【特別展関連コラム】あの日の中国

【特別展関連コラム】あの日の中国
第3回「3日目 教師節の贈り物」
市元 塁

1990年代の後半から新世紀はじめの、私がまだ学生だった頃の話。当時私は日中合同の考古学調査に参加する機会を得て、毎年のように寧夏回族自治区の固原という町に行っていた。固原はシルクロードの中継地点として注目すべき考古学成果が挙がっていた町である。私が参加した97年からは、調査隊が96年までに発掘した2基の古墓の出土品を実測したり、図面の整理をしたりするのが主な仕事となっていた。日本からは6つ以上の大学の学生が参加し、同じ釜のメシを食べつつ、博物館や研究所の先生方の熱心な指導をうけた。

ある日の早朝、朝食の時間に間に合うよう食堂に行くと、すでに数人の学生が晴れ晴れした顔で席についている。何かあったのかと聞いたところ、朝早く地元のお爺さんに太極拳を習っているのだという。これは面白そうとのことで、私もまだ暗がりがのこる時間に起き出して太極拳を習うことにした。そのお爺さんは姓を「高」といったので、私たちは高老師とよんでいた。高老師は足腰こそしっかりしているものの少し耳が遠く、また歯が数本抜けているのか、どこか「フガフガ」とした調子で話す好々爺だった。高老師はとても親切に太極拳の基礎をみっちりと教えてくれた。こうして清々しい朝が続くはずだった。

調査が佳境になるにつれ、残業で資料整理をしたり、あるいは仲間と深夜まで語りあったりで、次第に朝起きるのがつらくなってきた。しかし高老師は毎朝定刻どおりやってくる。時には部屋まで起こしにくる。こちらも頑張って起きるけれどもやはりつらい。そこで軟弱な我々は、交替交代で朝の太極拳に出て他の者は順繰りに惰眠をむさぼるという策を講じることにした。

もうじき9月になろうかとする頃、中国語の堪能な調査仲間がこんな事を提案した。 「もうすぐ教師節(教師の日)だから、高老師に何かプレゼントをしよう」 これは大賛成。花がいいかハンカチがいいかと色々考えたが、せっかくだから高老師の欲しいものがよいだろうとのことで、この友人が高老師に直接たずねにいった。戻ってきた友人は少し苦笑いしているようにみえた。そして我々にこう告げた。 「高老師が欲しいものは補聴器だって。」

教師節まであと幾日もない。この電気の供給もままならない片田舎に、はたして満足のいく補聴器があるのだろうか…。私は、明日は必ず早起きして太極拳に出ようと誓った。

固原の町

固原の町

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