映像アーカブス


太宰府天満宮とその周辺で行われている年中行事や、それらと関係する民俗行事の記録映像を視聴できます。


岩戸寺修正鬼会

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県立アジア文化交流センター(2017年製作)
解説を読む

修正鬼会とは、国東半島の六郷満山寺院を中心に行われてきた春を迎える伝統行事です。かつては多くの寺院で行われていましたが、現在は天念寺(豊後高田市)、成仏寺、岩戸寺(ともに国東市)の三ヶ寺となりました。岩戸寺の修正鬼会が最も古い形を残しているといわれています。本来、修正鬼会は寺院の法会ですが、国東地方の修正鬼会は地域住民が重要な役を務めます。その名のとおり修正鬼会には鬼が登場しますが、節分の鬼とは違い、修正鬼会の鬼は福を招く存在です。この鬼の存在と、寺院と地域の結びつきの深さが、国東地方の修正鬼会の特長です。

山家宝満宮に伝わる山家岩戸神楽(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑紫野市山家にある山家宝満宮では、宝満宮の宮座の日である毎年10月17日に神楽が奉納されます。その起源は古く、元禄6年(1693年)に、神楽殿が建立されていることから、少なくとも、そのころには神楽を奉納していたことが分ります。
岩戸神楽は、その演目の中に、記紀に見られる「岩戸開き」をテーマにした「天の岩戸」があることからそのように呼ばれ、13番が受け継がれています。
これらの演目の中でも特に注目されるのは、「荒振神」で、「筑前」の国号起源説話を取り入れた筑前特有の演目です。荒振神が客席に向かって本物の水をまく場面が、見所の一つといえます。また、「問答鬼」は同じく荒振神が翁から鈴を授かり、舞うように命じられ、鈴を振りながら舞台を飛び出して、本殿に駆けあがり、その年に生まれた子供を抱えて神前にぬかずきます。子供の健やかな成長を願う儀式を交えた演目です。

武蔵寺経塚と写経埋納法会(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑紫野市の武藏寺では、毎月第一日曜日には般若心経を写経する「写経浄行会」が行われ、写経会で書かれた写経は、1年分をまとめて、11月第一日曜日に「写経埋納法会」で経塚に納めます。その契機は昭和43年の武蔵寺経塚の発掘です。
武蔵寺経塚は、筑紫野市の武蔵寺の西側にあたる「堂ノ山」と呼ばれる小山の山頂に造営された平安時代末期の経塚です。経塚からは、7本の経筒をはじめとする遺物が出土しました。
「写経埋納法会」では、武蔵寺の本堂で本尊の御開帳と法要が行われた後、経塚が出土した堂ノ山山頂で経塚が納められます。他に例を見ない珍しい行事といえます。

武蔵寺・地蔵会 武蔵寺の虎麿伝説(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑紫野市の天台宗・武蔵寺には、武蔵寺の創建に係わる藤原虎麿の伝説が伝えられています。『武蔵寺縁起』によると、御笠郡須多礼に住む藤原虎麿は、天智・天武の二帝に仕え、椿花山武蔵寺を創建した豪族でした。
虎麿は、その死期にあたり、家臣75人を集め、「自分が死んだら遺体に鎧と兜を着せ、弓矢を持たせ薬師堂の傍らに葬り毎年その日に法要を行うこと。そうすれば豊作がもたらされ、民の安全が守られるであろう」と言い残して、朱鳥元年(686年)10月15日に亡くなりました。
家臣等は、遺言通り薬師堂の傍らに遺骨を葬り、祠を建てて、命日に法要を行なったとされ、その法要が、現在も旧暦の10月15日に武蔵寺において執り行われる「地蔵会」の始まりとされています。永禄3年(1560年)まで確実に遡ることができる古くからの行事であるといえます。

筑紫野市古賀 扇祇神社の宮座(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑紫野市古賀にある扇祇神社では、毎年11月初旬ころに宮座が行われます。宮座とは、座を設けて供物を献じ、神と食を共にし、秋の収穫に感謝する行事です。
宮座を控えた数日前の朝、宮座当番は座員宅の元を訪れて、宮座の案内を行います。宮座当日の朝、公民館での打ち合わせを終えた座員は、注連縄打ちと直会の準備を行います。
正午より、本殿で神事が行われます。神事終了後、神職の神籤により来年の当番を選出し、公民館で直会が行われます。神前にあげられていたオゴクウと呼ばれる米を皆で分け合った後、今年と来年の当番がなみなみと注いだ御神酒を飲み干す「当渡し」が盛大に行われ、非常な盛り上がりを見せます。

