第五回 かせいた
橋爪伸子
かせいたは、江戸時代ポルトガルから長崎に伝来した果実マルメロでつくる、熊本藩細川家の献上品だった。その名はポルトガル語の「カイシャ・ダ・マルメラーダcaixa da marmelada」(マルメラーダの箱)に由来するといわれている。マルメラーダとは、マルメロのピュレに砂糖を加えて煮つめたゼリー状の食品で、ポルトガルやスペイン、ブラジルで現在も一般的に食され(図1、図2)、スペインではメンブリージョmembrilloと呼ばれる(図3)。色、形状ともまるで羊羹のようであるが、これを切って、コーヒーやチーズとともに(図4)、濃厚な甘酸っぱさとマルメロ独特の芳香を賞味する。

図1 マルメロ(ブラジル、サンパウロ市営市場)

図2 マルメラーダ缶詰(ブラジル、サンパウロ市内スーパーマーケット)

図3 メンブリージョ(スペイン)

図4 スペインのメンブリージョとケソマンチェゴ(羊乳製チーズ)
現在は熊本名菓として知られ、その由緒は細川三斎(忠興)好みの茶菓子だったとされているが、典拠となる史料は現在のところ確認されていない。管見の限り初見は、初代熊本藩主細川忠利の肥後入国後の書状等を編集した「部分御奮記」(永青文庫蔵)で、長岡佐渡守(松井興長)宛書状に、重陽の祝儀に「かせいた曲物一ツ」等を受け取った礼状がある。差出人、年は記されていないが、これに該当する松井文庫文書により、差出人は光尚であることが判明した。差出年は、子の綱利に関する記述により、綱利誕生の正保2年(1645)11月から父光尚が死去する慶安2年(1649)12月までと推定すると、正保3〜慶安2年(1646〜49)と考えられる。以後かせいたは熊本藩の献上品として散見されるようになり、明和(1764〜72)の初期からみられる全国諸藩より幕府へ毎年定まった季節に贈られる時献上の品目で、4月にかせいたが、同じく現在熊本名菓の朝鮮飴(6月)とともに、幕末まで継続して記されている。
熊本藩の献上品かせいたの実態については、同藩主の子孫細川護貞(1912〜2005)によれば、「杉の曲物に入った羊羹」のような形状で薄く切って食べた、味は甘酸っぱく一種の香りがあったとのことで、前記のマルメラーダ同様のものとみなしてよいだろう。また、その調製については、「続跡覧」(永青文庫蔵)等の記録から、必須の原料である肥後国産マルメロの栽培、確保に同藩が苦心していたことがうかがえる。マルメロの栽培適地は冷涼小雨のところとされ、現在の国内産地も長野、北海道等に限られることからみても、熊本は栽培地に適していなかったのであろう。
このように献上用かせいたは希少であったが、かせいた自体は当時の料理書や本草書等にも記されている。まず、料理書の元禄2年(1689)刊『合類日用料理抄』、享保3年(1718)刊『御前菓子秘伝抄』によれば、いずれも材料にカリン(木梨、山梨)を用い、湯煮し、すり鉢ですって砂糖と合わせ、つきたての餅または葛餅のかたさになるまで煉りつめ、曲物または板上に流しかためる。なお、カリンはマルメロに似ているが異種で、日本や朝鮮半島でも栽植されている。また、熊本藩の御料理頭が享和3年(1803)書写した「料理方秘」(東京都立中央図書館加賀文庫蔵)の「丸めろ香」は、マルメロを用いるレシピである。次に本草書では、元禄10年(1697)刊『本朝食鑑』で梨の項に「砂糖で梨を煮てすりつぶし膏にする」、「麻留免羅」の説明に「蛮人はを砂糖蜜で煮て餅に作り加世伊太と呼ぶ」とある。また天保3年(1832)の『日養食鑑』に「榲桲(マルメロ)に砂糖を加えて作る糕果」とある。膏、糕は同音で、いずれもマルメラーダ同様の形状を示す。先の「香」も当て字で同義であろう。以上より、一般的なかせいたは、主にカリンを材料とし、形状は「糕」であったと推察する。
明治維新後、献上用のかせいたは消失したが、一般的なかせいたすなわちカリンの糕は継承され、内国勧業博覧会では熊本以外から出品されている。まず明治10年(1877)の第1回、東京の岩崎勇助が出品した「梨糕」は「梨実ノ皮ヲ去リ擦卸シテ砂糖三分一ヲ和シ鍋ニ投シ煎熬シ適宜ニ煉リ框底ニ銅板ヲ敷キ其中ニ傾潟シテ凝結セシム」というもので、従来どおりのカリンの糕である。明治28年(1895)の第4回、大阪の小澤庄吉が出品した「カセ板瓶詰」も同様のものであろう。
明治40年代初め、これに工夫を加えた「加勢以多」が、熊本山城屋の小早川慶八により発売され、以来熊本名菓として認識されるようになる。山城屋は、平成5年(1993)頃まではこの「加勢以多」と朝鮮飴が全国名菓の案内諸書に紹介される名店だったが、その後廃業し、「加勢以多」は平成10年(1998)4月よりお菓子の香梅(熊本市白山)が製造、古今伝授之間香梅(熊本市水前寺公園)[注*]が販売している。それは、古今伝授之間香梅の松井幸人氏によれば、カリンに砂糖を加えて煮詰めたゼリー(カリンの糕)を薄く切り(図5)、薄種で挟んで拍子木形に切り(図6、図7)、中央に細川家の九曜紋を焼き印にして個包装した菓子である(図8)。

図5 「加勢以多」製造工程(お菓子の香梅・熊本市)

図6 同上(図5)

図7 同上(図5)

図8 「加勢以多」(お菓子の香梅・熊本市)
「加勢以多」の九曜紋はそれが細川家ゆかりの菓子であることを示しているが、江戸時代同家の献上品だったかせいたからの変容を2点指摘できる。1点目はマルメロの使用が必須だった細川家のかせいたに、一般のかせいた同様カリンを用いたこと、2点目は小型化して薄種にはさむことで手にとって食べやすくなったことである。そして、後者の変容の背景には茶菓子としての需要がうかがえる。前掲した三斎好みの茶菓子という由緒は、ここに発端があるではなかろうか。
では江戸時代かせいたはどのような食品だったのか、それは一種の健康食品のように認識されていたのではないか。根拠としては本草書に掲載されていること、当時の薬名にみられる「膏」の表記例などを指摘できる。異国伝来で栽培が難しく極めて希少なマルメロに、同じく貴重な白砂糖を加えて作るかせいたの薬効への期待が、その価値をなお一層高めていたと考えられる。
[注*]現在、古今伝授之間修復中につき2010年9月末日までお菓子の香梅白山本店で販売。
○ 写真については、図1〜図2は九州国立博物館川畑憲子氏、図5〜図7は「お菓子の香梅」提供、その他は筆者撮影。
[文献]
● 拙稿「時献上から名菓への変遷-熊本のかせいたを事例に-」(『香蘭女子短期大学研究紀要』49、2007)
● 『熊本県史料』近世篇第1、1968
● 八代市立博物館未来の森ミュージアム編『松井文庫所蔵古文書調査報告書』11、2007
● 細川護貞『茶・花・史』、主婦の友社、1972
● 「続跡覧」(上妻文庫241、熊本県立図書館所蔵)