般若寺跡(七重塔)

大宰府政庁の南約800mの地点、朱雀2丁目の字般若寺の場所に位置する古代寺院跡の遺跡です。発掘調査の結果、塔の心礎が残る塔跡とその東側に隣接する掘立柱建物1棟、北側の寺域を画する柵列が検出されています。
そして、老司式軒丸・軒平瓦のほか、8世紀代を中心とする土器をはじめとする遺物が出土しています。
また、寺域内には、鎌倉時代の七重の塔が現存しており、国指定の重要文化財に指定されています。この石塔は、花崗岩製で、基礎からの現存総高は3.35mを測り、下の軸部は高さ47cm、幅50cmで、各面に梵字で金剛界四仏が彫られています。
この般若寺跡は、『上宮聖徳法王帝説』の裏書きに見る筑紫大宰蘇我日向ひむかが白雉5年(654年)に孝徳天皇の冥福を祈って建立した般若寺とする説があるほか、日向の般若寺は、実は筑紫野市塔原の塔原廃寺で、当般若寺は奈良時代に入ってから塔原から移転したものであるとする説がありますが、発掘調査の結果からは塔原廃寺と般若寺跡遺跡とは併存期間があるとされ、いずれも未だ定説には至っていません。
(太宰府市「太宰府の中世石造物」『太宰府市史 美術工芸資料編』 太宰府市『太宰府市史 考古資料編』より)

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般若寺塔跡と瓦積み基壇(写真提供:九州歴史資料館)

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塔跡付近から出土した老司系軒丸・軒平瓦(写真提供:九州歴史資料館)

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般若寺跡塔礎石

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般若寺七重石塔

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七重石塔梵字