五郎山古墳

筑紫野市原田にある装飾古墳で、昭和22年(1947年)3月、盗掘坑が陥没したことにより石室の一部が発見され、同年11月に福岡県教育委員会によって発掘調査が行われた墳丘径約32m、高さ5.5mの筑紫野市最大級の古墳時代後期(6世紀)の円墳です。石室は前・後の二室を持った全長11.2mの横穴式で、南西に開口しています。一番奥の遺体を安置する部屋(玄室)は、長さ約4.5m、幅約3m、高さ約4mで比較的大きな規模です。盗掘によって副葬品はほとんど残ってはいませんでしたが、金環、管玉、勾玉、刀子、須恵器が採集されています。 五郎山古墳の最大の特徴は、石室内部の壁面に黒・赤・緑の三色の顔料によって彩色された具象画が描かれていることです。その壁画は武器(弓・靫ゆぎ(矢を入れる容器)・鞆とも(弓の弦から手を守る防具))、人物(巫女・騎馬像・力士)、動物(犬・猪)、船、旗、家、太陽などの多くの図柄で構成されています。おそらく、被葬者の生前の様子、あるいは黄泉の世界を表現したものと考えられます。このような古墳壁画は他に類例は少なく、非常に貴重な装飾古墳であると言えます。おそらく6世紀に筑紫平野を治めた地域の豪族首長の墳墓であると考えられます。 現在では、国指定の史跡に指定され、「五郎山古墳館」とともに、内部の見学をすることができます。
(筑紫野市歴史博物館『筑紫野の指定文化財』より)

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五郎山古墳(写真提供:九州歴史資料館)

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五郎山古墳奥壁(写真提供:九州歴史資料館)