九州鉄道アーチ橋

明治22年(1889年)12月11日、九州で最初の鉄道会社である「九州鉄道」(JR鹿児島本線)が、博多―久留米(千歳川仮停車場/現鳥栖市)間で開通した時に、技術顧問として招聘されたドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの指導のもとで造られた赤煉瓦造りの三連アーチ橋です。橋長24.5m、幅員4.7m。イギリス積み(各層ごとにレンガの小口面と長手面とが交互に見える積み方)で装飾はなく、橋脚部の基礎までレンガ構造になっています。上流側だけ水流圧を軽くするために、丸みがつけられています。三つのアーチの内、中央を久良々川が流れ、両側を道路が通っています。大正9年(1920年)、二日市―原田(はるだ)間の複線化に伴い、仮塚(かんづか)越えの急勾配を避け、東側に現在の新線を敷設したため、それ以降は、鉄道橋としては使われなくなりました。現在、橋梁本体は市道に利用されていますが、ほぼ開業当時の姿を残しています。「国土の歴史的景観に寄与している」として、国の登録有形文化財になりました。
なお、このほかこの周辺には、筑紫野市二日市の鷺田川、原田の宝珠川、三国などに同時期のレンガ橋が残り、現在も鹿児島本線の鉄道橋梁として使われています。
(筑紫野市歴史博物館『筑紫野の指定文化財』より)

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城山のアーチ橋

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城山のアーチ橋2

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二日市のアーチ橋

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原田のアーチ橋

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三国のアーチ橋