九州国立博物館では、平安時代から近代までの日本美術を中心とする一流コレクション、オークラ(大倉)コレクションを紹介する展覧会を企画しました。
明治維新による激動の時代、日本の近代化に貢献し、美術文化の保護・発展に寄与した実業家がいました。大倉喜八郎(1837〜1928)は、その最も重要な人物のひとりです。喜八郎は、さまざまな近代事業を展開した大実業家で、廃仏毀釈による寺院の荒廃、仏教美術品の散逸や海外流出を憂い、みずから日本・東洋の古美術を収集し、大正6年(1917)、わが国初の私立美術館、大倉集古館を設立しました。喜八郎の長男で、ホテル・オークラの創業者としても有名な大倉喜七郎(1882〜1963)は、その意志を継ぎ、近代日本画を中心に収集して世界へ紹介するなど、日本文化の海外発信に尽力しました。父子が精力的に収集したコレクションは、高い美術的価値と同時に、当時の社会情勢を反映した重要な歴史的意義を有しているのです。
本展では、膨大な大倉コレクションを今日に伝え、開館100周年を迎えた大倉集古館の所蔵品から、厳選の名品を一堂に公開します。そして、これらの名品を通し、大倉喜八郎が行なった文化財保護の志、アジア諸国にわたる多様な収集、喜七郎による海外への日本文化発信といった歴史的意義を紹介します。明治維新から150年目の節目に開催される本展は、近代の幕開け以後の日本と海外の交流の歴史をとらえる絶好の機会となるでしょう。
*本展出品の所蔵者は、すべて東京・大倉集古館です。
大倉父子収集品を核とした大倉集古館の日本美術、その幅の広さと質の高さには驚くべきものがあります。時代は平安・鎌倉から近代まで、分野は絵画・書跡・彫刻・各種工芸と多岐にわたり、作品は国宝3件・重要文化財6件・重要美術品15件はじめ粒揃いです。日本美術の歴史をも辿れる王道の作品群を、次の6つのコーナーに分けてご紹介します。
1.祈りのかたち(仏教絵画)
2.国宝の輝き
3.やまと絵から琳派へ
4.室町水墨から狩野派へ
5.多彩な近世絵画(若冲・四条派・文人画など)
6.日本工芸の美
平安時代10世紀初に勅撰 和歌集として最初に編纂された『古今和歌集』20巻は、仮名の和文で書かれた「仮名序」と漢文で書かれた「真名序 」の二つの序文を持つ。本作品は、紀貫之 作の「仮名序」を平安後期に書写した名品として知られ、国宝に指定されている。多彩で華麗な料紙 も見どころ。筆者は、藤原行成の曽孫、藤原定実 (11〜12世紀、生没年不詳)と推考されている。
象に乗る普賢菩薩像は、9世紀半ばに唐から請来された新しい図像によって、合掌 する姿で表わされるようになり、女性の救済を説く法華経の普及とともに、主に平安貴族の女性たちからの信仰を集める。その普賢菩薩像の代表作であり、優美な顔立ちや肩のラインなど、平安時代後期12世紀、和様 の仏像彫刻の名作として知られる。彩色や截金 があざやかに残る、大倉コレクション仏教美術の白眉。
天皇や高級貴族の警護役「随身」を描いた絵巻物で、描かれているのは平安末期および鎌倉初期の後嵯峨上皇 に仕えた随身たち。「似絵」の代表作であり、似絵の名手藤原信実 の画風を伝える作品として、国宝に指定されている。顔や体格の特徴が実によくとらえられており、軽快で躍動感あふれる描写が見事。特徴を露骨あるいは誇張してとらえる「似絵」に描かれることを、当時の人々は嫌がったという。
夏の闇の中にかがり火を焚いて、鵜匠たちが鵜を操って鮎をとる。そのドラマティックな夜景を、動感ゆたかに表現。かがり火は、渋い赤色で炎を、墨のぼかしで煙を表わす。日本の風景にふさわしく、丸っこい緑色の山並みが画面を支配する。漢画の伝統を引き継ぐ狩野派は、江戸時代に入ると柔軟なやまと絵風を採用するが、その先駆的な作品で、幕府御用絵師 として活躍した狩野探幽の風俗画の名品として、早くから評価されてきた。
急流に、無数の扇子 が流される。流れは右から左へ。白い波頭は、まるで生き物のように爪を立てる。左に行くほど扇子は乱れ、密度は濃く、吹き溜まっていく。扇子に描かれた種々の草花、その表現も豊かですばらしい。俵屋宗達が主宰する工房で描かれた力動感あふれる屏風であり、京都の町衆の熱いエネルギーを体現した名品として知られる。
則重は、鎌倉時代末期に越中国の婦負郡呉服 郷(現富山県富山市五福)に住んだと伝わる刀工で、略して郷則重 とも呼ばれる。相州刀工の祖、新藤五國光 の弟子とされ、また名工として名高い正宗と同門であった。特に地金の鍛えを得意とし、硬軟の鉄を巧みに組み合わせて板目が肌立ち渦巻くような肌をまじえる「松皮肌 」(則重肌)で知られる。越後新発田 藩の溝口家に伝来。
