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イメージ 連載:温故知新2〜ラグーザ作『山尾庸三像』の石膏原型に触れた時 1〜
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イメージ 矢野 真
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前、美術展鑑賞のために上野公園を歩いていた時、5歳くらいの男の子がお母さんと一緒にある彫刻作品に触れて楽しんでいる光景を目にした。
 野外に置かれたその彫刻作品は抽象的なかたちをしており、鏡のように仕上げられたステンレスでつくられている。美術館の展示ケースに入っている作品とは違い、こうした野外彫刻は触れても壊れるようなことはない。その男の子は自分の姿を映したり、また触れたりしながら、お母さんにこんなことを言った。
 「冷たくて、ツルツルして気持ちがいいね。やっぱりこういうのって触ってみないとわからないよね。」
あんなに小さな男の子から、「触ってみないとわからない」という言葉がでてきたのには驚いた。彼は日頃から、いろいろなものに触れてみることの大切さを教育されているのであろうか。それとも、触れて確かめることを自ら学んだのであろうか。いずれにしても、彫刻制作を行っている私と共通したものを、あんなに小さな男の子が感じ取っている。その時、私は何とも言葉に表せないようなが嬉しさが込みあげてきた。
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 彫刻を制作しているからだろうか、私はものに「触れる」ことが好きだ。視覚だけではそのモノの実態がつかめないような気がして、何でも触ってみないと気がすまない。美術館の展示ケースに入っている彫刻作品を観る時も、ケースから取り出して触れてみたい衝動にかられる。もちろん、実際に触れることなどほとんどできないので、目でしっかりと「触れた」つもりになって鑑賞しているのであるが・・・。
 しかしある時、有名な彫刻作家の作品に直接「触れる」機会ができたのである。東京藝術大学の美術教育研究室に非常勤助手として在籍していた頃のことであるから、今から6年前の話である。研究室の恩師である先生が私にこう語りかけた。
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「矢野さん、今度の土、日は時間ありますか?」
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 普段は「矢野〜!」と呼ばれているのだが、「さん」づけで呼ばれる時は仕事の依頼なのだ。そのことは前回のオランダ燈籠模刻制作をはじめとして、十分学んできた私である。しかし仕事ではあるが、同時に研究の一つとして重要であることが多いことも事実である。 寂しいことに予定もなく断る理由がない私は、
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 「時間は・・・、あります。」
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と答えていた。
 指定された土曜日に恩師のアトリエを訪ねると、茶色く変色した石膏の人物像が横たわっていた。胸から上を制作した、いわゆる胸像である。その胸像のモデルが誰か、そして制作者が誰であるかすぐにはわからなかった。しかし一目見て、これは有名な作家の作品ではないかということを感じた。よく見ると、台座の部分が破損しており、いくつかのパーツに分かれてしまっている。
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 「これ、誰の作品ですか?」
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と、高まる気持ちを抑えながらきいてみた。
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 「ラグーザだよ。」
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と、恩師からの一言。
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 「ラ、ラグーザってあの?!」
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 ヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841−1927)。1876年(明治9)11月、官立の西洋美術教育機関、工部美術学校の創設時、フォンタネージ、カペレッティとともにイタリアから教師として招かれ、彫刻学を担当することによって、わが国に洋風彫刻を最初に伝えた、あのラグーザの作品だったのである。そのラグーザの作品が、こうして私の目の前に現れたのである。
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<参考資料>
・澄川喜一、本郷 寛、矢野 真、大沼邦康「ヴィンチェンツォ・ラグーザ作『山尾庸三像』石膏原型修復とブロンズ像収蔵について」2002 東京芸術大学美術学部紀要第37号,pp5−16
・東京国立近代美術館 編「フォンタネージ,ラグーザと明治前期の美術」1977 東京国立近代美術館
・木村 毅 編「ラグーザお玉 自叙伝」1980 恒文社
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破損したラグーザ作「山尾庸三像」本体
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破損した台座部分
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*次回は3月初旬掲載予定
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