筑紫神社の宮座(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑紫野市原田・筑紫にある筑紫神社では、毎年11月から12月かけていくつもの宮座が行われます。宮座とは、座を設けて供物を献じ、神と食を共にし、秋の収穫に感謝する行事です。筑紫神社では旧原田村の本座と新座、旧筑紫村の筑紫座、そして筑紫神社の摂社である若宮社の若宮座が現在でも行われています。
宮座当日は、本殿で神事が行われます。神事終了後は社務所、料亭もしくは座元宅で直会が行われます。神前にあげられていたオゴクウと呼ばれる米を皆で分け合った後、今年の当番から翌年の当番への引き継ぎの儀式「当渡し」が行われ、秋の収穫への感謝にわきます。

福徳招来を願う宰府のえびす様(福岡県太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

太宰府市の近辺、特に太宰府天満宮門前町には恵比寿様の石像が多く祀られています。毎年12月3日早朝には、恵比寿詣りが盛大に行われます。
3日の早朝6時、普段から恵比寿像をお世話する人々は、お参りに来る人たちへのお接待の準備をし、参拝客を待ちます。太宰府の「えびす詣り」には、昔から「七所(ななとこ)詣り」という風習があります。地元の恵比須様に詣ったあと、他の地域の恵比須様を七カ所拝んで回るというものです。
早朝に「えびす詣り」を行う所の多くは、当日の夜に直会をします。直会の座には、昔のしきたりに沿って恵比須様の掛け軸がかけられます。一年間の商売繁盛、福徳招来を願って、直会が行われるのです。

筑紫神社の粥卜(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑紫野市原田・筑紫にある筑紫神社では、3月15日に筑紫野市の無形民俗文化財に指定されている「粥卜祭」が行われます。一月前に炊いて、神殿に納めていた粥のカビの生え具合や色で、その年の作物の豊凶や、風水害、害虫、伝染病の発生などを占うものです。
「粥卜」に先だって、2月15日に「粥入れ」が行われます。粥を炊き、鉢に盛って神殿に納める神事です。炊きあがった粥は、この銅鉢に盛ります。粥を盛った鉢は、木箱に入れ、神殿の内陣に納められて「粥入れ」が終わり、一月後を待ちます。
3月15日、「粥卜」は、早朝、卯の刻にはじまります。粥を納めた内陣の扉が開けられ、神事の後、神殿から粥を下ろします。そして、判定がはじまります。判定は、昔から伝わる判定基準に従って行われます。江戸時代後期から続く、北部九州独自の占い行事です。

節目の厄よけ(節分祭・梅あげ)太宰府天満宮(福岡県太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

太宰府天満宮では、2月3日に節分祭、3月の吉日に梅あげという行事が行われます。ともに、厄除けと幸せの到来を祈念するまつりです。
<節分祭>
節分祭は、中国から伝わった追儺の儀式に由来すると言われています。追儺は、「鬼やらい」ともいわれ、悪鬼や疫病、災いを祓う行事です。
太宰府天満宮では、厄除けの神事として「節分厄除大祭」を行っています。神事の後、本殿前に設置された舞台に、場を移し、年男や初老の厄年、還暦の人たちが加わって豆まきは、賑わいを増します。
<梅あげ>
梅あげは初老(数え41歳)の前厄を迎えた人と還暦を迎えた人が行う行事です。
道真ゆかりの梅の木を天満宮に植樹奉納して厄払いをするというものです。「梅あげ」では、奉納する梅の木を牛車に乗せ、行列をなして天満宮の門前町を練り歩きます。
道々で紅白の餅を配るとともに、接待を受け、厄払いを行い、最後に梅の植樹を行います。

神功皇后伝説-宇美八幡宮子安祭-(福岡県糟屋郡宇美町)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

福岡県糟屋郡にある宇美八幡宮は、遙か遠い昔、神功皇后が、この地で応神天皇を出産されたという伝説から安産の神様として知られる神社です。
境内にある「子安の石」を預かり持ち帰ってお産の守りとし、無事出産したあとは、生まれた子供の名前を書いた新しい石をそえてお返しするという風習も根付いています。
宇美八幡宮では、毎年4月中旬に「子安祭」が行われます。古くから行われてきた子供の無事成長を祈る春の大祭です。
「子安祭」では、2年に1度、御神幸が催行されます。宇美八幡宮から伊野山の麓にある頓宮までの表参道、およそ700メートルを進みます。
頓宮では、御神幸を祝って、子供達が「浦安の舞」を奉納します。そして、その日の内に宇美八幡宮に還御します。
そして翌日の夜には境内にある神楽殿で、神楽が奉納されます。宇美神楽は、江戸時代の中頃にはすでに行われていたとされる福岡県の無形民俗文化財に指定されている神楽です。神功皇后の伝説に彩られた子供達の健やかな成長を願う「子安祭」です。

