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棒締頭絡は何故使われるのか。実際に使っている方から話を聞くと、どうも棒締頭絡は去勢していないオス馬を制御するために使われているようです。地域によって使役する馬がオスかメスかは決まっています。オスの場合は去勢した馬を用いるか、去勢していない馬を用いるかもだいたい決まっています。理由はいろいろに語られますが、そうした表面上の理由とは別に、オス・メス・去勢馬のいずれを使役するかは馬の生産の仕方が大きく影響しているようです。 馬は元来群をつくって生活する動物です。群はオス1頭に対してメスが数頭と子馬数頭で構成されます(図1)。一般に野生化した馬はこうした群をつくって生活しています。
馬の飼育形態・生産形態には大きく分けて二つのモデルを考えることができます。一つは馬を群で管理する「放牧型」(図2,3)、もう一つは馬1、2頭を個別に飼育する「畜舎型」(図4)です。「放牧型」にしろ「畜舎型」にしろ、基本的には馬の群は種馬1頭とメス数頭の単位で構成されることになります。
「放牧型1」の典型はモンゴルでの馬の放牧です。「アズラガ」という種馬を中心に数頭のメス馬、子馬、さらに数頭の去勢馬「モリィ」で群が構成されます。図の斜線の馬が去勢馬です。アズラガやメスが乗馬に用いられることはなく、主にモリィ(去勢馬)が乗馬に使われます。乗馬には銜をつかい、繋ぎ馬には「ノクト」とよばれる無口頭絡を使います。 「放牧型2」は、かつて沖縄で行われていだ馬の生産形態です。小さな島に牧場をつくり、そこで馬を放牧し繁殖させます。種馬として放牧する馬以外の余ったオス馬を売りに出してしまいます。メス馬も流通していますが、駄馬として売買されるのは主にオス馬です。これらのメス馬は棒接頭語で制御されます。 「畜舎型」は日本の農村部でよく行われてきました。とくに東北では江戸時代に藩や豪農からメス馬を農家が預かり、種付けをして子馬を生産していました。対馬の場合は昭和五十年代まで「畜舎型」の馬の生産が盛んに行われており、どの家でもメス馬を2頭ずつ飼っていました。メス馬1頭で、1〜2年に1頭子馬を生ませていだのです。生まれた子馬は明け2歳(人間の満年齢で1歳)〜明け3歳の間に市場に出していました。農作業や荷物の運搬などの使役は妊娠していないほうのメス馬をもちいることになります。 メス馬の世代交代の時期には、家で生まれたメスの子馬を市場に出さずに育てて、新しい生産・使役馬として使うようにします。調教はほとんど行わず、いつも母馬の後ろをついて歩いているので、自然と仕事を覚えてしまうといいます。調教らしいことといえば、子馬用の小さな鞍をつけることで道具に慣れるようにし、空荷から始めてだんだんと重い荷物に慣れるようにすることぐらいだということです。制御具は「シメメーダテ」とよばれる帯締頭絡をもちいます(図5)。子馬には制御具は何も付けません。子馬は母馬から離れないので母馬さえ繋いでおけば子馬がどこかへ行ってしまうことはないそうです。子馬が生まれたときから人間と一緒に生活しているからできる飼育法だといえます。
前者の対馬の場合、調教の方法について尋ねると、だれもが「調教なんてしない」と答えます。よく聞いてみますと、先ほども述べたように子馬用の鞍をつけたり、制御具に慣れさせたりといろいろしているのですが、調教という意識がないのです。 それに比べ、放牧型2の沖縄で調教について聞くと「馬は泣くまで叩かなくてはいけない」とか、「馬の調教は難しいので近所の上手な人に頼んだ」とかいろいろな苦労話を聞くことができます。 あきらかに馬と人との関わり方が違うのです。そうした違いが制御具にも反映されていると考えられます。畜舎型の場合は無口頭絡、放牧型2の場合は棒締頭絡ということがいえます。北海道でも放牧型2が行われてきました。 一見、何の変哲もない簡単な馬具のようにみえますが、棒締頭絡には馬の生産システムとの大きな関わりがあるのです。そしてその生産システムによって、その社会で使役される馬がオスかメスかということも決まってきてしまうのです。 日本の場合、地域によってどの生産システムが使われているか特徴がありますが、中国西南部からラオス・タイの北部地域では明確な生産システムの違いがありません。様々なやり方が混在しているようです。 <参考資料> 野沢延行『モンゴルの馬と遊牧民』1991 原書房
《次回は9月初旬掲載》
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