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現代における「直取り」は、人体彫刻の表現の「多様さ」、そして「新たなかたち」を生み出しながら、それまでの表現や手法以上に普遍的な潜在意識の世界、そして人間の情愛や存在の意味といった、人間のリアリティの追求を獲得していることがわかる。 しかし、今日、「直取り」が制作となる技法にはまったく問題がないかといわれれば、そうではないようにも思われる。そこで、筆者自身が造形作家として「直取り」技法を行っている経験から、いくつかの考えられる問題点を述べておきたいと思う。 第一に大きさである。人体から直接型を取ることから、モデルの大きさに束縛されてしまうという点がある。自由な大きさで制作できないということは、作品を設置する空間が限られてしまい、野外に設置するときなどではスケール感が乏しく、小さくまとまらざるを得ないことがある。この問題点について、筆者自身は実際に「直取り」を用いながらも、本物の人体にとらわれないデフォルメを取り入れることにより、スケール感を出すなどの工夫を行っている(図1)。 第二に圧倒的なマテリアルの強さである。人体のマッスやムーブマンを考えると、表面のテクスチャーやマテリアルの強さばかりに気をとられ、中身がなく空洞のイメージが強くなってしまうということである。シーガルのようにその空洞感を一つの表現方法として利用する場合もあり、表面的な強さゆえに作品の内側からくる動勢などの迫力より勝ってしまうことがあることである。これについて,筆者自身は、木という素材のもつ存在感をベースに、内側からくる動勢を木彫により表現しながら、そこに「直取り」をアクセントとして取り入れることによって、作品のもつ力強さを失わないような配慮を行っている(図2)。 第三に皮膚のしわが鮮明にでるため、作品として表面的になってしまうことが多い。ここでは、あまりにも「生っぽさ」を感じすぎるため、作品の強さが感じられないどころか、取り方や取る体部によっては、卑俗的な連想を強要させてしまうという可能性もある。この問題点について、筆者は「直取り」を行う体部を顔や手、胸の一部などに限定することによって、全体的に「生っぽさ」を感じさせないようにしつつ、「直取り」の良さを生かすように配慮する工夫を行っている(図3)。 今後も「直取り」のこうした問題点を考えながら制作していくことが、表現の可能性を広げることにつながるのではないだろうかと考える。 普遍的な潜在的意識の世界や人間そのもののリアリティを追求するという点においては、「直取り」のよさや効果は今後さらに発揮できると思われる。特に、古典的理想美としての人体とは、また違った新たな次元を展開できるきっかけとなることは間違いない。 美術における造形作品として、直接型を取ってかたちをつくる「直取り」は、現在も軽視されている状況に直面することが多い。確かに、地道に少しずつ肉付けを行いまたは削るなどしながら、人間の理念や理想をあらわすことを念頭に制作する従来の彫刻分野からすると、「直取り」が単なる人体構造を把握するための道具などとされていたこともうなずける。しかし、古典古代より形成された理想的な人体美の追求とは異なった、新しい造形性としての人間のリアリティを追求する一手段として「直取り」を用いることに、一つの方向性や意義を見出すことができるということも、取り上げた作家の作品などをみても明らかである。 人間のリアリティを追求していくなかで、自然や社会性や民族性などによる違いはあるが、人間の存在も様々な方向に分散し拮抗している。こうした現代の多極化していく人間のリアリティをいかに表現するかということを考えると、制作における様々な素材や技法を結びつけることは、人体彫刻表現の「新たなかたち」を生み出す結果につながるのではないだろうか。その新しい造形性であり人間のリアリティを追求する一手段として、人体から直接型を取る「直取り」を用いてかたちをつくることに、今日新たな方向性や意義を見出すことができるであろう。
<参考資料> 1.矢野 真「型とかたち−人体彫刻制作における『直取り』のもつ意味」2006 美術解剖学雑誌 第10巻第1号 pp28−37 2.高橋幸次「レアリスム時代の彫刻」『世界美術大全集第21巻』1993小学館 pp356 3.中原佑介(1987):『現代彫刻』.初版,美術出版社 4.エドワード・ルーシー=スミス 著,岡田隆彦・水上勉 訳(1986):『現代美術の流れ』.初版,PARCO出版 5.フィリス・タックマン 著,酒井忠康・水上勉 訳(1990):『ジョージ・シーガル』.初版,美術出版社 6.東京国立近代美術館編(1996):『身体と表現 1920−1980ポンピドゥーセンター所蔵作品から』.NHK |