【特別展関連コラム】あの日の中国

【特別展関連コラム】あの日の中国
第2回「2日目 学生街の餃子店」
市元 塁

私が吉林大学に留学していた2002年頃の話。当時、私は大学そばの留学生寮に住んでいた。三度の食事は、吉林大学の学生にまじって学内食堂で食べることが多かった。

まだ留学生活に慣れていない頃、中国人の友人から食堂でご飯を食べようと誘われた。時計をみるとまだ10時半前。早すぎないかとたずねたところ、12時頃に行くともう品切れなのだという。そんな馬鹿なことがあるかと思い、後日、1人で12時に行ってみた。そこで目にしたのは、空っぽの鍋を洗う職員の姿だった。

吉林大学は中国東北部で一番のマンモス校。学内食堂だけでもA〜Dの4つあるのだが、数万を数える学生が学ぶ吉林大学。食堂での争いも半端ではない。昼ご飯を食べようと12時過ぎに行こうものなら、もう殆どが品切れなのである。そういうわけで、昼食はだいたい10時から遅くとも11時台前半、夕食は16時から17時頃に食べるということになり、いつしか私もその生活に馴染んでいった。

冬休みに入ると、学生の多くは実家で旧正月を迎えるために帰省し、大学はめっきり静まりかえっていた。それでも大学食堂の一部は居残る学生のために細々と営業し、近所の店も何軒かは営業を続けていた。そのなかに一軒、ひいきの餃子屋さんがあった。お母さんが一人で切り盛りし、店の奥では小学生のお嬢ちゃんが勉強をしている小さな店だ。私はいつも餃子を半斤頼むことにしている。中国では餃子は個数や皿数ではなく、グラムで注文するのが普通。半斤は250グラムである。私のお腹では半斤で十分満足なのだが、中国人の男子学生だと1人で一斤は軽いらしい。その日、店のおかみさんは私にいった。
「半斤なんて少ないんじゃない?」

私は、なかば面倒な気持ちで、「いま手持ちのお金が少ししかないんだ」と答えた。これは嘘ではない。しかし正しい答えでもなかった。素直に半斤で十分だと答えればよかったのだが、そうすれば、気のいいおかみさんのことだから、ぜったいサービスしてくれるに違いない。そうなれば、私はそれを苦しみながらも勿体ないから平らげなければならない。そういう打算が働いたわけである。おかみさんは、そんな私のくだらぬ打算など知ってか知らずか、温かい眼差しでこう言うのであった。
「学生はたくさん食べてたくさん勉強しなきゃ駄目よ。お代は次でいいから、たくさん食べてお帰り。」

私はこの言葉を聞いて、自分の言動と思考をおおいに恥じた。そしてアツアツの水餃子を腹一杯に平らげたのであった。

吉林大学の留学生寮〈友誼会館〉

吉林大学の留学生寮〈友誼会館〉

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