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これまでお話してきたように、ひと口に日本人形といっても、その内容は実に多種多様です。素材や技法はもちろん、時代や作者の違いなど、あらゆる要因が複雑に絡みあった結果、それは千変万化の姿となって豊かな世界をつくり上げているのです。従って、そこにみられる「美」の性質もまた、一概ではありません。何を「美しい」と感じるか、ということは人それぞれであり、まことに難しいものです。「美しい人形」、まして「人形の美」について述べるとすれば、それは少なからず個人的な趣味嗜好が反映されたものになりましょう。 私は、幼少の頃から日本の伝統的な美術や工芸に大変関心がありました。なかでも、上巳の節句や端午の節句に飾る人形、正月の注連飾り、張子のだるま、七夕飾り、祭礼の山車や神輿、提灯など・・・、年中行事とともに生き続けてきたそれらの品々に何ともいえない情趣を感じたのです。幼い私の心を惹きつけたものが何であったか、今なお判然としませんが、ひとことでいえば、材質や技術や色彩など、すべてを含めたその「雰囲気」だったのかもしれません。 江戸時代、上巳の節句の風習の定着によって日本の人形文化は大きく発展しました。いうまでもなく、そこに雛人形が用いられたためです。主役の男雛・女雛の一対が座雛の場合、その多くの衣裳はいわゆる束帯と十二単をかたどっています。こうして、誰もがその姿かたちを思い浮かべられるほどに様式化され、連綿と受け継がれてきたことが雛人形の持つ大きな特徴でありましょう。精粗を問わず、昔の雛人形に甚だしい失敗作が少ないのは、この「様式美」に助けられている点が大きいと思います。しかし、逆に雛人形に傑作が生まれにくいのも同じ理由からでありましょう。すなわち、様式を無視しても、様式にとらわれ過ぎてもいけないのです。このような「様式のなかでの個性の表現」は、あらゆる伝統的美術・工芸に通じる大きな課題といえましょう。
数ある日本人形のなかでも、特に御所人形は、造形的に難しいといわれます。幼児の愛らしさを、大きな頭によく肥えた肢体、胡粉を磨き上げたつややかな姿によって表すこの人形は、そのデフォルメを一歩誤ると気味の悪いものに陥りやすく、そこには卓抜した造形力が求められます。また、素材と技法の性質上、時代を経ると胡粉の肌へ亀裂が生じやすく、古くから様々な修理も試みられてきました。その疵が顔面にある場合、多くは胡粉を塗りかえ、面相を描き直す処置がとられてきましたが、それらのほとんどは一見して修理の有無を判別できるほどに不自然な表情をしているのです。この事実は、御所人形の単純そうな面相が、実はきわめて高度な技術に支えられていることを示しています。御所人形の真骨頂は、上流での愛玩に堪えうる品質の高さでありましょう。そこには、「高貴の美」ともいえる独特の清々しさ、気品と格調とが漂います。しかし、これを手掛けた作者は決して貴族でも大名でもない、市井の一人形師でした。今に伝わる数々の御所人形の名品は、かつての職人の仕事の尊さを無言のうちに教えてくれているのです。
上流の愛玩品に比較的優品が多いのは、厳選された材料を用い、手間暇を惜しまず作ることが可能だった、当時の経済的背景を主な理由としますが、庶民的なもののなかにも時として、大変洗練された美しさに出会うことがあります。しかも、それがしばしば限られた材料で作らねばならない、手間暇を掛けられないという経済的な状況が生んだ、単純化や省略の結果であるのは皮肉なことです。土人形や張子人形など、郷土人形の持つ素朴な美しさはその最たるものであり、それは民衆的工芸の美に通じます。郷土人形研究家の故・俵有作氏は、その美を野の花の美しさと譬え、みやびやかなもの(高級品)の持つある種の「いやらしさ」を免れているとさえ述べています。美しさは必ずしも費やした時間や労力や金銭に比例するものではなく、巧まざる偶然や結果の産物でもあるのです。
日本人形は技法的にも感覚的にも様々な伝統的美術・工芸の集大成といえましょう。彫刻、絵画、染織、漆芸、金工、陶芸など、それぞれの特長が随所に活かされた人形は、独自の芸術的価値を持つ、まことに面白い存在です。その人形が他の芸術に比して優っている点を挙げれば、個別には、平面である絵画に比して立体であること、また彫刻に比して色彩に富んでいることが挙げられます。しかし総合的にいえば、人間の姿を写しているがゆえに、人間の情感をより率直に、より親密に表現できるという点ではないでしょうか。「人形美」とは情緒の美であり、人間のこころの美の具現化でありましょう。 |