山家宿(郡屋跡)

筑紫野市山家は、江戸時代、長崎街道沿いの筑前六宿(原田・山家・内野・飯塚・木屋瀬・黒崎)の一つでした「山家宿」が置かれていました。山家宿は、慶長16年(1611年)に桐山丹波によって、建設されました。桐山丹波は、初代山家宿の代官となり、黒田長政の二十四臣の一人として、黒田藩のお家騒動に際しても、黒田家の存亡の危機を救ったことでも有名です。

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山家宿構口(福岡県指定史跡)


山家宿の構造

山家宿の中の道は、中程でカギ型に折り曲げられています。これは防衛上、大部隊が一気に駆け抜けられないようにしたものでした。また、宿場の入口には、「構口(かまえぐち)」と呼ばれる石垣の上に土壁・瓦葺の塀が築かれていました。筑前六宿には藩主が建てた御茶屋と民間の町茶屋があり、大名の休泊所にもなっていました。
現在、山家宿には、構口や郡家など、往時の様子を偲ぶいくつかの建物が残されています。

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山家宿・郡家土蔵

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山家宿・郡家灰家

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山家宿・大庄屋長屋門