人体骨格図(じんたいこっかくず)
20世紀・77.0×64.3cm・チベット博物館
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四部医典(しぶいてん)タンカ・人体骨格図(じんたいこっかくず)
20世紀・77.0×64.3cm・チベット博物館

 チベットには、古くからインド、中国、そして西方からはギリシャの医学思想や医療技術が伝えられたといわれ、なかでもインドのアーユルヴェーダ系からの影響が強いとされている。8世紀中頃、ユトク・ニンマ・ヨテンゴンポが、チベット医学の聖典『四部医典』を編纂し、その後17世紀には現在のような156章に整備された。
 この『四部医典』には、人体の解剖学的構造や生理機能、病気の病因・病理・症状、診断方法や治療原則、薬物の種類・用法や医療者の道徳と心得などが具体的に記されているが、薬師如来を本尊とする信仰体系として捉えることもできる。これらの内容はタンカ一組80幅にまとめられ、全部で約4900もの小図が描かれている。

六字真言

「オン・マ・ニ・パド・メ・フン」(百蓮華の宝珠よ、幸いあれ)
この真言を唱える者は、様々な災害や病気・災難などから、観世音菩薩によって護られるという。

五体投地礼(ごたいとうちれい)

 全身全霊を投げ出し、身(体)・口(言葉)・意(心)のすべてによって仏法への帰依を示す仕草。まず、胸前で合掌し、合掌したまま頭のてっぺんまでのばす。合掌のまま手を口元へ下ろし、そのまま胸元へ。両手を体前で拡げ、両手両膝を地面につける。うつ伏せになりながら体を一杯に伸ばす。腕を前方に伸ばしきったところで合掌し、いったん起き上がり、胸前で合掌する。以下同じ動作を繰り返す。
 合わせた掌を頭に置きこう念ずる。「この身体がこれまでになしてきた罪を清めたまえ」と。口の前に置きこう念ずる。「この口がこれまでになしてきた罪を清めたまえ」と。胸の前に置きこう念ずる。「この心がこれまでになしてきた罪を清めたまえ」。
 こうやって、罪を罪として懺悔(ざんげ)し、許しを求めるべく全身を投げ出す。

世界遺産

 世界遺産は、1972年にユネスコ総会が採択した「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を有する不動産のうち、世界遺産リストに登録された遺産や景観そして自然などを指す。  2008年7月現在、878件(うち文化遺産は679件、自然遺産174件、複合遺産25件)。なお、世界文化遺産は、記念碑的価値を持つ単体建造物、建築物群および地域一帯を取り扱う。

〔1〕ラサのポタラ宮歴史地区(ポタラ宮、大昭寺、ノルブリンカ) (1994年登録、2000年と2001年に拡張登録)
 ポタラ宮は、かつてソンツェンガンポ王が宮殿を建てた、ラサのマルポリの丘(紅山)にそびえ立つ巨大建築物で、1642年に政教一致のチベット指導者となったダライラマ5世(1617〜1682年)が造営を始め、約50年後に完成した。「ポタラ」は、観音の聖地を意味するサンスクリット語ポータラカ(補陀落)の音訳。
 ラサの大昭寺(チョカン)は、7世紀半ば頃、ソンツェンガンポ王の死後、ネパール出身のティツン妃が建立した寺院で、もう一人の妃文成公主が唐からもたらした釈迦を祀るところからその名前(釈迦堂の意味)がついたとされる。現在でも篤い信仰を集め、香華を供えたり五体投地する人々が絶えない。
 ラサにあるノルブリンカは、ダライラマ7世(1708〜1757年)が1755年から造営を開始した、夏の離宮と庭園。現在では公園として、人々の憩いの場所となっている。

〔2〕承徳の避暑山荘(ひしょさんそう)と外八廟(がいはちびょう)(1994年登録)
 承徳離宮とも呼ばれる避暑山荘は、河北省承徳にあり、清朝の皇帝が避暑と公務のために建造した山荘で、宮殿および面積の約8割を占める庭園部分から構成されている。現存する中国皇帝ゆかりの庭園として最大の面積を誇り、庭園は江南の風景を模している。外八廟は、18世紀に建造が開始されたチベット仏教寺廟群で、山荘の北と東を取り囲むように配置されている。なかでもポタラ宮を模した普陀宗乗之廟や世界一の高さを誇る木彫観音菩薩立像を祀る普寧寺などがよく知られている。

チベット文化圏略図

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チベット略年表

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チベット密教の解説

チベット密教について

 所作タントラ、行タントラ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラの四種に分けられる密教経典は、この順番でより高度な段階にあるとみなされ、チベット密教では主としてIVを受け入れた。

  1. 所作タントラ 密教初期段階(雑密)で単純な儀式や作法
  2. 行タントラ 『大日経』などマンダラを使った瞑想の方法
  3. 瑜伽タントラ 『金剛頂経』や『理趣経』など本尊と一体となる密教的な瞑想修行の過程
  4. 無上瑜伽タントラ インド後期密教の到達点『秘密集会タントラ』、『ヘーヴァジラ・タントラ』、『カーラチャクラ(時輪)タントラ』など

 チベット密教は、多種多様な尊格を有するため、これらを整理分類する方法も発達した。一般に、仏・如来、菩薩、祖師、守護尊(イダム)、護法尊、忿怒尊、女尊、羅漢などに分けられる。うち羅漢以外には男性・女性の別がある。膨大な数に上るこれらの仏達を統合する根源的な存在として、宗派によって異なる本初仏が立てられている。ゲルク派は持金剛仏、カギュ派は金剛薩埵、ニンマ派は法身普賢を本初仏とする。

以下、チベット密教において特徴的な尊格のカテゴリーについて、いくつか簡略に述べる。

祖師

信仰上の師を重視することは、密教に一般的な考え方と言えるが、チベット密教においては師資相承を特に重視しているため、各派はそれぞれの開祖や学僧などを賛美し、没後は遺骨を祀る霊塔を建て、肖像画を作った。

守護尊

誓約をなすにあたって「守り神」の御名に掛けて誓うというチベットの古くからの風習に基づき、仏教伝来後、師から与えられた特定の仏教尊格が個々人の守護尊(イダム)とされるようになった。ほとんどが明妃を抱擁する男女合体の多面広臂像(頭や手足が複数あるもの)で、ヤブユム(父母仏)像と呼ばれる。カーラチャクラ(時輪金剛)、ヘーヴァジュラとチャクラサンヴァラ、阿閦金剛とヴァジュラバイラヴァなどの無上瑜伽タントラの本尊が代表的な尊格である。本来は伝法灌頂を受けた僧侶にのみ開帳すべきものとして、寺院では一般信徒の目に触れないようにすることが多いという。

護法神

仏教守護の善神である護法神は、インド起源のヒンドゥー教のほか、チベット土着のボン教の神々からも取り入れられたもので、タムチェンと呼ばれるボン教起源の神々はチベット風の服装で描かれる。守護尊が特定の個人や寺院の守り神であるのに対し、仏教の三宝(仏法僧)を護る仏達である。

 また、チベット密教美術において特徴的な表現形式として、寺院内の壁画、タンカ、金銅仏と密教法具が挙げられる。なかでも各種の尊格、祖師図、仏伝図などを綿、麻、絹などに描くタンカは、わが国の掛軸形式の仏画にあたるもので、色とりどりの布で表具され、信者・僧侶の観相や礼拝、堂内の荘厳と供養などに用いられる。