ろじ[路知]
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ろじ[路知]連載:赤米今昔物語 〜赤米に魅せられて〜 第五回

安本 義正

宝満神社の赤米神事

 日本国内で受け継がれていた赤米神事の三つ目は、鹿児島県種子島の最南端に近い茎永というところの宝満神社で行われている赤米神事です。種子島は今では歴史・文化の島だけでなく、最先端科学の島としても重要な役割を演じています。種子島宇宙センターは、宝満神社からたった4キロメートルしか離れていません。この茎永というところで古代(赤米)と現代(ロケット)が調和し、共存していることに大変意義深いものを感じます。



宝満神社

 宝満神社の赤米神事には、4月の赤米御田植え祭りと9月の赤米収穫祭があります。まず、筆者が見学した赤米収穫祭について説明します。宮司の松原堅二氏によると、この収穫祭はそれほど古くから行われていたものではなく、比較的最近の神事ということです。赤米収穫祭は例年9月10日前後に行われます。赤米神田のそばにある小高い森(「御田の森」と言います)の頂上で、赤米神事が行われます。



赤米神事(祭壇と宮司)

 祭壇には、米、塩、大豆、酒、果物などの神饌が供えられています。宮司と5人の氏子、合わせて6人の男性による神事です。女人は入れません。降神の儀、祝詞、修祓、礼拝、玉串奉奠、撤饌、昇神の儀、祝詞等、30分程度の素朴で簡単な神事です。見学者は筆者のみで、小規模な神事ではありますが、かえって気持ちが引き締まるような厳粛な神事という実感でした。



祭壇に供えられた赤米

 神事に続いて稲刈りが行われました。少し人数が増えて、総勢9名になりました。先ほどの宮司が足踏脱穀機を肩に担いで運んで来たのには驚きました。脱穀機を刈り取った後の神田に据え付け、刈り取った稲をその場で束にしていきます。2枚の赤米神田の内の1枚が、2時間ほどで稲刈り脱穀作業が終わりました。以前は刈り取った稲を藁でくくり、オセマチ(赤米神田)に7日間ほど掛け干ししていたのが、最近になって、刈り取った後すぐ脱穀するようになったそうです。また以前は、脱穀に千歯こきが使われていたということです。



赤米の収穫(稲刈りと脱穀)

 収穫した赤米の籾を足で踏んで、芒(のぎ)を落とし、「籾通し」で籾と芒を選別し、この後、箕を用いて、秕(「しいな」といい、実の入らない籾のこと)を除きます。籾は叺(かます)に入れて、社人が床の間に供え保存します。収穫した赤米のうち、選別した良好な籾を二升(3キログラム)取り、小型の俵につめて、種籾として大切に保存します。
 毎年4月5日頃に行われる御田植祭りは、筆者が勤務する大学の入学諸行事のために、未だに見学することができないままです。この御田植祭については、下野敏見著「種子島の民俗㈵」に詳しく記されていますので、そこから抜粋して簡単にご紹介します。
御田植祭は以前、旧暦の4月に行われていましたが、稲栽培の台風被害を避けるために早期栽培となってからは、新暦の4月5日頃となりました。御田植際の前日に、赤米の神田と舟田(舟の形をしています)を耕し準備をします。当日は早朝から、米、塩、大豆、酒、二束の赤米の苗等が供えられます。降神の儀から一連の神事が行われます。神事終了後は神田にて男性のみによる田植えが始まります。神田のまわりには、しめ縄が張られ、紅白の旗がたなびく中、太鼓の音と「作り拍子」という田植え歌に合わせて、赤米の苗が植えられます。田植え終了後は、舟田で、御田植え歌に合わせて舞が奉納されます。このあと、舟田近くの畑で直会が行われます。赤米のおにぎり、甘酒、煮しめなどがふるまわれます。直会が終わると、田植えに使った道具類を全部洗い清めて、社人の家で「マブリ」行事が行われます。マブリとは、宝満神社が氏子をじっと見守り、守護してくれるという」意味だそうです。宮司の祭祀のあと、祝賀歌を歌ってマブリが終了し、祝宴と移ります。
 以上、連綿と受け継がれてきました三ヶ所の赤米神事を紹介してきましたが、赤米は神社を中心として信仰心の厚い氏子によって、神のように崇敬され大切に受け継がれてきたのです。

《次回は3月初旬掲載》