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連載の第1回は、日本の菓子の歴史についての概要である。 一般に和菓子とよばれる日本の菓子は、果物、木の実等の食品(果子、自然菓子)や、米などの穀物を加工した餅、団子を原型とし、さらに異国から伝来したさまざまな菓子文化の影響を受け、江戸時代独自の菓子文化として大成したとされている。その後明治になって欧米から伝来した菓子が洋菓子とよばれ、それ以前の菓子が和菓子とよばれるようになった。以下に代表的な異国由来の菓子をあげてみよう。 奈良時代大陸との交流により、中国(唐)から多くの文物、技術とともに穀類の加工品が伝来した。 それは唐菓子と総称され、餢飳(ぶと)、糫餅(まがり)、梅枝(ぱいし)等、小麦粉製の生地をいろいろな形に成形したもので、油で揚げたものもあった。朝廷の儀式や天皇の饗膳等に用いられ、平安京の市でも売られたが、鎌倉時代以降次第に消失していったといわれている。 ただし奈良の春日大社をはじめ、京都、滋賀、大阪等一部の寺社で供物として存続し、現代も専門の神職や製造者により調製されている。また現在は嗜好品の菓子としても、例えば、奈良では春日大社のぶとに模した餡入りの「ぶと饅頭」(図1)が萬々堂通則(奈良市)で製造販売されている。また大阪では、住吉大社の特殊神饌に模した懐中しるこ「ふと・まがり」(図2)が、特定の御神饌調進処御菓子司、末廣堂(大阪市)で調製され、参詣者へ供される(非売品)。
鎌倉時代後期には、中国(宋)から禅僧の生活文化として、喫茶の習慣とともに羹、饅頭、麺等の点心(定時の食事以外にとる軽食)がもたらされ、その後代表的な和菓子となる羊羹や饅頭(図3)へ発展する。 羹は「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」といわれるようにとろみのある汁物である。羊のほか、鼈羹(べっかん)や猪羹(ちょかん)など種々の羹があり、寺院においては豆や米など植物性食品でつくる見立て料理として発展した。これが安土桃山時代、餡に葛などのでんぷんを加えて蒸かためた蒸羊羹(図4)となり、寛政年間(1789〜1801)寒天を使う煉羊羹になったといわれている。
室町時代末期には、ポルトガル人の来日をきっかけとして、初めてヨーロッパから砂糖、鶏卵、小麦粉を使う菓子が伝来し南蛮菓子とよばれた。金平糖、有平糖(図5)等の砂糖菓子や、鶏卵素麺、かすてら、ぼうろ等である。砂糖はそれまで甘葛煎(あまずらせん)や飴しか知らなかった日本人の甘味文化に一大革命を起こした。鶏卵は、従来神聖な時告げ鳥である鶏の霊が宿るものとして食禁忌の対象であったが、これをきっかけに料理にも使われるようになった。また、周囲から加熱する器具のオーブンもその原形が始めて導入され、上下鍋、かすてら鍋等とよばれ、かすてらやぼうろの製造に用いられた。
これまで特に指摘されてこなかったが、室町時代には日朝交流の中で朝鮮から伝来した菓子もある。例えば15世紀頃伝来したと考えられる「くわすり」である。その起源は高麗王朝時代宮中で発達したとされる油蜜果の一つ薬果(図6)で、小麦粉・胡麻油・蜂蜜等で作った生地を胡麻油で揚げて蜜に浸けた菓子である。朝鮮出兵以前まで信長、秀吉等為政者の関与する豪華な饗宴や茶会で用いられたが、その後一部を除いて記録から姿を消した。また高麗餅は、朝鮮半島の代表的な餅菓子の一種シルトック(甑餅)が起源といわれ、16世紀末の朝鮮出兵で伝来したとされているが、その時期については再検討が必要であろう。
江戸時代に成立した「和菓子」は以上のような外来菓子を受容したものである。このうち特に土地特有の名高い名物は現在名菓といわれ、起源や由緒が重視されているが、それらは当時のまま継承されてきたのではなく、明治以降にもかなり変容、発展して名菓といわれるようになった。それを促進した一つの因子として明治期以降の各種博覧会、共進会を指摘できる。特に内国勧業博覧会は、明治政府が殖産興業政策として開催した全国規模の博覧会で、明治10年(1877)の第1回から同36年(1903)の第5回まで開催された。全国から収集された産物は陳列、調査、審査が行われ、優秀な出品物には褒賞が授与され、物産調査と産業奨励が同時に行われた。 九州の地方名菓には、異国に由来するものが多い。例えば、福岡の鶏卵素麺、佐賀の丸ぼうろ、長崎のかすてら、熊本のかせいた等の起源は南蛮菓子である。旧薩摩藩領に伝わる高麗餅は朝鮮に、沖縄に伝わる琉球王朝以来の種々の名菓は中国に由来する。また、鎌倉時代に伝来した点心から発展した羊羹、饅頭は現在全国に名菓があるが、その伝来地は博多の承天禅寺という説もある。同寺の開山聖一国師(円爾弁円)は、水磨(水力製粉)の図(「支那禅刹図式(寺伝宋諸山図)」東福寺蔵)を、羹、饅、麺等の点心とともにもたらしたといわれ、開山忌にはこの三種が国師の肖像の前に供えられる(図7)。
この連載では、九州名菓の中から主として室町時代以降伝来した南蛮、朝鮮由来の菓子をとりあげ、伝来後から現代の名菓となるまでの変容を追う。その中で名菓としての成立、発展等に日本の歴史が与えた影響をみていきたい。次回、まず福岡の鶏卵素麺をとりあげる予定である。 参考文献 青木直己『図説和菓子の今昔』淡交社、2000。 橋爪伸子「埋もれた朝鮮菓子-くわすりを事例として-」(『風俗史学』33、2006)。 國雄行『博覧会の時代-明治政府の博覧会政策-』岩田書院、2006。
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