榎社・隈麿の墓(隈麿の墓)

大宰府に左遷された道真は、隈麻呂と紅姫という二人の子を連れていました。府の南館の生活は不自由で苦しいものでしたが、愛らしい幼児二人が道真の唯一の心の支えであったと伝えられています。しかし、過酷な生活の中で、左遷の翌年、隈麻呂は病にかかり急逝しました。
榎社の東側、納骨堂の建つ小高い丘の上に、「隈麿之奥都城」とされる墓と六弁の花をつける梅の古木があります。
また、隈麻呂の姉、紅姫のその後は定かではありません。一説には隈麻呂に次いで翌年道真も亡くなったので、土佐に流された道真の長男高視の元に向かったといわれています。榎社の社殿裏には「紅姫の供養塔」と言われる地蔵石像が、「隈麻呂の墓」から東へ徒歩4〜5分の所にも、同じく「紅姫の供養塔」といわれる板碑があります。その板碑には梵字が刻まれています。
(森弘子『太宰府発見』・太宰府市『太宰府市史民俗資料編』より)

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隈麿の墓

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紅姫の供養塔(板碑)

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隈麿の墓全体

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紅姫の供養塔(榎社・地蔵石像)