霊峰 宝満山の修験道(福岡県太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

福岡県太宰府市と筑紫野市の境にある宝満山は、古代から、「神の山」として知られ、大宰府政庁が置かれた時には、大宰府守護の鬼門除けとして、山頂に八百万の神が祀られたと伝えられています。また、この山は、7世紀の末に心蓮上人が開き、また役行者も修行をしたと伝えられる修験の山です。
毎年5月の第2日曜日。宝満山峰入りの行が行われます。「峯入り」とは、古来、山岳を道場とする山伏が行ってきた重要な修行の一つ。山伏たちは、山中に点在する昔の修験道の跡や、祠、石仏などを供養しながら進みます。「峯入り」は明治維新の時に、途絶えていましたが、戦後、「大護摩供」と共に復興しました。
5月の最終日曜日には、「修験秘法の大行事」とされる「大護摩供」と「火生三昧・火渡りの行」が竈門神社下宮で行われます。
太古の昔から、霊山としてまた山伏たちの修験の山として誉れ高い歴史を刻んできた宝満山。そして、様々な人の様々な祈りを包んできた宝満山。その山懐は、時代を越えて人々の心をとらえてやまない神秘と畏敬に満ちています。

筑紫野の瓜封じと丑湯まつり(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

7月下旬の土用丑の日、福岡県筑紫野市にある天台宗の古刹・武蔵寺では、病封祈願「瓜封じ」が行われます。
武蔵寺は、筑紫国吹田郷に住む豪族・藤原虎麿が、薬師如来のお告げを受けて創建したと伝えられています。
また、虎麿は、薬師如来のお告げで温泉を発見したとも伝えられています。「瓜封じ」は、その虎麿の温泉発見にちなんではじめられたといわれる病封祈願の仏事です。
武藏寺縁起によると、ある年、疫病が流行。虎麿の娘である瑠璃姫も疫病にかかり、日ごと衰弱していきました。
ところがある日、虎麿の夢枕に一人の僧が現れて、「ここから東の方に温泉が湧く。これに湯浴みすれば必ず病気は治るであろう」と告げます。その言葉通りに温泉が見つかり、瑠璃姫を湯浴みさせたところ、病は全快したと伝えています。このお告げによって発見した温泉は、現在の「二日市温泉」と伝えられています。
二日市温泉では、この言伝えにちなみ、毎年夏の土用の丑の日に「丑湯祭り」が行われています。
また、この映像では、二日市温泉の歴史や、温泉をはじめとする筑紫野名所を歌った野口雨情作詞「筑紫小唄」なども紹介します。

だざいふの夏祭り(福岡県太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

7月に入ると、氏神様の夏祭りが各地ではじまります。1年の折り返しの大事な節目に前半の6ヶ月間の罪穢をはらい、後半6ヶ月間の無病息災を願う夏越祭りです。
太宰府天満宮にも、夏越の祓いのシンボル大きな茅の輪が据えられます。天満宮とその周辺地区では、それぞれに、「オヨド」と呼ばれる夏祭りも行われています。「オヨド」とは「宵祭り」のことです。暑さが和らぐ夕暮れ時から、氏神様に集い、 子供達を中心にして楽しい宵を過ごすという古くからの祭りです。
この映像では、太宰府天満宮で盛大に行われる夏まつりのほか、門前町でも行われる「オヨド」のうち、五条区の朝日地蔵の夏祭りと馬場区のゴウレイドンのオヨドを紹介すると共に、朝日地蔵やゴウレイドンにまつわる伝承や文化財なども紹介します。

戦国の花・高橋紹運(福岡県太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

7月27日、福岡県太宰府市にある浄土真宗本願寺派の西正寺では、戦国武将・高橋紹運の慰霊祭「岩屋忌」が行われます。
太宰府の岩屋城主でした高橋紹運は、わずか七百余名の手勢で、4万とも5万とも言われた島津の軍勢に立ち向かい14日間に渡る壮絶な戦いを繰り広げた「岩屋城合戦」で知られています。それから400年余、紹運の武勇は「戦国の花」として語り継がれてきました。
この映像では、高橋紹運の生涯と、華々しく討ち死にした「岩屋城合戦」を紹介すると共に、紹運の死後、彼の武勇がどのように賞賛されてきた歴史を紹介し、「戦国の花」と賞された高橋紹運に対する顕彰の足跡をたどります。
また、戦前に水城尋常小学校から発行された「郷土読本」に掲載された岩屋城合戦の一節や、戦前まで歌われていた「嗚呼壮烈岩屋城」の歌や、地元に伝わる岩屋城合戦にまつわる伝説なども紹介します。

