過去の展示情報

トピック展示 :

よみがえる弥生都市

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展示期間:

平成20年8月20日(水)〜11月16日(日)

展示場所:

文化交流展示室第3室

概要:

 「魏志倭人伝」に登場する「一支国」の王都と目される「国指定特別史跡 原の辻遺跡」と九州最大級の弥生時代の環濠集落「国指定特別史跡 吉野ヶ里遺跡」、そして多重環濠を有する水に浮かぶ弥生集落「国指定史跡 平塚川添遺跡」。弥生時代を代表する北部九州の三遺跡が「九州北部三県姉妹遺跡」を締結して10周年を迎えることを記念して各史跡の特徴、地域性及び共通性等を踏まえ、各史跡から出土した資料を展示します。

 今回のトピック展示における三遺跡は「弥生時代の大規模環濠集落」という共通性を持ち、それぞれが地域における拠点集落として機能していました。「原の辻遺跡」は「一支国」の中心として、そして「吉野ヶ里遺跡」「平塚川添遺跡」は明確にはされていないものの弥生時代の「クニ」の中心集落であったことは疑いえません。未だ謎のままである「邪馬台国」を解明する鍵が秘められた各遺跡からの出土品を関連資料を交えて展示します。

展示作品の紹介
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人面石

人面石 1点
弥生時代後期〜古墳時代初頭 3世紀
原の辻遺跡(八反地区)出土
長崎県教育委員会所蔵

人面石 1点
弥生時代後期〜古墳時代初頭 3世紀
原の辻遺跡(八反地区)出土
長崎県教育委員会所蔵

 厚みのある凝灰岩の自然石を利用して製作されたもので長さ10.2cmの楕円形をしています。目と口は円坑で表現し、鼻は削り出しで浮き彫り、目の上には眉を二条の弧で表現して人の顔を形どっています。用途については明確ではありませんが、何らかの祭祀儀礼に用いられたものと考えられています。

ガラス製管玉

重要文化財 ガラス製管玉 46点
弥生時代中期 前1〜1世紀
吉野ヶ里遺跡(墳丘墓SJ1002甕棺)出土
文化庁所蔵(佐賀県立博物館保管)

重要文化財 ガラス製管玉 46点
弥生時代中期 前1〜1世紀
吉野ヶ里遺跡(墳丘墓SJ1002甕棺)出土
文化庁所蔵(佐賀県立博物館保管)

 吉野ヶ里遺跡墳丘墓のSJ1002甕棺墓からは79個のガラス製管玉と把頭飾付有柄式銅剣が出土したことで注目されました。ガラスの管玉は鉛バリウムガラスで半島もしくは北部九州で作られたと考えられています。用途については胸飾りあるいは王冠に使ったとする復元案が考えられています。

銅鐸

銅鐸 1点
弥生時代後期 2世紀
吉野ヶ里遺跡出土
佐賀県教育委員会所蔵

銅鐸 1点
弥生時代後期 2世紀
吉野ヶ里遺跡出土
佐賀県教育委員会所蔵

 吉野ヶ里遺跡の中心からは離れた谷部で埋納されていた九州初出土となる銅鐸。これまで鋳型や小銅鐸、鐸形土製品は出土していましたが、銅鐸そのものは発見されていませんでした。この銅鐸は横帯文を特徴とし、中国地域で4例が知られている「福田型」と呼ばれる型式のもので、島根県木幡家銅鐸が同笵であることが判明しています。

巴形銅器鋳型

重要文化財 巴形銅器鋳型 1点
弥生時代後期 2〜3世紀
吉野ヶ里遺跡出土
文化庁所蔵(佐賀県立博物館保管)

重要文化財 巴形銅器鋳型 1点
弥生時代後期 2〜3世紀
吉野ヶ里遺跡出土
文化庁所蔵(佐賀県立博物館保管)

 巴形銅器は南海産の貝をモチーフに作られたと考えられている青銅器で、盾などの飾金具として用いられました。南海産の貝には辟邪の力があると目されており、貝輪などに用いられて身につけられました。弥生時代にはゴホウラ・スイジガイ・オオツタノハなど多種の貝が用いられていますが、巴形銅器の祖形となる貝については諸説あり現在の所定まっていません。製品は関東地方から九州まで幅広く出土していますが、鋳型は現在の所、北部九州でわずか2例が出土しているだけです。(写真の巴形銅器は復元品で今回は展示しません)

ねずみ返し

ねずみ返し 1点
弥生時代後期 3世紀
平塚川添遺跡出土
朝倉市教育委員会所

ねずみ返し 1点
弥生時代後期 3世紀
平塚川添遺跡出土
朝倉市教育委員会所

 多重の環濠に囲まれた平塚川添遺跡からは多数の木製品が出土しています。生活用具などの他に建築部材も多数が出土しました。本品はねずみ返しと見られ、高床式の建物に用いられたものと推測されます。