六角皿に白化粧を施し、見込に鉄絵具で大きく寿老人をあらわす。それを囲むように一本の区画線を施し、縁の内外側面には雲気文をめぐらす。本作品は、尾形光琳・乾山兄弟の合作。銹絵を描いた作品は角皿がよく知られるが、六角皿は類例が極めて少なく貴重である。
尾形兄弟は、京都の高級呉服商・雁金屋
に生まれ、幼い頃より最先端の意匠に触れ、古典文学など様々な素養を身に付けた。軽妙洒脱な筆致の絵と六角形があいまって、京らしい洗練された雰囲気を湛える。
大倉集古館には、幅広い東洋美術のコレクションがあります。近代の幕開けと同時に実業家として日本から朝鮮、中国へと進出した大倉喜八郎は、中国国内の混乱で流出した美術品をまとめて購入したほか、朝鮮やタイ、インドの仏像なども多数収集しました。これらの作品は、近代日本における外国美術の受容のありかたを示す点からも評価されています。
1.中国
2.朝鮮
3.タイ、ミャンマー、インド
筒形で、胴部に3段の筋をめぐらし、高台を付け、さらに三足を付けた大型の青磁香炉。南宋から元時代にかけて、中国・龍泉窯では、澄んだ青緑色の上質な青磁が作られた。日本では鎌倉や京都を中心に日本の寺院等に伝来している。類品に如意形の三足が付いた、本作品よりは小振りのものがあり、宋時代の銀製香炉を模倣したものと云われる。
本作品は黒漆塗の蓋を伴っており、水指としても用いられたようである。「千鳥」の銘を持つが、三足が地に着かず浮いて見えるためであろう。
口元に笑みを浮かべた柔和な表情、装身具を身につけた姿は光輝いている。荘厳された仏像は、タイでは特に17世紀のアユタヤー時代後期に流行し、ラタナコーシン朝にも引き継がれ、その冠や装身具は王族のものを象 り一層豪華になっていった。こうした荘厳仏 は、特に王族の菩提を弔うために造仏され、王室寺院に安置されたことが知られている。
「清明上河図」は、旧暦3月、春分から15日目の清明節を祝い賑わう北宋の首都開封 の風物を描くテーマで、古く北宋時代から見られ、以降、くりかえし描き継がれていった。その明代の作として知られる優品。安土桃山時代から江戸初期の日本で盛行した「洛中洛外図」の原形のひとつとも目される画題である。
昭和5年(1930)イタリアで開かれた「ローマ日本美術展」は、すべての経費を大倉喜七郎が負担。代表の横山大観 をはじめ下村観山・前田青邨 ・川合玉堂・竹内栖鳳・速水御舟 といった錚々 たる日本画家80名が最新の力作を出品し、日本美術の魅力を欧州の人々に問う野心的な試みでした。その一部を再現的に展示し、お楽しみいただきます。
源平の合戦、石橋山 の合戦で平家に破れ、洞窟に隠れて再起の機会をうかがう源頼朝。頼朝のまわりを円環状に取り囲んで守る家来6人。視線の先に洞窟の入口。歴史の名場面を描くにあたって、人物をクローズアップし、不安と緊張と決意、その心理劇を描き出す。武具甲冑 の精密な描写は、時代考証に詳しい作者ならではのもの。近代日本の歴史画の代表作であり、制作の翌年に創設された朝日賞の第1回に受賞作として選ばれた。
横山大観は、「ローマ日本美術展」出品画家80名の代表だった。その大観が、日本画の面目をか け、この展覧会のために制作した意欲作。宵闇 の中、かがり火に照らされて輝く満開の桜。無風状態の静寂のなか、かがり火の煙が垂直に立ち上り、桜の花びらがはらはらと垂直に落ちる。季節は春、時は夜。やまと絵のあでやかな色彩と水墨の調和を見事に達成した名品で、華やかさと静けさが同居する。横山大観の画業中、最重要作のひとつ。
栖鳳は、地面にしゃがみこんで常に対象と同じ目線で写生をすることにこだわっていたという。闘鶏 の緊張の一瞬をとらえたこの作品も、徹底した観察に基づく写生により、躍動感あふれる画面を実現している。金と緑の美しい配色による背景に、力強い鶏の姿が浮かび上がる。東京画壇をリードした横山大観とならび称される西の竹内栖鳳は、円山四条派 の伝統を受け継いで京都画壇をリード。その代表作の一つとされる。
京都の南、淀の風物を現地で取材し、制作した作品。ススキなびく晩夏から初秋の景で、水車がはねあげる水しぶきの描写や、水車の回転に連動する土手や葦、サギなど図形的な画面構成が近代的。純度の高い絵の具で彩られた緑色、群青色があざやかで、サギの白がまばゆく輝く。