【特別展関連コラム】あの日の中国

【特別展関連コラム】あの日の中国
第4回「4日目 駅前広場の奇跡」
市元 塁

2002年、私は中国東北の吉林大学に籍をおいていたが、約1年の留学の期間で大学にいたのは半年くらい。あとの半年は発掘調査や遺跡めぐりなどに費やしていた。長距離の移動はもっぱら列車で、しかもできるだけ夜行列車を使う。宿代を浮かすためである。ただ夜行列車といっても寝台車は料金が高いので、乗るのはいつも普通の座席。座席は基本的に全席指定で、軟座と硬座という二段階がある。貧乏学生の私はもちろん安い硬座を選ぶ。ところが指定券はすぐに売り切れてしまうので、私のような行き当たりばったりの旅人が券売所で手にするのは、たいてい「無座」と印字された席無し切符であった。席無しとはいえ、実際には空席があるもの。そこで列車にのるとまずは席探しからはじめることになる。席がみつからないと長時間立ちっぱなしになるので相当つらい。よく見ると座席の下にもぐりこんで寝ている上級者(?)もいる。

その日、私は河北省の省都である石家荘市に降り立った。季節は真夏であったが、朝の駅前広場は涼やかな空気がなんとも心地よく、旅の疲れもどこへやら。まずは腹ごしらえと思ったものの、あまりに時間が早かったためか、比較的はやく営業をはじめるのが常の駅周辺のお店もまだ開店前のようで、あたりは静まりかえっていた。私は少し時間をつぶすために、次にのる列車を調べようと、リュックサックに手をいれて時刻表を探した。突然にぶい痛みに襲われたのはそのときだった。

私は、リュックに放り込んでいたヒゲ剃りで指を切ってしまったのである。ヒゲ剃りで切ったにしては結構な深傷で血がとまらない。どこかで手を洗おうかとあたりを見回していたら、遠くのほうから、伸びやかなおじさんの声が聞こえてくるのに気が付いた。その声は誰もいない朝の駅前広場を悠然とながれ、私のほうへと近づいてくる。おじさんは、歌でも口ずさむように少し節をつけながら、「バンディー、バンディー」と連呼していた。朝日の逆光でよくみえないが、なにか旗のようなものを背中にさしているようであった。それが何なのかわかったのは、おじさんが私の目の前を通り過ぎようとしたときだった。おじさんの背中にあったそれは、旗のようにたなびく大量のバンソウコウだったのだ。

バンディとは、某有名メーカー製のバンソウコウの中国での呼び名であることをこのとき初めて知った。地獄で仏とはまさにこのこと。私は慌てておじさんを呼び止め、大量のバンソウコウを購入した。

その後、今日にいたるまで中国の各地をたずねているが、バンソウコウ売りに出会ったのは後にも先にもあの石家荘の朝だけである。

旅先では必ず地図を手に入れる

旅先では必ず地図を手に入れる

次回予告
5日目「長城に咲く花」 8月中旬掲載予定。お楽しみに

筆者 市元塁のプロフィールはこちら