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かすてらは16世紀長崎に伝来した南蛮菓子で、起源はポルトガルのパォン・デ・ロー(図1)やスペインのビスコチョといわれている。由来は諸説あるが、ポルトガル語のBolo de Castela(カスティリアの菓子)が有力で、元禄2年(1689)の『合類日用料理抄』等の料理書にも「かすてらぼうろ」としてかすてらが記されている。
現在は長崎名菓の一つで(図2)、2006年に始まった地域団体商標制度でも、長崎県菓子工業組合の「長崎カステラ」が商標登録認定されている(図3)。同組合はその特徴を、ざらめと水飴をふんだんに使いしっとりとして上品な味としている。長崎名菓としての起源については、伝来地を根拠とするほか、享保5年(1720)の『長崎夜話艸』には長崎土産物として「南蛮菓子色々」に「カステラボウル」とある。しかし一方で江戸、京都等にも事例が散見されることから、江戸時代には長崎だけの名物ではなかったと考えられる。
当時の実態を、まず料理書でみてみると、卵、(白)砂糖、小麦粉を混合した生地を紙を敷いた鍋に流し、引釜やかすてら鍋等で上下から加熱するが、粉に対する卵、砂糖の配合割合が少なく、ざらめ、水飴とも使われていない。また、対馬藩士中川延良による聞書集『楽郊紀聞』に、第11代対馬藩主宗義功(1778〜1812)の狩の途中、家臣らが御茶道方から出された「御すべりのかすていら」を誤って炉内の灰中に落としたが、「かすていらは子細なし」とあり、現在長崎名菓といわれるかすてらとはかなり異なるものだったと推察できる。では、それはいつ頃うまれ、また長崎名菓として認められるようになったのだろうか。 「長崎カステラ」の一名店として知られる松翁軒(長崎市魚の町)は、天和元年(1681)初代貞助が本大工町(現魚の町)に山口屋を創業し、南蛮菓子を製造したことに始まる。第10代山口貞一郎氏によれば、同店のかすてらは、全卵、上白糖、ざらめ、水飴を攪拌し、小麦粉を混ぜ合わせ、紙を敷いた木枠に流しオーブンで焼く。その工程には終始熟練を要する綿密な調整が随所にみられ、材料、製法ともに近世からの変容が認められる。 その変容の過程を、明治政府が明治10年(1877)から5回にわたって開催した内国勧業博覧会(以下、内国博)の記録にさぐってみよう。長崎から初めてかすてらが出品されたのは同23年(1890)の第3回で、殿村清太郎(現福砂屋)が出し、三等有功賞を受けた。次いで28年(1895)の第4回には、山口貞次郎(現松翁軒)、岩永徳太郎(現岩永梅寿軒)、殿村為三郎等6名が6点のかすてらを出品し、褒賞は有功三等賞1、褒状2点、計3点の全てがかすてらだった。 さらに36年(1903)の第5回には、14名が20点のかすてらを出品し、褒賞は菓子で受けた12点のうち8点がかすてらで、一等賞1、三等賞2、褒状5点であった。これは全国のかすてらの褒賞合計数の約2割にあたり、審査報告でも長崎県の水準の高さが評価されている。加えてその特徴が「其一斉ニ濃褐色即チ狐色ノ色澤ヲ備ヘ、風味ノ甜滑ナルカ如キ一種ノ特色アリ」と記され、その根拠としてざらめ、引釜の使用が指摘されている。 また、この回かすてらで最高の一等賞を「乳油(バター)入カステーラ」で受けた山口貞次郎は(図4)、4点のかすてらを出しており、審査報告では改良に努める姿勢をも含めて高く評価されている。内国博への出品、受賞を通して変容を遂げた長崎のかすてらと、「長崎カステラ」の起源をここに認めることができよう。その2年後の同38年(1905)刊、村井寛(弦斉)による『台所重宝記』には、「細君」が「下女」に名物菓子の産地を「カステラと云へば長崎」と教える場面があり、かすてらが長崎名菓として全国的に認識されるようになっていたことがわかる。
一方、明治33年(1900)中川安五郎が長崎に創業した文明堂による同43年(1910)頃からの全国広告、東京店開設、昭和8年(1933)からの電話帳広告などが、その知名度を一層高める契機となった。さらに、松翁軒で昭和10年代から受注製造を始め、同41年(1966)一般販売を開始した「チョコラーテ」(図5)を始めとするバリエーション化、同地の伝統的な祝儀用の桃饅頭(図6)の意匠を組み合わせた桃かすてら(図7)など、多様な展開をみせている。
では長崎が、内国博への出品物としてかすてらに注目したのはなぜか。一因として考えられるのは前代からの長崎におけるかすてらの位置づけである。かすてらは近世長崎において、最大の祭礼である諏訪神社のくんちや、商家の婚礼、また巡見使の接待等、極めて慶賀すべき行事や重要な接待に用いられ、いわば最も格式の高い菓子と認識されていた。このようなかすてらの位置づけが、近代長崎を代表する菓子として改めて注目され、同地の菓子製造者をして品質向上の追求を促す要因となったのではなかろうか。 文献 飯島忠夫、西川忠幸校訂『町人嚢・百姓嚢・長崎夜話草』岩波書店、1942 中川延良、鈴木棠三校注『楽郊紀聞』1、平凡社、1977 長友千代治編『重宝記資料集成』43、臨川書店、2005 拙稿「近世長崎の年中行事記録にみる菓子の実態―かすてら、桃饅頭を中心にして―」『和菓子』16、虎屋文庫、2009 |
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