推定金光寺跡

観世音寺の北方600m、四王寺山から南に延びる谷の最奥部に立地する中世の寺院跡の遺跡です。字名として「今光寺こんこうじ」の名を残し、発掘調査の結果、整然と並んだ礎石建物群とその西側に造営された火葬所・墓所が検出されました。
時期は大きく3期に大別でき、13世紀後半から16世紀前半まで継続しました。大きな特徴としては、礎石建物の内の一つに、4間×3間の正方形のプランのものがあり、この建物の周囲でのみ、瓦が出土していることから、遺跡内唯一の瓦葺きであったことがわかります。また、この建物のすぐ裏側がちょうど墓所にあたることから、礼拝所的な性格を持つものであった可能性があります。
そして、建物群の西側には、火葬所と墓所が見つかっています。火葬所とは、火葬墓に埋葬するために、遺体を荼毘に付すところで、いくつもの火葬坑からは火葬骨や副葬品が見つかっています。荼毘に付された遺骨は陶磁器などの骨蔵器に納められ、火葬墓として埋葬されました。火葬墓の上には、五輪塔や板碑などの石造物や木製の卒塔婆そとばなどが建てられました。
この遺跡は現在、字名や出土遺構・遺物の性格から、観世音寺の49子院の一つ、金光寺跡に推定されていますが、子供用の下駄や女性の存在を示す櫛・笄が出土していることなどから武士の居館の可能性もあります。
この推定金光寺跡は、現在整備されて、一般に公開されています。
(太宰府市『太宰府市史 考古資料編』より)

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推定金光寺跡(写真提供:九州歴史資料館)

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石塔群(写真提供:九州歴史資料館)

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火葬土坑群(写真提供:九州歴史資料館)