御笠の森

大野城市の大野北の大野北小学校近くには、こんもりと木々が顔をのぞかせている森があります。この森は昔から「御笠の森」と呼ばれ、日本でもっとも古い歴史書である『日本書紀』などにその記述があります。この一帯の郡名である「御笠」の名の由来ともなった場所です。
『日本書紀』には、仲哀天皇の皇后である神功皇后が、荷持田(のとりだ)(甘木市野鳥)に住む羽白熊鷲という豪族を従わせようとして、橿日宮(かしいのみや)(福岡市東区香椎)から松峡宮(まつおのみや)(朝倉郡三輪町)へ向かっていると、突然つむじ風が起こり皇后のかぶっていた笠が吹き飛ばされて、この森の木の梢にひっかかったため、御笠の森というようになりました。そして、この地の地名も御笠郡と名づけられたとあります。
また、御笠の森には、万葉歌碑が建てられています。大宰大監大伴宿禰百代(だざいのだいげんおおとものすくねももよ)の歌です。

念(ねが)はぬを 思ふといはば大野なる
御笠の森の 神し知らさむ

この歌は、大伴宿禰百代が坂上郎女(さかのうえのいらつめ)に贈った恋の歌四首のうちの一首です。
(大野城市立歴史資料展示室解説シート民俗No.7「大野城市の伝説1(御笠の森)」より)

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筑前名勝画譜に描かれた御笠の森(国立公文書館蔵)

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御笠の森の歌碑

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御笠の森

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筑前名所図会に描かれた「御笠の森」伝説(写真提供:福岡市博物館)