正行寺の報恩講と雅楽(福岡県筑紫野市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

福岡県筑紫野市二日市にある浄土真宗正行寺では、主だった法要において雅楽を奉納します。戦後に発足した正行寺雅楽部として発足した筑紫楽所により奉納されています。
正行寺では、毎年11月の中旬に、三昼夜に渡って法要を営みます。正行寺の勤行は、僧侶と門徒が一緒に勤める「同朋唱和」を特色とし、浄土真宗の最も大切な教えを説いた「正信偈・和讃」や、三部経と呼ばれるお経や念仏などを唱和します。
雅楽は、7世紀から8世紀にかけて、中国や朝鮮半島から伝わった伎楽などがルーツといわれ、大宝元年(701年)には、宮中にも「うた雅楽りょう寮」がおかれました。日本固有の「雅楽」として完成したのは平安時代といわれ、宮中をはじめ社寺でも演奏奉納されるようになっていきました。
平成16年(2004年)、正行寺の報恩講では、「胡蝶」・「陪臚」・「還城楽」の3つの演目の舞楽が奉納されました。力強くかつ華麗に演じられています。

筑前に伝わる荒神琵琶(福岡県糟屋郡篠栗町・福岡市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

筑福岡県糟屋郡篠栗町では、毎年12月頃から荒神琵琶の音が轟きはじめます。天台宗玄清法流に属する琵琶法師が檀家を一軒一軒回り、竈の神様、荒神様のおまつりを行います。
かつては、どこの農家にも荒神様が祀られ四季の土用ごとに荒神まつりが行われていました。祭壇を作りお供えをして、琵琶をひきながら経を唱え、竈祓い、家祓いなどにあたりました。琵琶法師は、千数百年の昔、太宰府に生まれた玄清法印を始祖とすると言われています。
玄清法流の琵琶は、現在は、成就院で行われる「法楽法要琵琶」と、各地の檀家を回って行う「回檀法要琵琶」との2つの形式で行われています。「法楽法要琵琶」は、成就院に所属する僧が参加する1月の初観音と8月の施餓鬼法要で行われます。玄清法流盲僧琵琶法楽は、福岡県の無形文化財に指定されています。
また、”回檀法要琵琶”は、四季の土用を中心に檀家を回って行われてきた”荒神祭り”の琵琶です。時代の変遷とともに荒神様を祀る家も少なくなり、荒神祭りの琵琶を弾ける僧もほとんどいなくなりましたが、細々ながらも年末年始に檀家を回って荒神祭りが行われています。
この映像では、玄清法印の伝説、実際の法楽法要・回壇琵琶法要の他、現在も荒神竈が残る農家での荒神祭りの様子なども納められています。

春日の婿押し-春日神社-(福岡県春日市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

福岡県春日市にある古社、春日神社では、毎年小正月の前夜1月14日には、国指定重要無形民俗文化財の「婿押し」が行われます。
前年に結婚した新郎新婦を祝福する通過儀礼であり、この行事に参加する者には悪事災難をのがれ幸運がもたらされるという氏子あげての祭りです。「若水祭」とも呼ばれ、「樽せり」や「左義長」、「お汐井とり」などを複合した全国的にみても珍しいとされる伝統の祭です。
祭り当日、午後7時半。「宿での行事」を行い、一番の見所でもある「若水祭」が始まります。青年団長が、神酒樽の御神酒を一気に飲みほして、「樽せり」が始まります。御池に飛び入り、凍てつく寒さの中での、激しい樽の奪い合いを行います。男衆の上に乗り、樽を踏み割ろうと、片足で何度も強く蹴りつけます。大勢の観客たちが見守る中、激しい攻防戦が続きます。樽が割れると、その破片を取り合います。
その後、「お汐井取り」、「婿揉み」、「若水祝い」と続き、春日神社最大の祭り、婿押しは幕を閉じるのです。

筑紫平野の稲作行事(福岡県筑紫野市・太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

農耕民族の長い歴史の中で守り伝えられてきた農耕儀礼は農作業が順調に進み、豊作がもたらされるようにという願いが込められています。福岡県筑紫野市・太宰府市をはじめとする筑紫平野でも、数々の稲作行事が伝えられています。
この映像では、現在も行われている稲作行事の他、戦前・戦後の古写真により、田植えや稲刈りなどかつての稲作の風景も紹介します。
○紹介する稲作行事
<ダブリュー(5月)>(太宰府市坂本)
<さなぼり(6月)>(太宰府市北谷)
<田誉め・七夕籠もり(8月7日)>(太宰府市大佐野・坂本)
<圓通院・大施餓鬼(8月18日)>(筑紫野市山家)
<川祭り(秋のダブリュー)(9月)>(筑紫野市柚須原)

