浦ノ田遺跡

太宰府天満宮の東側の谷から国立博物館にかけての一帯は、小字が浦ノ田といい、古代から中世の遺跡が見つかっています。特に、第4次調査では、太宰府天満宮に西面する斜面から中世の火葬墳墓群が出土しました。
浦ノ田遺跡の発掘調査では、太宰府天満宮の丘陵斜面に鎌倉時代から室町時代にかけて(13〜14世紀)の五輪塔・板碑などの石塔群と、それらに伴って火葬墓が多数出土しました。特に注目すべきは、火葬墓に火葬骨を納めるために用いられた蔵骨器の中に、古瀬戸や青銅製の筒形容器などがあり、非常に特徴的です。
文化3年(1806年)に描かれたとされています『太宰府旧蹟全図 北』には、太宰府天満宮の東南側に位置する丘陵部に「古ハカ(古墓)ヲヲシ」という記載が見られ、この付近に古墓が分布することは比較的古くからある程度認識されていたと考えられます。太宰府天満宮の本殿を正面に望むこの火葬墓群は、安楽寺(現在の太宰府天満宮)深く関わった人たちの奥津城であったのかもしれません。
(福岡県教育委員会『浦ノ田遺跡IV』より)

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浦ノ田遺跡出土銅製容器(福岡県教育委員会提供)

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浦ノ田遺跡の石塔群2(福岡県教育委員会)

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浦ノ田遺跡の石塔群(福岡県教育委員会提供)