関屋の道標と一の鳥居(道標)

旧国道3号線、現在の太宰府市関屋の交差点には、鳥居と道標が残されています。関屋は、近世の主要街道の一つであった日田街道(博多〜日田)からさいふ詣り(太宰府天満宮参詣)の道が分かれる箇所にあたります。かつては茶店が並び、高橋紹運の岩屋城合戦にちなんだ「関屋のつなぎだご」という名物も売られていたと言われ、潮斎しおい台や道標、常夜燈が置かれ、文久二(1863)年には、当時の福岡藩主だった黒田斉溥なりひろが鳥居を寄進しました。これは「さいふ詣り一の鳥居」とも言われています。
道標は2基あり、1基は梅鉢紋を描き、「天満宮東従是二十五丁享和二年(1802年)」と彫られています。もう1基には、「是ヨリひがしさいふ参詣道」、裏に「元禄四年(1691年)辛未天寄進 福岡呉服町 帯当金宇兵衛」と彫られている。この元禄4年の道標は太宰府におけるもっとも古い道標であり、このころより、さいふ詣りが盛んであったことがわかります。
(太宰府市『大宰府市史民俗資料編』より)

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道標(元禄四年

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道標(元禄四年)裏

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さいふ詣り一の鳥居

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道標(享和二年)

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右から常夜燈・潮斎台・道標2基

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江戸時代の関屋の情景(『筑前名勝図譜』より)(国立公文書館蔵)