[アーカイブ]いにしえの旅

[アーカイブ]いにしえの旅 : No.05

晋書(しんじょ)

唯一の古写本 漢籍受容の実態示す
【図1】晋書列伝巻第五十一零巻

【図1】晋書列伝巻第五十一零巻

 今から約千二百年前の奈良時代、大宰府から中央政府に対して、一通の請願書が出された。その請願は、当時の大宰府の繁栄ぶりを誇る「この府、人・物殷繁(いんぱん)にして、天下の一都会なり」という印象的な一節から始まる。当時の大宰府には、九州地方を管轄する地方最大の役所「大宰府」が置かれ、その南には都に次いで大規模な古代都市が展開していた。国の内外を問わず多くの人や物が行き交い、九州の中心として、またアジアとの文化交流の拠点として大いなるにぎわいを見せていた。

 その大宰府が中央政府に求めたものとは、意外にも書物の支給であった。大宰府には、九州各地の有力者の子弟たちが役人に必要な学識と実務経験を積むために集っていた。しかし、儒学の教科書「五経」はあっても、その段階では史学の基本文献「三史」、すなわち『史記』・『漢書』・『後漢書』はなかったのである。そこで、九州管内の学術振興のために中国の歴史書を支給してほしい、というのが大宰府の願いであった。これに対して支給された歴史書の中に「三史」・『三国志』とともに『晋書』の姿があった。

 『晋書』は、中国晋朝(二六五―四二〇)の歴史をつづった書物である。歴史書の編纂は、中国を中心とした漢字文化圏の国々が共通して取り込んだ国家事業であり、「三史」や『三国志』『晋書』などの中国の歴史書をその模範とした。わが国でもその影響の下、『日本書紀』をはじめとした国史の編纂が行われるとともに、それらの書物は、中央の大学や地方の府学校(大宰府)・国学で史学や漢文学を学ぶための教科書として、また天皇の帝王学の書として重んじられた。日本において史学を学ぶことが盛んになるのは、一般に遣唐使とともに中国へ渡った吉備真備(きびのまきび)が七三五(天平七)年に「三史の櫃(ひつ)」を持ち帰ったことが契機となったといわれているが、正倉院に残されている古文書によると、すでに七三〇(天平二)年には、『漢書』や『論語』と並んで『晋書』が写経所で書写されていたことがわかる。しかし、これまでこのことを裏付ける写本の存在は知られていなかった。

 今回紹介する『晋書』の古写本は、開館の三年前に『漢書』の古写本として持ち込まれた資料である。『漢書』の中に該当の内容を見いだすことができないことから他の中国正史(正式の歴史書)を博捜したところ、それが『漢書』ではなく、晋代の武将である朱伺(しゆし)と毛寶(もうほう)の伝記を記した『晋書』列伝巻第五十一にあたることがわかった。『晋書』であれば、知られる限り日本唯一の古代の写本である。わが国で確認されている奈良・平安時代書写の中国の歴史書の写本は、いずれも国宝に指定されており、それほど貴重な文物なのである。

【図2】都府楼(太宰府政庁)跡=福岡県太宰府市

【図2】都府楼(太宰府政庁)跡=福岡県太宰府市巻

 この『晋書』の古写本は、書風や紙質などから奈良時代にわが国で書写されたものとみられ、淡墨で引かれたけい線の中に、端正な筆致で一字一字が丁寧に書写されている。同じ奈良時代の写本である石山寺(滋賀県大津市)所蔵の『史記』や『漢書』と比較すると、筆勢や体裁、紙質・紙幅などが異なり、異系統のものであることは明らかである。一行の文字数をとっても石山寺の古写本が十四字前後であるのに対し、『晋書』は十七字と字数が多く、むしろ奈良時代に書写されたお経の体裁に近い。七三〇(天平二)年の写経所での事例から考えれば、この古写本も写経生の筆によるものである可能性が高い。この古写本の存在は、唐代に完成した『晋書』があまり時を隔てることなく、同時代に日本へ伝えられ、書写された事実を証明するものである。

 さらに、由来などを記した巻末の識語(しきご)から一八八三(明治十六)年、すでにこの資料の価値を見いだした人物がいたことが分かった。その人物とは、知恩院第七十五代の住職であり、浄土宗管長を務めた養うかい徹てつ定じょう(一八一四―一八九一)である。徹定は久留米藩士の家に生まれ、久留米の西岸寺を出発点として修学に励み、維新の激動の中、浄土宗の刷新に尽力した傑僧である。また、古写経を中心とした考証学にも通じ、古典籍を収集して調査・考証・評価を行った。徹定直筆の識語から、彼がこの『晋書』を石山寺所蔵の国宝『史記』『漢書』と並ぶべきものと評価していたことが分かる。

 このたび、本資料「晋書列伝巻第五十一零巻」は、現存唯一と言ってよい『晋書』の古写本として国の重要文化財に指定されることとなった。そして九州国立博物館においては中国から日本への漢籍受容の実態を示す貴重な資料として展示される。かつて「天下の一都会」と称された大宰府が切望し、おそらくは当時の学生たちの熱い視線の的となった『晋書』が、千二百年の歳月を経て、中国晋代の歴史だけではなく、わが国の歴史の語り部として姿をあらわす。

キーワード
晋書
中国・晋朝(265―420)の歴史を網羅的に記した正史。帝紀10・志20・列伝70・載記30の計130巻。唐太宗(598―649)の命により646(貞観20)年から3年間をかけて編さんされ、一部は太宗自らが筆を執ったことで知られる。古代日本では、史記・漢書・後漢書・三国志とともに、歴史や作文などを学ぶ紀伝道の教科書として重んじられた。

案内人 松川博一(まつかわ・ひろかず)
九州国立博物館展示課主任技師