宮地岳山城跡

筑紫野市吉木・阿志岐の地は奈良時代、駅伝制に基づいた蘆城駅家あしきのうまやが置かれたところとされ、駅家と推測される遺構群も、吉木の御笠遺跡群で見つかっています。
この阿志岐の平野の東側には、標高338mの宮地岳があり、山頂に宮地岳神社、南麓に装飾古墳の殿様塚古墳などが点在する歴史豊かな山です。近年、この宮地岳の西麓を中心に、古代山城と考えられる遺構が発見され、「宮地岳山城」として認識されるようになりました。
現在見つかっている遺構には、水門跡、城門跡など推定されるような石列や、列石が発見されています。全体の構造については、現在も調査中でまだ判明していません。
この「宮地岳山城」ですが、現在の所、『日本書紀』などの文献には登場しない山城とされ、当時どのように呼ばれていたかはよく分かっていません。しかし、山の西側には先ほど説明しました蘆城駅家推定地があり、その蘆城の名残と考えられる「阿志岐」の地名が残っていることは、山城の性格や名称を考える上で、非常に示唆的です。
いずれにせよ、大野城、水城、基肄城などと共に、大宰府を防衛する拠点の一つであったことは間違いないのではないでしょうか。

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宮地岳山城跡の石垣(写真提供:九州歴史資料館)

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石列(写真提供:九州歴史資料館)