太宰府天満宮の農耕神事(福岡県太宰府市)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

太宰府天満宮では、数々の農耕儀礼が毎年、執り行われています。この映像では、種蒔きから新穀奉納まで、天満宮で行われる4つの行事を紹介します。
<播種祭(5月)>
「播種祭」は、苗床に種籾を播く祭です。本殿で種蒔・撒水の儀式が執り行われます。
<お田植え祭(6月)>
「お田植え祭」は、播種祭より大事に育ててきた早苗を、斎田に植える祭です。斎田の前に設けられた祭場に神を迎え、早苗の無事成長を願う神事が行われます。
神事が終わると、田に縄を引き、田植えを行います。田植えが終わると「田誉めの儀」です。神職が、案山子やカエル、てるてる坊主などを従えて、田植えを終えたばかりの田んぼの周りを行列します。そして田んぼの四方には、竹に挟んだ虫除けの札、「蝗蟲除守札」が立てられます。
<抜穂祭(10月)>
「抜穂祭」は稲穂を刈り取る神事です。宮司と作長による「抜穂の儀」の後、菅笠にもんぺ姿の巫女や氏子、子供達が一斉に田んぼに入って稲を刈ります。風情に溢れ、実りの秋の、豊年満作の喜びにわく「抜穂祭」です。
<新嘗祭(11月23日)>
新嘗祭は、その年に収穫したばかりの穀物を神に捧げ、神と共に新米をはじめて頂く祭です。神前には、斎田と氏子たちの田んぼで収穫した新米が供えられ、氏子総代をはじめ氏子たちが参列して催行されます。

筑前里神楽(福岡県糟屋郡宇美町ほか)

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2004年製作)
解説を読む

福岡県糟屋郡宇美町にある宇美八幡宮では、恒例の春の大祭「子安祭」と、秋の大祭「放生会」では、境内にある神楽殿で古くから伝わる「宇美神楽」が奉納されます。
筑前地方では、江戸時代、神職らが相互に神楽の組を作って、それぞれ受け持ち神社の例祭に回り持ちで神楽を奉納していました。その神楽を明治維新後も村人たちが受け継ぎ、今日に伝えてきたものがあり、「筑前里神楽」と呼んでいます。
この映像では、宇美神楽を中心に、その他の筑前地方の神楽(岩戸神楽・山家岩戸神楽・太祖神楽・高祖神楽)を織り交ぜながら、主な演目の紹介を行い、それらの違いや共通性などを比較して、「筑前里神楽」の概要を紹介します。

志賀海神社 歩射祭

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2006年製作)
解説を読む

毎年1月15日に志賀海神社で行われる歩射祭は、直径6尺9寸の大的を8人の射手が代わる代わる射る弓の神事です。その昔、悪魔の象徴である土蜘蛛を阿曇氏と8人の射手が退治したという伝説に由来し、大的は土蜘蛛を表しています。福岡県の無形民俗文化財に指定された無病息災、五穀豊穣、そして豊漁を祈念する由緒ある祭りです。
射手は志賀海神社の4つの氏子町からそれぞれ2人選ばれ、古来のしきたりによって、禊ぎ、弓の稽古を繰り返し、歩射祭前日には胴結舞、勝馬詣りなどの神事を行い、当日を迎えます。
当日の的までの距離は11間、およそ20m、一人6本計48本の射的を行います。一人で5本まで的中した場合は6本目は位まけしないようにわざとはずすなどの古くからの風習も伝えられています。

志賀海神社の神幸祭

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2006年製作)
解説を読む

海の守護神綿津見三神を祭神とし、「龍の都」「海神の総本社」と称されてきた志賀海神社では2年に1度、例大祭・御神幸祭が行われます。かつては御神幸が行われるか否かは、旧暦9月1日にみくじで占って決めていました。
祭りは夜のとばりが降りてからはじまります。綿津見三神を3基の御輿に移し、それぞれ笛や太鼓を鳴らし、獅子頭などのお供を従えて御神幸します。
御輿が御仮屋に到着すると頓宮祭とんぐうさいが行われ、竜の舞、八乙女の舞、鞨鼓かっこの舞を奉納します。この三つの舞は古くから伝わるもので、他の神社で奉納される舞の祖形とも言われています。
頓宮祭が終わると御輿はその夜の内に神殿に戻ります。再び賑やかなお囃子に導かれ、進んでは立ち止まり、笛、ささらを奏し、太鼓の音が勇敢に響き渡ります。

