竈門山寺跡(礎石)

太宰府市内山の竈門神社の入口の石段を上がる途中の右側には、大きな礎石群が確認できます。この礎石群が竈門山寺跡と考えられています。
調査の結果、南北8列、東西6列の礎石列からなる7間5間の総柱式建物の遺構が確認され、平安時代後期(A.D.11世紀)のものであることが分かりました。また、この近辺からは8世紀初頭にあたる鴻臚館式軒丸・軒平瓦も出土しており、既に奈良時代に寺院があったことを示しています。
延暦22年(803年)閏10月23日には、遣唐使船に乗り唐へ向かおうとしていた最澄は、遣唐使船四隻の平安を祈って大宰府竈門山寺で薬師仏四躯を彫りました。その寺の跡がこの場所であると考えられています。
その後、古代から中世にかけて竈門山寺は、大山寺、さらには有智山寺と名称も変わっていき、竈門山寺の最盛期、平安時代末から鎌倉時代にかけては、内山・南谷・北谷に三百七十の坊舎があり、そのうち三百坊は学問をもっぱらにした衆徒方、七十坊は修行をもっぱらにした行者方であったと伝えられています。
また、竈門神社の近くの寺には、近年建てられた伝教大師最澄の銅像もあります。
(森 弘子『宝満山歴史散歩』より)

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竈門山寺跡の礎石群

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宝満山と伝教大師最澄銅像