衣掛神社

太宰府市国分、特別史跡水城大堤の南側の小高い丘には、衣掛天神という神社があります。この神社には、菅原道真にまつわる次のような話が伝わっています。
都より左遷されてきた菅公は、長旅の後やっと水城に着き、旅衣を脱いで、傍らの松と石に掛け、新しい衣に着替えました。その旅衣を掛けた松と石を祀ったのが、衣掛天神とされています。
その後、衣掛の松は、枯れてしまいましたので、昭和28年(1953年)にこの松を板にして、一枚は松の絵を描いて、絵馬とし、もう一枚は「衣掛天満宮」と書いた扁額として拝殿に掲げてあります。また、衣掛の石は、神社近くのクリーニング工場の中に現在も祀られています。石には、宝篋ほうきょう印塔が浮き彫りされています(見学をされる場合は、工場の了承の上、見学して下さい)。
また、神社の鳥居の傍らには、昔、姿見の池もしくは鏡ヶ池と呼ばれる池があり、ここにも次のような話が伝わっています。
菅公が、ここで衣を替えた時、近くにあった池に姿を映して、あまりにもやつれた自分の姿を悲しみ、池の水をかき回しました。すると、水はたちまち濁り、その後決して澄むことはありませんでした。
この池は近年埋め立てられ、現在は水城にまつわる万葉歌碑が建てられています。菅公が水に自分の姿を映したという類似した言い伝えは、福岡市中央区天神の水鏡天満宮にも伝わっています。
(太宰府市『太宰府市史民俗資料編』より)

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衣掛天神

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衣掛の石