御笠地区遺跡群(蘆屋駅家跡推定地)

宝満山の南麓から宮地岳の西麓にかけての筑紫野市吉木・阿志岐の平野には、弥生時代から古代までの遺跡が広く分布しており、総称して「御笠遺跡群」と呼ばれています。
中でも、古代においては米の山峠から大宰府に至る官道沿いに辺り、万葉集にも詠まれている「蘆城駅家」があったとされ、西海道の駅家の役割を果たすと同時に、大宰府官人の宴の場でもあり、多くの万葉歌人が歌を残しています。
吉木の御笠遺跡群A-1地区では、発掘調査の結果、7世紀後半から8世紀前半ころと考えられる3面に庇を持つ非常に立派な5間×6間の掘立柱建物1棟の他、総柱の倉庫跡など9棟の建物が検出されました。
あくまでも推定ではありますが、この遺構群こそが、「蘆城駅家」と考えられます。奈良の都を離れて大宰府に赴任する役人が、米の山峠を越えて大宰府に入る一番最初に目にした光景がこの「蘆城駅家」だったことでしょう。
(筑紫野市教育委員会『御笠遺跡群』より)

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御笠遺跡群A1区建物群(写真提供:筑紫野市教育委員会)