【特別展関連コラム】あの日の中国

【特別展関連コラム】あの日の中国
最終回「最終日 重慶ブルース」
市元 塁

この連載の初回で、重慶市安坪郷での発掘調査の思い出を書いた。この現場が終わると、我々調査隊は長江を少しくだり、次の調査地である重慶市の陳家坪へとやってきた。

これら一連の発掘はすべて三峡ダム建設プロジェクトの一環なので、調査地はダムが完成すればいずれ水没する。安坪郷ではすでに住民の多くが退去した後で、我々は廃屋となった郵便局にベッドをもちこみ寝泊りしていた。一方、今度の陳家坪では、発掘現場こそ退去地区であるが、宿泊地はダムの完成後も存続する高台にある。しかも今度の宿は新築のアパートでトイレもあるとの情報。我々は久しぶりに文明的な生活ができると歓喜に沸いた。重たい発掘道具もなんのその。足取り軽く宿へむかう我々を待っていたのは、窓ガラスも入っていない建築途中のアパートだった。

発掘現場では、調査区を5メートル四方ずつに区切り、それぞれに学生2人と現地で雇った作業員2人がはりつく。作業員のおじさんやおばさんは皆よく働く。しかし作業に慣れてくると、しだいに手よりも口が動くようになり、発掘作業は遅れがちとなっていった。そこで現場を取り仕切っていた吉林大学の先生は一計を案じた。一日に掘る深さを決めて、掘った地区から帰っていいことにしたのだ。発掘の手法としては相当な荒技であるが、こうするより仕方がなかったのである。

効果はてきめんだった。これまで一日かかっても掘れなかった深さを昼前には掘りきってしまう。もちろん、発掘調査なのでただ掘ればよいというものでもない。遺物や遺構が検出されるとそこで掘るのを止めなければいけない。そうすると早く帰りたいおじさんやおばさんは不満を露わにするので、我々は大急ぎで図面を描いて遺物を拾い上げるのであった。

作業員のなかに、とてもよくしゃべるおじさんがいた。いかにも闊達な気性のこの男性は作業員仲間のムードメーカー的存在だった。ある日のこと。午後の作業がはじまったのに、このおじさんだけが現れない。しばらく待っていると鍬を担いでやってはきたが、どうも足下がおぼつかない。おじさんは完全に酔っ払っていたのだ。そして鋭い目つきで私をにらみ、わめきたててきた。重慶の片田舎のこと。訛りがきつく何を言っているのか分からなかったが、表情と口調から私を罵っていることは明白だった。

どうしたものかと立ち尽くしつつ、こちらもおじさんから目を離さないでいると、他の調査区の学生たちが次々と私をかばいにやってきて、おじさんと私の間に割って入ってくれた。彼らが「おじさんがなんて言ってたのか聞き取れたか?」と尋ねるので、私は一切分からなかったと答えた。「気にするな」と皆が言った。夜のミーティングでもこのことが話題になった。おじさんは次の日から現場に来なくなった。

おじさんが何と言ったか。私にはだいたいの想像はつく。生きていればいろんなことが起こる。慣れない異国の地に身を投じればなおさらである。おじさんは今も元気だろうか。もう一度、重慶のあの町に行きたいと思う。

陳家坪の発掘現場

陳家坪の発掘現場

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次回、10/1号からは、学芸員 河野一隆による
「エッセイ・文化交流展示室の散歩道」を連載します。

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