志賀島に伝わる由緒深き舞

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2006年製作)
解説を読む

志賀島は古くから海の守護神として信仰され、「龍の都」「海神の総本社」とも称されてきました。ここには古来の神事や祭事が数多く伝わり、その中には各地の神楽や舞の源流とも考えられている貴重な舞も伝承されています。
神功皇后は新羅への渡航の前に、水先案内のために海中に住む海の精霊、阿曇磯良あずみのいそらを呼ぶために神遊びの場を設けたとされます。ここで8人の乙女たちが神楽を舞ったのが「八乙女の舞」、顔に貝殻や海草がついた醜い顔を隠すために覆面をし、首から鞨鼓かっこをかけた阿曇磯良が現れて舞ったのが「細男舞せいのうのまい」とよばれています。このふたつは『志賀海神社縁起』にも描かれ、志賀海神社の御神幸祭などで今も奉納されています。細男舞は奈良の春日大社の「若宮おん祭」でも奉納され、また大分県宇佐市にある八幡宮の総本社、宇佐八幡宮では、操り人形・傀儡子くぐつによる細男舞が豊前の八幡古表神社と古要神社によって奉納され、今でも両神社に伝承されています。志賀海神社の細男舞はこれらの原型とも考えられている重要なものです。

志賀島の四季

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2006年製作)
解説を読む

玄界灘に臨み博多湾の入り口に位置する志賀島は古代から海の交通の要衝であり、古来海をつかさどる神「綿津見わたつみ」の島として崇められ、万葉集にも数々登場します。江戸時代には「漢委奴国王」の金印が発見されたことでも有名です。
島には海の守護神綿津見三神を祭神とし、平安時代に記された『延喜式』にも登場する志賀海神社があり、数々の神事が伝えられています。その他にも島には多くの風習が伝わり、四季折々の行事が繰り広げられています。
新年には悪魔の象徴である土蜘蛛を阿曇氏と8人の射手が退治したという伝説に由来する歩射祭、春には田越し祭や山と海の恵みを祈念感謝する山誉め祭、また御田植祭が行われます。夏には玄海島などの漁師たちがやってくる七夕祭、また盆踊りも繰り広げられます。秋には2年に一度の例大祭・御神幸祭が行われ、御輿が動きます。
これらの行事には神功皇后にまつわる逸話が多く伝えられ、志賀島の重要性を知ることができます。

大分の獅子舞 大分八幡宮

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2006年製作)
解説を読む

大分八幡宮は古来、八幡五所別宮の第一と伝えられる名社ですが、戦国時代には戦火で消失。天正5年(1577)に社殿が再建されました。享保年間になり、流鏑馬やぶさめや御神幸、神楽など、長い間途絶えていた祭礼が次々に復興され、享保5年(1720)、時の庄屋伊佐善左衛門直信は、村人15人を京都の石清水八幡宮に派遣し、獅子舞を習得させました。これが大分の獅子舞のおこりです。現在では仲秋祭で奉納され、福岡県の無形民俗文化財に指定されています。仲秋祭は2日間にわたって、放生会の放魚や御神幸祭、流鏑馬などの様々な行事が催され、それらとともに獅子舞が奉納されます。賑やかなお囃子と共に繰り広げられる獅子舞には子孫繁栄、五穀豊穣の祈りが込められています。

志式神社の早魚神事

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2006年製作)
解説を読む

志賀島の東、奈多に鎮座する志式神社の秋の大祭では、「献魚包刀式」を中心に繰り広げられる独特の神事「早魚神事はやましんじ」が行われます。夜神楽のなかで「早魚舞」として行われ、福岡県の無形民俗文化財に指定されています。
献魚包刀式は二組の青年たちが、まな板の上に置いた塩鯛をさばく早さを競う競争神事で、若者から大人への通過儀礼でもあります。一組は包丁で鯛をさばく「料理人」、座元に鯛のヒレを差し出す「ひれさし」、さばいた鯛の身を入れるすり鉢をもつ「すり鉢持ち」、そして「提灯持ち」の4人で構成されます。出場者と役割は当日のくじ引きで決まり、2時間程の稽古で本番にいどみます。 さばいた鯛は古来「安産」の守りとされ、小さく切り分けて氏子たちに配られます。

大善寺玉垂宮の鬼夜

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2007年製作)
解説を読む

毎年1月7日に久留米市の大善寺玉垂宮で行われる「鬼夜」は、太宰府天満宮で行われる「鬼すべ」と同じく、国の重要無形民俗文化財に指定されている追儺の火祭りです。鬼夜は大晦日から1月7日まで続く「鬼会」と呼ばれる一連の祈願祭の満願の行事で、6つの地区からそれぞれ巨大な大松明を奉仕し、境内を廻る点に特色があります。その他、悪党退治の様子を再現した鬼夜の起源を物語る鉾面神事のほか、鬼が禊ぎを行うシオイガキなどが行われ、祭りは興奮のるつぼと化します。

北野天満宮の御神幸行事

制作:(株)ビデオステーションキュー  製作・著作:福岡県(2008年製作)
解説を読む

久留米市北野町の北野天満宮では毎年10月の第3日曜日に福岡県の無形民俗文化財に指定されている御神幸祭が開催されます。この御神幸祭では男児がきらびやかな衣装をまとい鼓や鉦、締太鼓を打ち鳴らして囃したてる稚児風流(ちごふりゅう)が奉納されます。風流の太鼓打ちは風流士と呼ばれる大人がつとめ、その動きは特徴的で、菅原道真が大宰府へ左遷される際に関わったとされる河童をあらわしているという説もあります。
風流の前に境内では4組の奴舞が奉納されます。奴は大名行列の先頭で警備役をつとめた者たちのことで、ここでは派手な袷に奇抜な化粧といういでたちで登場します。
下宮へのお下りには、奴や稚児風流も一緒に練り歩き、秋の筑後路の風物詩として今に伝えられています。

稚児風流 水田天満宮

制作:(株)ビデオステーションキュー 製作・著作:福岡県(2008年製作)
解説を読む

筑後市水田の水田天満宮では毎年10月25日に御神幸大祭が行われます。この大祭で奉納されるのが、福岡県の無形民俗文化財に指定されている稚児風流です。この稚児風流は鼓や鉦、締太鼓、大太鼓と、楽奏の多くを男児が行い、年齢とともに受け持つ楽器が変わっていく点に特色があります。
稚児風流は御神幸の前に家元宅を皮切りに、町内の氏子の家々へ道風流を奏しながら回ります。境内到着後の本風流の後、本殿で大祭の神事が行われ、その後に下宮へのお下りがはじまります。御神幸の行列は先頭に稚児行列、そして火王水王の面を掲げた矛、御輿、傘鉾とつづき、最後に稚児風流が練り歩きます。
江戸時代末期の元治元年(1864)に書かれた『筑後國水田天神神幸絵巻』には行列の順番から人々の装束にいたるまで御神幸の模様が詳しく描かれており、当時の様子をうかがい知ることができます。水田天満宮の御神幸はこの絵巻を手本として今日まで祭りの法式が厳格に受け継がれてきたと言えるでしょう。

廣田八幡宮神幸祭 どんきゃんきゃん

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2009年製作)
解説を読む

八女市矢部村の八女津媛神社では、5年に一度、福岡県の無形民俗文化財に指定されている「八女津媛神社の浮立」が奉納されています。戦時中に一時途絶えましたが、過去の参加者の記憶を頼りにその後見事に復活を果たしました。
この祭りは浮立の指揮者に位置づけられる「真法師」をはじめ、「大太鼓打ち」「打ち子」「笛吹き」「囃子方」「七福神」などによって構成され、神社近辺4つの地区の氏子が総出で行います。
浮立はまず神社に向かう道中で繰り広げる「道囃子」からはじまり、神社境内での神事の後、真法師の口上から「ひよこ囃子」「まくり」「わたし」と続きます。
大太鼓と鉦、そして笛の音を奏でる浮立の奉納は、五穀豊穣・無病息災の御願成就を感謝する秋の祭りとして大切に守り継がれています。

八女津媛神社の浮立

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2010年製作)
解説を読む

八女市矢部村の八女津媛神社では、5年に一度、福岡県の無形民俗文化財に指定されている「八女津媛神社の浮立」が奉納されています。戦時中に一時途絶えましたが、過去の参加者の記憶を頼りにその後見事に復活を果たしました。
この祭りは浮立の指揮者に位置づけられる「真法師」をはじめ、「大太鼓打ち」「打ち子」「笛吹き」「囃子方」「七福神」などによって構成され、神社近辺4つの地区の氏子が総出で行います。
浮立はまず神社に向かう道中で繰り広げる「道囃子」からはじまり、神社境内での神事の後、真法師の口上から「ひよこ囃子」「まくり」「わたし」と続きます。
大太鼓と鉦、そして笛の音を奏でる浮立の奉納は、五穀豊穣・無病息災の御願成就を感謝する秋の祭りとして大切に守り継がれています。

高千穂の夜神楽

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2011年)
解説を読む

宮崎県の山間部、高千穂町では、毎年、収穫が終わった秋から冬にかけて国指定重要無形民俗文化財「高千穂の夜神楽」が行われます。
「神楽」は、もともと神社で舞われていました。この地域の中心的な神社である高千穂神社には、中世の初め頃から「神楽」が行われていたという古文書が残っています。近世に入り、民間にも広く伝わり、現在、町内19の集落で夜神楽が舞われています。
「高千穂の夜神楽」の特徴として、年毎に、ある民家を「神楽宿」と決め、その民家で神楽が舞われることにあります。今日では公民館が「神楽宿」として使われることもあります。今回はその中で、高千穂町の北に位置する下田原地区の夜神楽を取り上げ、年長者から若者へと代々大切に守り次がれている様子をご紹介いたします。
神々を出迎え地上へ案内する「彦舞」から始まり、神楽宿に八百万の神々を迎えるための「式三番」、天岩戸開きの一連の神話を表現した「岩戸六番」、神々を送り出す「注連」。
新しい年の五穀豊穣を願い、一晩をかけて華やかに舞われる三十三番をご覧ください。

豊前神楽

制作:(株)ビッグベン 製作・著作:福岡県(2012年)
解説を読む

かつての豊前の国と呼ばれた地域(福岡県東部と大分県西部)では昔から神楽が盛んに行われていました。豊前地域では今日でも数多くの神社で神楽が奉納されています。神楽はもともと神職により「社家神楽」として舞われていました。明治以降になると、この地域では神楽講、神楽社によって、その神楽が大切に受け継がれてきました。今回は、そのうち、豊前市の沓川春日神社で奉納された黒土神楽講の舞を記録いたしました。
豊前神楽の最大の特徴は「式神楽」と「湯立神楽」です。
「式神楽」は江戸時代初めには、すでに現在と同じ演目が舞われていたという記録があります。古い形式を極めてよく残したその舞は、華やかさと力強さで見る人々を魅了してやみません。
「湯立神楽」は熟練した舞手が高さ10mほどの湯鉾に登るアクロバティックな舞と暗闇の中で行われる火渡りの舞があります。これらの舞には豊前修験道の影響が色濃く残っているといわれます。
五穀豊穣を願い、氏神様と氏子、神楽の舞手たちによって、しっかりと守り続けられてきた神楽をご覧ください。

市川の天衝舞浮立

制作:(株)RKB映画社 製作・著作:福岡県(2013年)
解説を読む

佐賀県佐賀市富士町市川では、毎年10月中旬に佐賀県指定重要無形文化財「市川の天衝舞浮立」が行われます。
天衝舞浮立は1556年に佐賀市掘江神社の大宮司山本玄蕃が創始した「浮立玄蕃一流」の流れを汲むもので、現在佐賀市を中心に伝承されています。演者は鉦や太鼓、笛などで構成されますが、最大の特徴は「テンツキ(天衝・天竺・天月)」と呼ばれる大型の冠りものを身につけた舞人です。舞人は大太鼓を打ち、頭に被ったテンツキを地面すれすれまで振り回しながら舞い踊ります。
市川の天衝舞浮立の起源は定かではありませんが、佐賀県内の天衝舞浮立のなかで最も規模が大きく、古い様態を伝承しているとされています。集落の中心に位置する諏訪神社に奉納されるほか、仏寺である西福寺にも奉納されるのが特色です。
厳かな鉦の音色をともなう道行きのようすや、舞人の勇壮な舞をご覧ください。

山野ん楽

制作:株式会社コアラ 製作・著作:福岡県(2014年)
解説を読む

福岡県嘉麻市山野では、毎年、収穫の秋を迎えた9月下旬に「山野ん楽」が行われます。「楽」は「楽打ち」とも呼ばれ、豊前・豊後地方に多くみられる民俗芸能の一つで、筑前地方では、ここ山野地区でのみ伝承されています。
そのルーツは寛元2(1144)年、宇佐大宮司宇佐公高により宇佐八幡宮の御分霊勧請の際に、山野地区の若八幡神社に伝来したと言われています。「山野ん楽」は12人の「楽方」が胸に締太鼓を着け、大きくゆったりと舞います。シャグマを被り、腰蓑をつけ、御幣を背中に差した「楽方」のいでたちも「山野ん楽」の特徴です。
幻想的な松明の行列や優雅な舞をじっくりとご覧ください。

豊前感應樂

制作:RKB映画社 製作・著作:福岡県(2015年)
解説を読む

福岡県豊前市四郎丸に所在する大富神社では、春の神幸祭に合わせ、隔年で「豊前感應樂」が奉納されます。
楽とは九州東部に多く伝承される「楽打」のひとつであり、太鼓を中心的な楽器とする舞を神に奉納するものです。
感應樂は天地感應樂または国樂ともいわれ、雨乞い、五穀豊穣、天下太平、国家長久が祈願されるもので、福岡県指定無形民俗文化財に指定されています。
笛、鉦のお囃子に合わせ、中楽と呼ばれる人々が大きく撥を振り上げ、胸に付けた太鼓を打ち鳴らし、勇壮かつ激しく舞うのが特徴です。
また、ヘラの木の皮で作った腰蓑や大団扇、草鞋などの道具が、昔ながらの技法で守り作り続けられている点も魅力の一つです。